こころの電話

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1月16日~平常心とは・・・

冷たい風が、身にしみる季節です。

さて、野球選手として有名な「イチロー」こと、鈴木一郎さんが、近年、野球の普及活動のために、若い世代との交流を積極的にされています。その活動の一つとして注目されているのが、松井秀喜選手や松坂大輔選手などのそうそうたるメンバーを率いて行われる、女子高校生選抜チームとの交流試合です。

私は以前、その試合に関連する番組を見たことがありますが、その中で、イチローさんが高校生のために設けた質疑応答の時間があり、一人の生徒が質問をしていました。

「私はピンチやチャンスのとき、気持ちがあたふたしてしまいます。イチローさんはそのような場面で何を考えていますか。」
それに対して、イチローさんはこのように答えました。
「平常心を保とうとすることは無理なこと。保ちたいのは分かるけど、無理です。」

平常心とは一般に、どのような場面に出くわそうとも、いつもとかわらない平穏な心で対処するという意味で使われますが、イチローさんのような数々の記録を打ち立てた野球史に輝く名選手でも、ピンチやチャンスの時に、その平常心を保つことは無理と、はっきりとおっしゃることに驚きました。

元来、この平常心とは禅宗の言葉で、日常のありのままの心そのままが仏の悟りを目指す道である、ということで、「仏道をならうというは 自己をならうなり」といわれるように、それは自己の体と心の有り様を深く見つめていくことであります。
つまり、仏の悟りを目指す道とは、教えや知識の習得のみならず、欲望や自己中心的な心に振り回される自分に目覚めることが、何よりも大切だということです。

顧みますと、イチローさんが打ち立てた数々の偉業は、徹底した自己管理とその継続力の結晶といわれます。
もしかすると、野球の技術向上や研究と同時に、たゆまない努力の中で、普段より、自らの心の有り様を冷静に見つめる目までも養っておられたのかもしれません。

質問をした女性生徒のみならず、私たちはさまざまな場面で、緊張したり、焦ったり、不安を抱えることは多くあります。その心を抑え込みたい気持ちが起こることはやむを得ないかもしれませんが、常々、それらの心が何を原因にして生じるのかということを、深く見つめることも大切なことです。

イチローさんの言葉に、平常心の大切さを学びました。

1月16日~平常心とは・・・2026年01月16日【490】

1月1日~道は 光によって 開かれる

 二〇二六年、令和八年、明けましておめでとうございます。本年も「覺照寺こころの電話」をよろしくお願いいたします。

 さて、昨年末、最近よくお寺にお聴聞に来られるようになった高齢の女性が会話の中で、「お寺では、いのちの行く末はお浄土と言われますけど、誰も行ったこともないし、本当にあ
るのか分からないですものねぇ」とおっしゃいました。

 確かに、仏教・浄土真宗では、今生の命が尽きれば阿弥陀如来のお浄土という世界に往き生まれると説かれますが、もしも仏教が、そのことだけを説くのであれば、仏教も、浄土真宗もとうに衰退していただろうと思います。

 このお正月に、友人の僧侶から送られてきた新聞に、フランスの哲学者・ジャン=ジャック・ルソーの言葉がありました。

 「十歳にしては菓子に動かされ、二十歳にしては恋人に、三十歳にして快楽に、四十歳にしては野心に、五十歳にして貪欲に動かされる。いつになったら人間は、ただ叡智のみを追って進むようになるのであろうか」

 恥ずかしながら、まことに私の人生を言い当てた言葉だと思うのですが、一方で、私はお念仏にご縁をいただいており、事あるごとにそのみ教えをお聴聞する機会に恵まれました。

 ルソーの言うとおり、欲に駆られた人生ではあるのですが、一方で、お念仏をいただく日暮らし、み教えを聞かせていただく日暮らしは、欲におぼれることや、人の道を大きくはずれることを遠ざけて、人との出会いを大切にし、お陰さまの中で生かされ、心豊かな人生を送らせていただけるものだと感じます。

 道は光によって開かれる。光とはお念仏のみ教えのことです。

 自分のいのちの行末を説くのが仏教でありますが、その行末がお浄土であるとあきらかになったとき、そこから放たれる光によって、私の道・生き方ははっきりと照らされています。

 本年も南無阿弥陀仏のお念仏をいただきつつ、一日一日を大切に過ごして参りましょう。

1月1日~道は 光によって 開かれる2025年12月31日【489】

12月16日~忘れがちな私のために・・・

 一二月も半ばになりました。いよいよ、二〇二五年も終わりが近づいています。

さて、私が大学生の頃です。住んでいたマンションの近くのお蕎麦屋さんによく通いました。上京して、初めて一人暮らしをする私にとって、食事の面で非常に助かりました。通い続けるうちに、お店のご主人、奥様と親しくなり、三十歳を過ぎた今でも連絡を取り合うような仲です。

 先日、私はそのお蕎麦屋さんに、二年ぶりに寄らせていただきました。お二人ともお元気そうでした。ご飯をいただき、それから三時間程滞在し、お話に付き合っていただきました。

 大学時代、部活終わりの私に、毎回特盛のご飯を準備下さったこと。就職活動を終えて、内定先が決まりお祝いして下さったこと。そして、私が結婚した際にもお祝いをして下さったこと。色々なお話をしました。

大学生の頃には、当たり前のようにご飯をいただくだけでしたが、大学卒業後も変わらずに私のことを迎えて下さるお二人の存在は、本当に有難いものだと感じました。そして、どこまでも応援して下さるお二人の温かな心が、私をいつまでもお店に通わせるのだということに気付かされました。

 今年で創業四十五周年だそうです。これからも変わらぬままでいてほしいと思います。

 私たちは、多くのお陰さまの中で生活をしていることは、皆承知のことかもしれません。しかし、知らず知らずのうちに、お蔭さまの気持ちを忘れがちであることも事実ではないでしょうか。

そのような当たり前と思う日々に、「有難う」を知らしめてくださる教えが、仏教であり、浄土真宗のみ教えです。み教えをお聴聞する中に、自分自身の姿を見つめ直し、多くの支えの中で生かされていることに気付かされます。

今年も残すところわずかですが、一年を振り返ってみて、目を向けることのできなかった「有難う」がないでしょうか。

手を合わせお念仏申す中に、今年一年のお蔭さまに心をよせてみましょう。

12月16日~忘れがちな私のために・・・2025年12月22日【488】

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