9月1日~あなたのいのちの年輪は…
虫すだく季節ですが、暑いからでしょうか、本格的な虫の合唱がまだ聞こえません。
さて、先日テレビで屋久杉の番組を見ました。
屋久杉は、屋久島の山地に自生するスギで、そのうち樹齢一千年以上のものを屋久杉というそうですが、その中でも有名なのが一九六六年に発見された縄文杉です。
多くの登山者や観光客にその神々しい姿で、自然の偉大さや圧倒的な存在感、生命の尊さや感動を与えていますが、多くの屋久杉が伐採された中で、なぜ縄文杉だけが残ったのか。
それは当時この大杉が、どの角度から見てもまったく商品価値のない、使いようのない大木だったからだそうです。
使い物にならない、まったく価値のなかった大木が、今に至って多くの人々に感動を与え、屋久島の観光を担っているとは興味深いお話です。
テレビに映る屋久杉の美しい木目や年輪を見ながら、ふと、自分自身のいのちの年輪というものを考えました。
屋久杉は、厳しい自然環境の中で長い年月をかけて、小さな年輪を幾重にも重ねていきますが、それを人生にたとえると、その人の言動や行動、日々の歩み、生活のあり方でありましょう。
能力もなく、何をやっても完全にできない私ですが、この人生の歩みの中で、家族をはじめ縁ある方々に、何か大切なことを伝えられるような年輪を残す生活ができているかどうか。
あの屋久杉の年輪のように、できることならば日々の生活を通して、あとに残る方々が少しでも心が豊かになるような、少しでも生活の指針となるような、少しでも心の支えとなるようなものが残すことができたならば、幸せなことだと思うのです。
あなたのいのちの年輪はいかがでしょう。少し立ち止まって顧みることも大切なことかもしれません。
2025年08月31日【481】