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12月1日~厳しい状況に思い馳せながら…

 令和七年も残すところあと一月となりました。

 さて、全国で毎日のようにクマの出没の報道があり、今年四月から十月までのクマによる死傷者が百九十六人と過去最悪の人的被害だそうです。被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 クマによる被害が多くなった理由は、夏の猛暑によって餌になる木の実が不足して、人間の生活圏まで下りてきたからだと言われます。

 また過疎化や高齢化により、山間部で人の管理が及ばない空間が広がり、人とクマの距離が縮まったことや、狩猟の減少によってクマの警戒心が低くなったこと、さらに個体数の増加などが挙げられています。

 クマの出没する場所も、一般の公道や大型商業店舗、幼い子どものいる保育園にまで広がり、その地域の人々の日々の恐怖と不安、生活への影響は相当なものです。

 また、人命を守るために、罠を仕掛けたり、人間の生活圏に侵入したクマを駆除するお仕事に関わる方々の、ご苦労も日々伝えられるところです。

 その厳しい状況に思いを馳せながらも、一方で忘れたくないのは、そのような状況をもたらした原因が、私たち人間にもあるということです。

 地球温暖化で春の訪れが早くなり、冬眠から目覚めたクマが食料を見つけるのが難しいことや、餌になる木の実が少なくなったのも温暖化の影響と言われます。

 そう考えると一概にクマ憎し。駆除、殺処分が当然だと言い切ることも難しい思いもします。

 クマのいない九州で、テレビの映像だけを見て語ることは慎むべきでしょうが、ここにも私たち人間の所業を顧みる必要があるようです。

 そしてそれ故に、殺されざるを得なかったクマのいのちを弔う気持ちも忘れたくありません。

12月1日~厳しい状況に思い馳せながら…2025年12月07日【487】

11月16日~しあわせと言える生き方を

 日増しに肌寒くなり、冬がすぐそこまで来ているように感じます。

 さて、先日友人の結婚式に参列しました。新郎新婦ともにサーフィンが趣味ということで、海が一望できる披露宴会場でした。二人の幸せそうな姿を見て、微笑ましい気持ちになりました。

 「幸せ」という言葉は、結婚式の時に、特に用いられる言葉です。この度の式でも「お幸せに」「幸せな家庭を築いて下さい」といった言葉を度々耳にしました。私は「幸せ」という言葉には、二つの書き方があることを教わったことがあります。

よく用いられる字は、「幸福」の「幸」の字です。そして、もう一つが「仕(つか)え合(あ)う」と書いて「仕合せ」です。現代で用いられる字の語源とも言われます。
 「仕える」とは、相手のために尽くすという意味があります。「仕え合う」とは、お互いを尊重し、助け合いながら生活する、自分の心から離れた生き方のことです。

「幸せ」とは、互いを思いやり、支え合うことができればこその生き方であることを、語源をもとに知らされました。

 この考え方は、浄土真宗のみ教えにも通ずるように思います。

どこまでも自己中心的な物事の考え方から離れることができないのが私の姿です。都合の良いものは受け入れて、そうでないものは遠ざけていく。自分の都合の良いように相手を操ろうとすることもあります。

 自分の基準でしか物事を測れない私だからこそ、自分中心の解釈ではなく、仏様のお心を鏡として、わが身を振り返ることが何よりも大切であることを知らしめて下さるのが、浄土真宗のみ教えです。

 夫婦生活のみならず、社会におけるあらゆる人間関係において、互いを思いやり、助け合うことができれば、幸せと言える生き方に近づくのではないでしょうか。

 仏様の教えに耳を傾け、自らの姿を見つめた先に、まことの幸せが築かれていきます。共々にお聴聞を重ねていきましょう。

11月16日~しあわせと言える生き方を2025年11月20日【486】

11月1日~一喜一憂にとらわれることなく

 紅葉に彩られた秋のことを、錦の秋と書いて「錦秋」と言いますが、この錦とはさまざまな色糸を使って模様を織り出した美しい織物のことです。

 さて、禅宗の言葉に「日日是好日(にちにちこれこうにち)」というものがあります。日という字が二つ、是正するの是という字に、好き嫌いの好きという字、最後にまた日という字を書いて「日日是好日」です。

 お茶席の掛け軸でご覧になった方もいらっしゃるでしょう。唐の時代の雲門文偃(うんもんぶんえん)という禅僧の言葉です。

 これは、「日日、毎日が、これはいい日だ」という意味ではありません。

 私たち、いのちあるものの日暮らしには、何が起こるか分かりません。

 すべてがおだやかで、健やかな日暮らしであればいいのですが、突然の病気や事故に遭うことがないとは言えません。何らかの災難がどこに待ち受けているか分かりません。私の人生ではっきりしているのは必ず死ぬということだけですが、そのことを予知することはできません。

 人の命は本当にはかないもの。だからこそ、この一瞬、この今、何が大切かをしっかりと見つめて、今なすべきことを精いっぱい勤めねばなりません。

 しかし、人間とは難しいもので、その日その日の出来事に一喜一憂したり、過去のことにとらわれていつまでも悔やんでいたり、未来のことに心配ばかりしてしまうことも現実です。

 「日日是好日」とは、晴れの日雨の日、良い悪い、好き嫌いなどの感情にとらわれず、日々の一喜一憂にもとらわれることなく、あるがままをあるがままに受け止めて、今日この一日を精一杯生ききることができることのすばらしさを説いたものです。

 今日この日は二度と帰ってこないかけがえのない一日です。目の前の事柄に振り回されることなく、清々しく生きて参りましょう。

11月1日~一喜一憂にとらわれることなく2025年10月31日【485】

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