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7月1日~終戦80年に大切なこと

 先月二十七日に九州南部は異例の早さで梅雨明けをし、七十年ぶりの六月の梅雨明け、記録史上でも二番目に早い梅雨明けとなりました。

 さて、皆さまもご承知の通り、今年は第二次世界大戦の終結から八十年を迎える節目の年です。

 日本では、一九四五年八月十五日、昭和天皇による終戦の玉音放送によって戦争終結が国民に伝えられたことから、この日を終戦の日とされています。

 覺照寺の本堂も、同じ年の八月六日、米軍グラマン機による機銃掃射の攻撃を受け、その折の弾痕が数多く残ると寺として、毎年県内外より平和学習・戦跡巡りで多くの方々が見学に来られます。

 そのようなことから、覺照寺では、終戦八十年の特別行事として、本年八月九日土曜日の午後一時三十分より、「親子で願う平和のつどい」を開催することとなりました。

 この行事では、戦争で被災されたすべての方々の追悼法要をお勤めするとともに、岩川機銃掃射の様子をご存じの語り部の方に、戦争の怖さをお話しいただきます。

 また、いのちの尊さ大切さをテーマに音楽活動をされる弓削田健介さんによるすてきなコンサートもあります。

  ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルとパレスチナ・イランの紛争など、今国際社会は大きな不安のなかにあります。これらは私たちの生活とは決して無関係ではなく、これから将来を担う子どもたちにとって、数多の生命を危ぶむ戦争と平和の尊さについて考える機会を持つことはとても大切なことと考えます。

 「覺照寺 親子で願う平和のつどい」、本年八月九日、土曜日の午後一時三十分から、覺照寺の本堂で行います。

 親子でなくとも、どなたでも自由に参加できますが、事前のお申込みが必要で、申込書は覺照寺にあります。ぜひともご参加ください。

7月1日~終戦80年に大切なこと2025年07月01日【477】

6月16日~「ありがとう」に込めたもの

今月6月3日、ミスタープロ野球の名で知られる、長嶋茂雄さんが御年89歳にて往生されました。その選手時代のプレーや監督時代の活躍、残された数々の功績は世代を超えて、多くの人々の心に刻まれています。

 私も学生時代に野球をしてきたこともあり、特に、長嶋茂雄さんと現在福岡ソフトバンクホークス会長の王貞治さんが揃ってテレビに映る姿は、大変印象深いものでした。

 現役時代にはON砲と称された、読売巨人軍の3番バッター王、4番バッター長嶋の、二人が連続で打ったホームランの数は106本を記録しています。また現役を引退された後に実現した、ON対決と呼ばれる、監督長嶋茂雄読売巨人軍対監督王貞治福岡ダイエーホークスの日本シリーズの試合は、いつまでも語り継がれることでしょう。

 そんな長嶋茂雄さんとのお別れに、王貞治会長が残されたコメントが印象的でした。

 「ありがとうございましたという言葉ですべては表せると思います」

 王さんは、長嶋茂雄さんと同じ時代に生まれ、同じ巨人軍でプレーをし、共に野球の一時代を築き上げました。良き先輩、仲間として、時にはライバルとして追いかけ、いつしかONと称されるようになり、憧れの長嶋茂雄さんと肩を並べるようになりました。

 王さんは、長嶋さんのと思い出の一つ一つを顧みて、それは「ありがとう」の言葉一つですべてを表せるとおっしゃいました。

 「ありがとう」とは、「有ることが難しい」と書きますが、これは言い換えれば「決して当たり前ではない」ということです。

 王さんは、長嶋茂雄さんとの出会いとかけがえのない日々に、そして、決して当たり前ではなかった尊いご縁に対して、「ありがとうございました」の感謝の言葉一つで表されたのだろうと感じました。

長嶋茂雄さんが生涯をかけて伝えて下さった、野球への熱い思い願いは、王さんに、そして日本全国の多くの人々に届けられています。

 「ありがとうございました」

 その言葉でもって、私もお見送りの言葉とさせていただきます。

6月16日~「ありがとう」に込めたもの2025年06月16日【476】

5月16日~不安抱える私を見抜かれて・・・

 新縁がまぶしい季節となりました。

 さて、浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来の、救いのはたらきを「お手回し」と表現されます。
 
 これは、子育てをする母親が、子どもが思うよりも先に、子どものことをいろいろと心配して、その身の回りのことを準備してくださるように、私があれこれ願うよりも先に、阿弥陀さまがこの私を案じて救おうとはたらいてくださるから「お手回し」と言うのです。

 私がまだ学生で、この浄土真宗のみ教えと全くご縁がなかった頃、神社でおみくじを引くことがよくありました。初詣、大事な試験や試合の前、不安な気持ちを抱えている時に行きました。そこで大吉が出れば、どこか心がスッと楽になる感覚を今でも覚えています。

 しかし、「どうか一年健康に暮らせますように」、「どうか失敗しませんように」と、どれほど願い、大吉を引き当てようとも一瞬の喜び、ひとときの安心でしかなかったことも覚えています。時間が経てば、また不安な気持ちが蘇るのです。そして再び安心を求めて、何かにすがろうとする。その繰り返しであったように思います。

 私たちは、どこまでも不安と隣り合わせの人生を歩んでいます。時に神様、仏様に頼りたくなる気持ちも生まれます。

 しかし、私たちの日常を省みると、常に物事に一喜一憂し、感情が目まぐるしく変化する迷いの日暮らしを送りがちです。

 そのような私の姿をご覧になられて、まこと真実の教えをより所にして心豊かな人生を歩めるようにと、私が願うよりも先に、私を案じ願い続けてくださっている仏様が阿弥陀如来です。私が手を合わせ願う前に、もう既に阿弥陀さまが、私を導こうと手を施して下さっています。

 不安な気持ちはどこまでも消えることはありませんが、その心に阿弥陀如来がずっと寄り添っていることに感謝いたしたいと思います。

5月16日~不安抱える私を見抜かれて・・・2025年05月16日【475】

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