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6月16日~時を超えて感謝の思いを…

 梅雨入り宣言とともに、あじさいの花がいっせいに咲き出しました。

 さて数年前、覺照寺の本堂の大修復をしたときのことです。

 その工事をするために山口県から来た宮大工の棟梁が私に言いました。

 「住職さん、この本堂を建てた宮大工はすばらしい仕事をしてますよ。約八十年経つのに建物に全く狂いがない。またいい部材を選んで作ってますね」。

 私は、自分のお預かりするお寺が専門の宮大工に誉められたので素直に嬉しく、お寺を建ててくださった、直接会ったこともない宮大工の技術に感心するとともに、お寺を建立するために浄財を進納くださった当時のご門徒方に感謝の思いがわいてきました。そして、その宮大工に対して、

 「でも不思議ですね。このお寺を建てた宮大工さんたちは皆、今はこの世にはもうおられません。おられないのに今、同業者の宮大工さんに認められ誉められているんですね」と言いました。

 すると、「そうなんです。私たちが評価されるのは、私たちが死んでから何十年何百年も経ってからです。だからいい加減な仕事はできないんです。ええものを残さねばならんのです」と、おっしゃいました。

 この度、国宝に認定された京都の本願寺の御影堂は、さらにすばらしい建物です。平成二十三年に大修復を行いましたが、その建物を専門家が調べたら、なんと震度七クラスの地震にも耐えうる建物だということが分かったそうです。

 これは卓越した技術と経験の賜物ということができましょうが、それに加えて多くの方々の願いが形に表されたものということが言えると思います。

 ここは尊い仏さまをご安置するところであり、多くの方々が敬いと感謝の思いを寄せるところ、そして末代まで残さねばならない大切な建物であるということに対する重大な責任が、すばらしい建物を生み出したのでありましょう。

 直接会ったことはない方々ばかりでありますが、時を超えて、多くの方々の願いが結集した御堂の中で、手を合わすことのできる幸せを感じながら、お参りしたいと思います。

6月16日~時を超えて感謝の思いを…2014年06月15日【218】

6月1日~自信教人信の心確かに。

 六月に入り、急に気温が上がり、全国的に熱中症が心配されています。

 さて、今月六日、京都・西本願寺では、いよいよ法統継承式が行われます。

 法統継承式とは、浄土真宗本願寺派の第二十四代即如御門主よりご子息である専如新門様へお代替わりをされる儀式のことで、同時に本願寺のご住職も譲られることになります。

 現在の即如御門主が就任されたのが昭和五十二年ですから、私たちの宗門にそれより三十七年ぶり、お念仏のみ教えを開かれた宗祖・親鸞聖人より数えて第二十五代目の御門主が誕生されることになります。

 浄土のみ教えをいただく者が大切にすることばの一つに、「自信教人信」があります。

自は自ら、信は信じる、教は教える、人は人、信は信じると書いて「自信教人信」です。
 
これは、親鸞聖人がお敬いになった中国の僧・善導大師のことばで、「阿弥陀仏のみ教えをまず自ら信じ、その教えの尊さを未だ信じていない人々に伝え信ぜしめること」で、お念仏をいただく者が忘れてはならない勤めといえましょう。

 私たちの宗門は、親鸞聖人以来、歴代の御門主を中心に多くの僧侶・門徒方によってお念仏のみ教えが受け継がれてきました。

 その長い歴史の間には、人が僅かしか参らない衰退の時期もあり、あるいはご門徒が溢れ巨大な力を持ち時の政権と対立しなければならないときもあり、教団といわれる形を取ってからは、様々な社会の変動に巻き込まれたときもありました。

 しかし、どのようなときにあろうとも、宗門のそこにいた方々の願いは自信教人信~阿弥陀仏のみ教えをまず自ら信じ、その教えの尊さを未だ信じていない人々に伝え信ぜしめることでありました。

 六月六日、西本願寺に第二十五代専如新門主が誕生されます。

 新御門主の誕生をお祝いしつつ、縁ある一人ひとりが自信教人信の心を、確かにしたいと思います。

6月1日~自信教人信の心確かに。2014年06月01日【217】

5月16日~占いが必要ない人生

 五月に入り、野山は新緑が輝いて、とても清々しい日が続いています。

 さて、親鸞聖人のお言葉に、「念仏者は無碍の一道なり」というものがあります。

 「無碍」とは、さまたげがないということで、「お念仏をいただく者は、何ものにもさまたげられることのない、確かな真実の道を歩むのだ」という意味です。

 まことに力強い一言ですが、このお言葉は、浄土真宗のみ教えをいただく人には、占いや現世祈祷にたよらない生き方が開かれるという意味にもなります。

 先日、本屋さんで少し立ち読みをしていましたら、宗教関係の書棚付近から数名の中年女性の声が聞こえてきました。

 「この前、この占いの本を買ったのだけど結構当たってるから、今はこれを信じてる」、「この血液占いはダメ、当たらないから今こっちの本を信じてるの」、「この人の占いね、前は当たったんだけど今は前々当たんなくなっちゃった」。

 こんな会話で、皆さんとても真剣な様子です。きっと日々の生活の中で様々な悩みや問題を抱えながら生活をされ、それが少しでも好転するようにと、占いにたよっていることが窺えました。

 しかし一方で、あっちの占いは当たらないから今度はこっち。こっちを信じていたけど、当たらなくなったから今度はあっちを信じると、結構忙しいのだなと思いました。

 「占いを信じている人ほど、占いを信じていない」という言葉がありますが、まさしくその通りです。「占いは、人生のトランプカードのようなもの」といった人がありますが、その女性方のお話は、大切な一日一日が、ババを引くかキングを引くかの薄っぺらなカードゲームのようにも聞こえてしまいました。

 お念仏をいただく生活とは、悩みや問題が無くなるわけではありませんが、如来さまの本願力によって、それらを力強く乗り越えていく道が開かれるのです。

 決して占いの存在を否定するものではありません。私の人生に占いはまったく必要が無いのです。仏さまのみ教えによって、肩に力の入らないゆったりとした人生が開かれるのです。

5月16日~占いが必要ない人生2014年05月16日【216】

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