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6月1日~自信教人信の心確かに。

 六月に入り、急に気温が上がり、全国的に熱中症が心配されています。

 さて、今月六日、京都・西本願寺では、いよいよ法統継承式が行われます。

 法統継承式とは、浄土真宗本願寺派の第二十四代即如御門主よりご子息である専如新門様へお代替わりをされる儀式のことで、同時に本願寺のご住職も譲られることになります。

 現在の即如御門主が就任されたのが昭和五十二年ですから、私たちの宗門にそれより三十七年ぶり、お念仏のみ教えを開かれた宗祖・親鸞聖人より数えて第二十五代目の御門主が誕生されることになります。

 浄土のみ教えをいただく者が大切にすることばの一つに、「自信教人信」があります。

自は自ら、信は信じる、教は教える、人は人、信は信じると書いて「自信教人信」です。
 
これは、親鸞聖人がお敬いになった中国の僧・善導大師のことばで、「阿弥陀仏のみ教えをまず自ら信じ、その教えの尊さを未だ信じていない人々に伝え信ぜしめること」で、お念仏をいただく者が忘れてはならない勤めといえましょう。

 私たちの宗門は、親鸞聖人以来、歴代の御門主を中心に多くの僧侶・門徒方によってお念仏のみ教えが受け継がれてきました。

 その長い歴史の間には、人が僅かしか参らない衰退の時期もあり、あるいはご門徒が溢れ巨大な力を持ち時の政権と対立しなければならないときもあり、教団といわれる形を取ってからは、様々な社会の変動に巻き込まれたときもありました。

 しかし、どのようなときにあろうとも、宗門のそこにいた方々の願いは自信教人信~阿弥陀仏のみ教えをまず自ら信じ、その教えの尊さを未だ信じていない人々に伝え信ぜしめることでありました。

 六月六日、西本願寺に第二十五代専如新門主が誕生されます。

 新御門主の誕生をお祝いしつつ、縁ある一人ひとりが自信教人信の心を、確かにしたいと思います。

6月1日~自信教人信の心確かに。2014年06月01日【217】

5月16日~占いが必要ない人生

 五月に入り、野山は新緑が輝いて、とても清々しい日が続いています。

 さて、親鸞聖人のお言葉に、「念仏者は無碍の一道なり」というものがあります。

 「無碍」とは、さまたげがないということで、「お念仏をいただく者は、何ものにもさまたげられることのない、確かな真実の道を歩むのだ」という意味です。

 まことに力強い一言ですが、このお言葉は、浄土真宗のみ教えをいただく人には、占いや現世祈祷にたよらない生き方が開かれるという意味にもなります。

 先日、本屋さんで少し立ち読みをしていましたら、宗教関係の書棚付近から数名の中年女性の声が聞こえてきました。

 「この前、この占いの本を買ったのだけど結構当たってるから、今はこれを信じてる」、「この血液占いはダメ、当たらないから今こっちの本を信じてるの」、「この人の占いね、前は当たったんだけど今は前々当たんなくなっちゃった」。

 こんな会話で、皆さんとても真剣な様子です。きっと日々の生活の中で様々な悩みや問題を抱えながら生活をされ、それが少しでも好転するようにと、占いにたよっていることが窺えました。

 しかし一方で、あっちの占いは当たらないから今度はこっち。こっちを信じていたけど、当たらなくなったから今度はあっちを信じると、結構忙しいのだなと思いました。

 「占いを信じている人ほど、占いを信じていない」という言葉がありますが、まさしくその通りです。「占いは、人生のトランプカードのようなもの」といった人がありますが、その女性方のお話は、大切な一日一日が、ババを引くかキングを引くかの薄っぺらなカードゲームのようにも聞こえてしまいました。

 お念仏をいただく生活とは、悩みや問題が無くなるわけではありませんが、如来さまの本願力によって、それらを力強く乗り越えていく道が開かれるのです。

 決して占いの存在を否定するものではありません。私の人生に占いはまったく必要が無いのです。仏さまのみ教えによって、肩に力の入らないゆったりとした人生が開かれるのです。

5月16日~占いが必要ない人生2014年05月16日【216】

5月1日~悲しむべき傷むべきこと

 韓国の珍島沖で発生した旅客船・セウォル号の沈没事故は、未来を担う多くの青少年が命を失い、まだ多くの行方不明者がおられます。

一刻も早く家族のもとへ帰ってほしいと願わずにはおれません。犠牲になった方々へ心からお見舞い申し上げます。

 安全や危機管理の面から人災が濃厚だと連日報道されています。

事故の原因については調査中で、また韓国での事故ですので軽々に論じてはなりませんが、報道による限りこの悲惨で痛ましい事故が、子どもたちをあたたかく見守るはずの大人の無責任な姿勢によって発生し、子どもたちを正しき方向へ導くはずの大人の誤った行動によって、多くの若者の命が失われたことを、誠に悲しく思います。
 

社会にあって、子どもたちを常にあたたかく見守り、正しき方向へと導くのは年長者、つまり大人の役目です。

 世の中には思うようにならないことがたくさんあって、さらに様々な危険が至る所に潜んでいることを教えるのは大人の仕事です。だからこそ、日頃からの注意や点検を怠らないように導くのも大人の仕事です。

 さらに、もし思うようにならなくなったとき、あるいは自らに危険が及んだときは、慌てずに冷静な判断力でそれを回避することを教え導くのも大人の仕事です。

 しかし、この度の事故はどうでしょうか。

 船の荷物の積載量をはじめ日常の運行のあり方も基準をはるかに超えており、ライフジャケットや救命ボートにも不備があったようです。船長をはじめ事故直後の乗組員の行動にも怒りを感ぜずにはおれません。

 この度の事故と犠牲が、子どもたちを正しい方向へと導かねばならぬ大人の無責任と過失によって引き起こされたことが、誠に悲しむべき傷むべきことであります。

 お経の中に、「先に生まれんものは後を導き」とありますが、仏道のことだけに限らず、それが日常の生活の中にあることを心に深く刻みたいと思います。

5月1日~悲しむべき傷むべきこと2014年05月01日【215】

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