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12月16日~忘れがちな私のために・・・
一二月も半ばになりました。いよいよ、二〇二五年も終わりが近づいています。
さて、私が大学生の頃です。住んでいたマンションの近くのお蕎麦屋さんによく通いました。上京して、初めて一人暮らしをする私にとって、食事の面で非常に助かりました。通い続けるうちに、お店のご主人、奥様と親しくなり、三十歳を過ぎた今でも連絡を取り合うような仲です。
先日、私はそのお蕎麦屋さんに、二年ぶりに寄らせていただきました。お二人ともお元気そうでした。ご飯をいただき、それから三時間程滞在し、お話に付き合っていただきました。
大学時代、部活終わりの私に、毎回特盛のご飯を準備下さったこと。就職活動を終えて、内定先が決まりお祝いして下さったこと。そして、私が結婚した際にもお祝いをして下さったこと。色々なお話をしました。
大学生の頃には、当たり前のようにご飯をいただくだけでしたが、大学卒業後も変わらずに私のことを迎えて下さるお二人の存在は、本当に有難いものだと感じました。そして、どこまでも応援して下さるお二人の温かな心が、私をいつまでもお店に通わせるのだということに気付かされました。
今年で創業四十五周年だそうです。これからも変わらぬままでいてほしいと思います。
私たちは、多くのお陰さまの中で生活をしていることは、皆承知のことかもしれません。しかし、知らず知らずのうちに、お蔭さまの気持ちを忘れがちであることも事実ではないでしょうか。
そのような当たり前と思う日々に、「有難う」を知らしめてくださる教えが、仏教であり、浄土真宗のみ教えです。み教えをお聴聞する中に、自分自身の姿を見つめ直し、多くの支えの中で生かされていることに気付かされます。
今年も残すところわずかですが、一年を振り返ってみて、目を向けることのできなかった「有難う」がないでしょうか。
手を合わせお念仏申す中に、今年一年のお蔭さまに心をよせてみましょう。
12月16日~忘れがちな私のために・・・ | 2025年12月22日【488】
12月1日~厳しい状況に思い馳せながら…
令和七年も残すところあと一月となりました。
さて、全国で毎日のようにクマの出没の報道があり、今年四月から十月までのクマによる死傷者が百九十六人と過去最悪の人的被害だそうです。被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
クマによる被害が多くなった理由は、夏の猛暑によって餌になる木の実が不足して、人間の生活圏まで下りてきたからだと言われます。
また過疎化や高齢化により、山間部で人の管理が及ばない空間が広がり、人とクマの距離が縮まったことや、狩猟の減少によってクマの警戒心が低くなったこと、さらに個体数の増加などが挙げられています。
クマの出没する場所も、一般の公道や大型商業店舗、幼い子どものいる保育園にまで広がり、その地域の人々の日々の恐怖と不安、生活への影響は相当なものです。
また、人命を守るために、罠を仕掛けたり、人間の生活圏に侵入したクマを駆除するお仕事に関わる方々の、ご苦労も日々伝えられるところです。
その厳しい状況に思いを馳せながらも、一方で忘れたくないのは、そのような状況をもたらした原因が、私たち人間にもあるということです。
地球温暖化で春の訪れが早くなり、冬眠から目覚めたクマが食料を見つけるのが難しいことや、餌になる木の実が少なくなったのも温暖化の影響と言われます。
そう考えると一概にクマ憎し。駆除、殺処分が当然だと言い切ることも難しい思いもします。
クマのいない九州で、テレビの映像だけを見て語ることは慎むべきでしょうが、ここにも私たち人間の所業を顧みる必要があるようです。
そしてそれ故に、殺されざるを得なかったクマのいのちを弔う気持ちも忘れたくありません。
12月1日~厳しい状況に思い馳せながら… | 2025年12月07日【487】
11月16日~しあわせと言える生き方を
日増しに肌寒くなり、冬がすぐそこまで来ているように感じます。
さて、先日友人の結婚式に参列しました。新郎新婦ともにサーフィンが趣味ということで、海が一望できる披露宴会場でした。二人の幸せそうな姿を見て、微笑ましい気持ちになりました。
「幸せ」という言葉は、結婚式の時に、特に用いられる言葉です。この度の式でも「お幸せに」「幸せな家庭を築いて下さい」といった言葉を度々耳にしました。私は「幸せ」という言葉には、二つの書き方があることを教わったことがあります。
よく用いられる字は、「幸福」の「幸」の字です。そして、もう一つが「仕(つか)え合(あ)う」と書いて「仕合せ」です。現代で用いられる字の語源とも言われます。
「仕える」とは、相手のために尽くすという意味があります。「仕え合う」とは、お互いを尊重し、助け合いながら生活する、自分の心から離れた生き方のことです。
「幸せ」とは、互いを思いやり、支え合うことができればこその生き方であることを、語源をもとに知らされました。
この考え方は、浄土真宗のみ教えにも通ずるように思います。
どこまでも自己中心的な物事の考え方から離れることができないのが私の姿です。都合の良いものは受け入れて、そうでないものは遠ざけていく。自分の都合の良いように相手を操ろうとすることもあります。
自分の基準でしか物事を測れない私だからこそ、自分中心の解釈ではなく、仏様のお心を鏡として、わが身を振り返ることが何よりも大切であることを知らしめて下さるのが、浄土真宗のみ教えです。
夫婦生活のみならず、社会におけるあらゆる人間関係において、互いを思いやり、助け合うことができれば、幸せと言える生き方に近づくのではないでしょうか。
仏様の教えに耳を傾け、自らの姿を見つめた先に、まことの幸せが築かれていきます。共々にお聴聞を重ねていきましょう。
11月16日~しあわせと言える生き方を | 2025年11月20日【486】