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3月1日~心豊かな社会とは…
空を見上げると、雲の様子に春らしさを感じるようになりました。
さて、宗教や教育の世界で、そのめざすところに「心豊かな社会」という言葉があります。
皆さんは、「心豊かな社会」と聞いて、どのような社会を想像されるでしょうか。
私は、「私たち一人ひとりのいのちが、自分一人だけでなく、多くのいのちに生かされ支えられて生きている自覚と喜びにあふれる社会」と味わっています。
言い換えれば、幼い子どもからお年寄りまで、「いのちの創造力を育む」ことのできる社会と言えると思います。
人間は、この世に生を受けてから一人で生きていくことのできる人は誰もいません。この世に産み落とされて放置されるならば必ず死んでしまうでしょう。
母親に抱かれお世話をされて子は育ち、母親は子を抱いて親として育ちます。
いのちを育む食べ物や飲み物もすべて自然の恵みであり、それに関わる人々のおかげであり、食べ物を消化し栄養とする身体も、人類の長い生命の連鎖によって今この私に届けられたものです。
また、毎日生活するための自分の知識も、自分ひとりで知り得たものでなく、様々な周囲の人や物事や体験を通して得たものでありましょう。
「いのちの創造力を育む」とは、この人間の根源のあり方に目覚めることであり、大切なのはそれが自分だけでなく、周囲の一人ひとりも、自分と同様の大切ないのちを持つ身であることに目覚めることであります。
みんな一人ひとりのいのちの背景には、大いなる願いがあり、多くのいのちが通っています。だから何一つ無駄なものはなく、尊く大切なのです。
毎日のお仏壇にお参りする生活を通して、お葬儀やご法事などの仏事、またお寺でのご法話や活動を通して、そのことを伝えるために日夜はたらき通しのお方を仏さまとお呼びします。
仏さまのみ教えに耳を傾け、心豊かな社会をめざしてつとめましょう。
3月1日~心豊かな社会とは… | 2014年02月26日【211】
2月16日~生き方のお手本はお寺で…。
関東、東北地方は大雪に見舞われ、雪かきなどご苦労が偲ばれます。
さて、先日ご法事の席で男性のご門徒が、「私は、まだまだ若いから門徒式章はつけませんよ。あれは老人がつけるものだから…」とおっしゃいました。
その言葉を聞いて、私はご門徒への、常日ごろの説明不足を反省するとともに、お寺の有り様も考えさせられました。
確かに仏事の時、門徒式章を着用している人の多くは年配者で、それを見た男性は、門徒式章は老い先短い人たちが着けるもので、俗に言う縁起が悪いものと理解されたようです。
門徒式章とは、浄土真宗の門信徒が、仏前で礼装として着用する法具で、門徒としての証となるものです。
僧侶が仏前においてお勤めをする時に、礼装として衣と袈裟を着用しますが、それと同様にご門徒が、仏前でお参りをするときの礼装が門徒式章であり、老若男女にかかわらず、また葬儀や法事、お祝い事のすべての仏事の時に、門徒すべてが着用するものです。
縁起が悪いどころか、仏さまの願いにかなうご門徒の正式な姿です。
お寺というと表面上、どうしても葬儀や法事に関わることが多いので、この男性のご門徒のように、誤解されることも分からないでもありません。
しかし、お寺で説かれる仏さまの教えは、人が亡くなることやその後のことよりも、この世に命を受けたものが命を粗末にすることなく、いかに心豊かに生きるのか。また仏法を聞くものがどのようにして差別のない、平和な世の中を築くため務めるのか、ということが中心です。
その生き方のお手本となるのが、仏さまのお姿とはたらきであり、心豊かな社会のお手本となるのが、お経に説かれるお浄土の世界です。
それは、常々お寺にお参りして、聞き開いていかなければ理解できません。
お寺は、命をいただいた私たちが、いかに心豊かに生き、明るく平和な世の中のために務めるのか、聞き開いていくところです。
どうぞ年配者はもちろんのことお若い方も、門徒式章を着けて、お寺にお参りください。
2月16日~生き方のお手本はお寺で…。 | 2014年02月16日【210】
2月1日~「あるわけない」と決め込む前に…。
「一月は一気に過ぎる」との言葉通り、もう二月になりました。
さて先日、ご法事先でご門徒から、「極楽浄土とか、ホントにあるのでしょうか?」と、問いかけられました。
「お経やご法話で、阿弥陀如来のお浄土はあると聞かせいただいてますよ」と私が答えると、「実際見ることはできないですよね。ホントかな~」とおっしゃいました。
現代人は、自分の目や耳など、五感で実際確認できないものは、信じることができなくなっているようです。
でもどうでしょう。あの東北の大地震以来、大変心配されている放射能は人間の五感で捉えることができるでしょうか。太陽の紫外線はどうでしょう。
テレビで自分の地域の地震速報が流されますが、その内何回、自分自身の体で感じることができたでしょうか。
自分の体のことさえも、いったいどこが病気なのか、弱っているのか、自分でははっきり分かりません。
「いや探知機や検査機器などの機械で確認できる」との反論も聞こえてきそうですが、そのような機械ができたのは最近のことで、それまではどうしていたのでしょう。
そして、機械があればこの世のことはすべて分かるでしょうか。であれば広大な宇宙のシステムはすべて明らかになっているはずです。
私たちが五感で分かるもの、確認できるものは、「今現在の力の範囲で」という条件付で、その範囲を超えてしまったら何も自分では分かりません。
わからないということと、存在しないということは意味が異なります。
「お浄土はある」と心に確認しながら日暮らしをする生き方と、「そんなものあるわけがない」と決め込んだ生き方とは、人生の内容が大きく変わってくると言われます。
そのわけは、仏法を聞けば聞くほど明らかになってきます。「あるわけない」と勝手に決め込む前に、仏さまの教えを聴聞しましょう。
2月1日~「あるわけない」と決め込む前に…。 | 2014年02月01日【209】