こころの電話

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5月1日~いのちあるうちに種まきを…

 明るい光があふれる五月となりました。

 さて、お寺のお手洗いにはこのような詩が掲示してあります。

 はきものをそろえると 心もそろう
 心がそろうと はきものもそろう
 ぬぐときにそろえておくと はくときに心がみだれない
 だれかがみだしておいたら だまってそろえておいてあげましょう
 そうすればきっと 世界中の人の心もそろうでしょう

 これは長野県の禅宗のお坊さんである藤本幸邦先生の詩で、いつも私自身の心の有り様を問い直すために、掲示させていただいています。

もう一つ、藤本先生の詩を紹介します。

 よい種をまこう よい種をまけば よい花が咲き よい実が実る
 よい種をたくさんまこう
 地球が 花につつまれ みんなのしあわせが たくさんみのるように
 よい種を もっともっとまこう
 いのちのあるうちに たくさんまいておこう

 藤本先生はお坊さんですから、よい種とは仏さまの教えのことでありましょう。 仏さまの願いは、地球上のいのちあるすべてのものが、平和であることですから、よい種である仏さまの教えがたくさんまかれるということは、地球上にそれだけ平和の花がたくさん咲くということです。

 ウクライナやパレスチナ・ガザ地区をはじめ、世界の至る所で戦争や紛争が止むことがありません。

 藤本先生は、そのことを遠い国のこととはせず、自分の身近なところから、自分のできるところから、平和の種をまくことの大切さを教えてくださっています。 私自身にできる平和の種まきとは何でしょうか。

 風薫る五月に、そしていのちのあるうちに、取り組まねばなりません。

5月1日~いのちあるうちに種まきを…2025年05月02日【474】

4月16日~確かな意味が与えられる

四月も半ばを迎えます。

新たな生活に戸惑いを抱えながら、日々過ごされている方もいらっしゃることでしょう。

さて、今月のお寺の掲示板には、「出会い~ 本当に不思議なもの」と掲げさせていただきま
した。

多くの人と出会うことによって感動を覚え、様々な情報に出会って視野が広がり、喜びや悲しみ、苦しみ悩むことによって人生が豊かになる。

 私たちは様々な出会いの中で、日々を過ごしています。
 
 また時には、出会いの中で自分の生き方が変わったり、自分の都合の良いことに出会えば喜んで、自分に都合の悪いことに出会えば妬み、腹立ちが起こり、出会いによって心が多様に変化するのも人間の姿です。
 
 浄土真宗のみ教えをお説き下さった親鸞聖人も、多くの出会いの中で人生を歩まれました。
争いが頻繁に起こり、災害や飢饉が繰り返し起こる時代にお生まれになり、幼い頃にお母さまを亡くし、お父さまともお別れし、わずか九歳で出家しなければなりませんでした。

 その後も、度重なるご苦労の中で、多くの苦しみや悲しみと向き合い、九十年というご生涯を生き抜かれました。

 しかし、辛いだけの人生ではなかったと親鸞聖人は、私たちに伝えて下さっています。
 
 人は苦しみや悲しみから離れることはできないけれども、人生において、出会う一つひとつの出来事に、確かな意味を与えて下さる、阿弥陀如来という仏さまが、この私に常に寄り添ってくださっていることを、親鸞聖人は教えて下さっています。

 私の人生において出会う喜びや悲しみ、苦しみや悩みの一つ一つに大切な意味があることを教えてくださり、限りある人生の中で、まことの幸せを感じながら生きる道をお聞かせいただくのが浄土真宗のみ教えです。

 それは日々の聞法の生活から開かれていくものです。

4月16日~確かな意味が与えられる2025年04月21日【473】

4月1日~今はただ、遺徳を偲びつつ…

 桜が美しい季節です。

 明日ありと思うこころの徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

 親鸞聖人が、九歳の春、出家・得度をされるときに詠まれたと伝わる歌で、明日はどうなるかわからない命のはかなさを桜の花に喩えたものです。

 会者定離 かねてありとは聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり

 親鸞聖人が、流罪によってお師匠である法然上人と別れなければならない悲しさ、離れがたい思いをお詠みになった歌ですが、この歌も離別は無常であることを伝えるためによく紹介されます。

 この度、覺照寺の前住職が享年九十八歳にて往生の素懐を遂げました。

 高齢の身で、歩行は少しおぼつかない状況もありましたが、食事を作ること以外、日常のことはすべて自分で行うほど元気でありましたが、突然のお別れとなりました。

 先月三月二十日、二十一日のお彼岸法要には、お袈裟を付けてお寺の内陣に出勤し、参拝のご門徒方にお礼を述べ、「今月三十日、あと十日もすれば私も九十七歳を迎えます」と申しておりましたが、それも叶いませんでした。

 高齢ですので、その時はいつきてもよいと覚悟はしていたかもしれませんが、きっとこのように突然にとは思わなかったことでありましょう。

 私たち家族もまさかこんなに早く突然にとは夢にも思わず、命のはかなさを痛感することであります。

 散っていく桜の花びらは周囲の人々だけでなく、散っていく一枚一枚の中に、私の命も、私の親しい人の命もあるということがなかなかわからない。そして、そのことを常にこころに保ち続けることが難しいところに、人間の愚かさ、悲しさがあるのでありましょう。

 今はただ、前住職の遺徳を偲びつつ、お念仏申させていただきます。

4月1日~今はただ、遺徳を偲びつつ…2025年04月01日【472】

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