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5月16日~不安抱える私を見抜かれて・・・
新縁がまぶしい季節となりました。
さて、浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来の、救いのはたらきを「お手回し」と表現されます。
これは、子育てをする母親が、子どもが思うよりも先に、子どものことをいろいろと心配して、その身の回りのことを準備してくださるように、私があれこれ願うよりも先に、阿弥陀さまがこの私を案じて救おうとはたらいてくださるから「お手回し」と言うのです。
私がまだ学生で、この浄土真宗のみ教えと全くご縁がなかった頃、神社でおみくじを引くことがよくありました。初詣、大事な試験や試合の前、不安な気持ちを抱えている時に行きました。そこで大吉が出れば、どこか心がスッと楽になる感覚を今でも覚えています。
しかし、「どうか一年健康に暮らせますように」、「どうか失敗しませんように」と、どれほど願い、大吉を引き当てようとも一瞬の喜び、ひとときの安心でしかなかったことも覚えています。時間が経てば、また不安な気持ちが蘇るのです。そして再び安心を求めて、何かにすがろうとする。その繰り返しであったように思います。
私たちは、どこまでも不安と隣り合わせの人生を歩んでいます。時に神様、仏様に頼りたくなる気持ちも生まれます。
しかし、私たちの日常を省みると、常に物事に一喜一憂し、感情が目まぐるしく変化する迷いの日暮らしを送りがちです。
そのような私の姿をご覧になられて、まこと真実の教えをより所にして心豊かな人生を歩めるようにと、私が願うよりも先に、私を案じ願い続けてくださっている仏様が阿弥陀如来です。私が手を合わせ願う前に、もう既に阿弥陀さまが、私を導こうと手を施して下さっています。
不安な気持ちはどこまでも消えることはありませんが、その心に阿弥陀如来がずっと寄り添っていることに感謝いたしたいと思います。
5月16日~不安抱える私を見抜かれて・・・ | 2025年05月16日【475】
5月1日~いのちあるうちに種まきを…
明るい光があふれる五月となりました。
さて、お寺のお手洗いにはこのような詩が掲示してあります。
はきものをそろえると 心もそろう
心がそろうと はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら だまってそろえておいてあげましょう
そうすればきっと 世界中の人の心もそろうでしょう
これは長野県の禅宗のお坊さんである藤本幸邦先生の詩で、いつも私自身の心の有り様を問い直すために、掲示させていただいています。
もう一つ、藤本先生の詩を紹介します。
よい種をまこう よい種をまけば よい花が咲き よい実が実る
よい種をたくさんまこう
地球が 花につつまれ みんなのしあわせが たくさんみのるように
よい種を もっともっとまこう
いのちのあるうちに たくさんまいておこう
藤本先生はお坊さんですから、よい種とは仏さまの教えのことでありましょう。 仏さまの願いは、地球上のいのちあるすべてのものが、平和であることですから、よい種である仏さまの教えがたくさんまかれるということは、地球上にそれだけ平和の花がたくさん咲くということです。
ウクライナやパレスチナ・ガザ地区をはじめ、世界の至る所で戦争や紛争が止むことがありません。
藤本先生は、そのことを遠い国のこととはせず、自分の身近なところから、自分のできるところから、平和の種をまくことの大切さを教えてくださっています。 私自身にできる平和の種まきとは何でしょうか。
風薫る五月に、そしていのちのあるうちに、取り組まねばなりません。
5月1日~いのちあるうちに種まきを… | 2025年05月02日【474】
4月16日~確かな意味が与えられる
四月も半ばを迎えます。
新たな生活に戸惑いを抱えながら、日々過ごされている方もいらっしゃることでしょう。
さて、今月のお寺の掲示板には、「出会い~ 本当に不思議なもの」と掲げさせていただきま
した。
多くの人と出会うことによって感動を覚え、様々な情報に出会って視野が広がり、喜びや悲しみ、苦しみ悩むことによって人生が豊かになる。
私たちは様々な出会いの中で、日々を過ごしています。
また時には、出会いの中で自分の生き方が変わったり、自分の都合の良いことに出会えば喜んで、自分に都合の悪いことに出会えば妬み、腹立ちが起こり、出会いによって心が多様に変化するのも人間の姿です。
浄土真宗のみ教えをお説き下さった親鸞聖人も、多くの出会いの中で人生を歩まれました。
争いが頻繁に起こり、災害や飢饉が繰り返し起こる時代にお生まれになり、幼い頃にお母さまを亡くし、お父さまともお別れし、わずか九歳で出家しなければなりませんでした。
その後も、度重なるご苦労の中で、多くの苦しみや悲しみと向き合い、九十年というご生涯を生き抜かれました。
しかし、辛いだけの人生ではなかったと親鸞聖人は、私たちに伝えて下さっています。
人は苦しみや悲しみから離れることはできないけれども、人生において、出会う一つひとつの出来事に、確かな意味を与えて下さる、阿弥陀如来という仏さまが、この私に常に寄り添ってくださっていることを、親鸞聖人は教えて下さっています。
私の人生において出会う喜びや悲しみ、苦しみや悩みの一つ一つに大切な意味があることを教えてくださり、限りある人生の中で、まことの幸せを感じながら生きる道をお聞かせいただくのが浄土真宗のみ教えです。
それは日々の聞法の生活から開かれていくものです。
4月16日~確かな意味が与えられる | 2025年04月21日【473】