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12月1日~お陰さまがアタリマエの行為に…

 いよいよ今年も最後の月となりました。

 さて、サッカーワールドカップ・カタール大会では、日本は強豪ドイツに逆転勝ち。続くコスタリカ戦では敗れましたが、最後まで精いっぱい頑張ってほしいと思います。

 一方スタンドでは、日本人サポーターの試合後のゴミ拾いの行為が、海外から称賛を浴びています。そして、試合後にゴミを拾う日本人の姿を見て、モロッコやサウジアラビア、イランやフランスのサポーターたちもゴミ拾いを始めたという報道もあり、日本人の素晴らしい行為がスタンドでも広がっていることをうれしく思います。

 ゴミ拾いをする日本人へのインタビューがテレビで放映されていましたが、そこでまた、一つ話題になっているのが「アタリマエ」という言葉です。

 「教室やトイレ、運動場を自分たちが使った時は、最後にきれいに掃除するように、僕たちは教えられてきましたから、アタリマエのことです」と若い青年が話していましたが、ふり返れば、私たちも年配者も同じように育てられてきましたし、剣道の稽古をした道場も、いつも練習後は掃除をしていたことを思い出しました。

 日本人が自分たちが使った場所を、最後にアタリマエにお掃除ができるのは、その背景にはお陰さまの教えがあるように思います。

 お陰さまの「陰」とは、私を支える多くのはたらきのことで、私は決して自分一人で生きているのではなく、目には見えない多くの人とのご縁や、物のお陰によって、今日一日を支えられ生かされていることへの感謝の言葉です。

 そのお陰さまの心が具わっているからこそ、自然に、アタリマエのこととして、感謝のゴミ拾いが始まったのではないかと思います。

 ワールドカップでは、世界中のサッカー選手が感動のプレーを見せてくれることでしょう。と同時に、スタンドでは、アタリマエの素晴らしい感謝の行為が続くことでありましょう。

12月1日~お陰さまがアタリマエの行為に…2022年11月29日【417】

11月16日~蓋のとれた姿に…

 十一月も半ば、初霜の便りが届く頃です。

 さて、とんちで有名な禅宗のお坊さん・一休さんと、浄土真宗八代目のご門主・蓮如上人は室町時代、同じ時期に生きた方で、仏さまの教えを通して交流もあったと伝えられます。

 「阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり たのむ衆生をのみぞ助ける」

 ある日、一休さんが蓮如さんに、詩を通して問いました。

 これは、蓮如さんがお書きになった有名な『御文章』の中で、阿弥陀さまのお救いは条件がなく、わけへだてのない平等のお救いであり、「阿弥陀さまにたすけたまへとたのむ」ことが大切と説かれて、蓮如さんが阿弥陀さまのご本願をよりどころとすることを勧められています。

 一休さんはそこをとらえて、阿弥陀さまは、本当にわけへだてのない平等のお救いを持った仏さまなんですか。だって、阿弥陀さまのご本願をよりどころとする人しか救ってくださらないのではないですかと、得意のとんちをきかせて聞いた詩です。

 それに対して、蓮如さんが詩で応えています。

 「阿弥陀には へだつる心なけれども 蓋ある水に月は宿らじ」

 最近、本格的な冬到来にともなって、空気が澄んでお月さまが美しい夜が続きますが、水をためた大きな壺があると、そのまま水面に美しい月が映りますが、もしその壺に蓋がしてあれば、月が映ることは絶対ありません。

 それと同じように、阿弥陀さまは、誰彼わけへだてをすることなく、常にすべての者を救おうと、慈悲の光で平等に照らしてくださっていますが、阿弥陀さまのお目当てである私たちが、その光に気づこうとせず、教えを聞こうともせず、自らに蓋をしてしまっていては、届くべきものも届きません。

 常々、お寺にお参りくださる方々は、きっとこ蓋がとれたお姿なのでしょう。そして今、このテレホン法話を聞いてくださっているあなたさまも…。

11月16日~蓋のとれた姿に…2022年11月17日【416】

11月1日~宗教は知らされる世界

 秋も終わりに近づくにつれ虫たちの鳴き声も次第に小さくなっていきます。

 さて先月、ご門徒のWさんご夫婦が突然訪ねてこられました。

 イギリスに住んでおられるお孫さんが、この度中学校に進学されるにあたり、学校に信仰している宗教は何かを、届けなければならないとのことです。

 Wさんは、「住職さん、私の家はずっと仏教ですから、孫の書類にはぜひ仏教徒と書いて書類を送ってください」とのご依頼でした。

 現地の詳しいことは知りませんが、イギリスの公式宗教はキリスト教で、その他にも仏教やイスラーム、ヒンズー教なども認める他信仰国家ということですが、中学進学にあたって自分の宗教を、しかもお寺から直接届けなければならないという厳格さに感心することでした。

 昨今、「私は無宗教です」という言葉を聞くことがありますが、それは、法律や道徳の基準からはみ出さずに生きればよい、という考え方でありましょう。

 しかし、日常を省みると果たしていかがでしょうか。

 法律を破って警察に捕まれば、あの人は悪い人と言われるでしょうが、捕まらなければ善い人かというと、そうでもありません。

 テレビで、犯罪を犯した人について、周囲の人たちが、「あの人限ってそんなことをする人じゃない」「いつも地域や他人のために一生懸命な人で、何かの間違いですよ」と話すのは、きっとその犯人は普段は善い人だったのでしょう。

 人間という存在は、善いことと知りながらも善いことができず、悪いことと知りながらも、縁次第では犯さずにはおれない存在です。

 宗教は、人間の行為よりも、人間の存在そのものを深く見つめていく生き方を知らしてくれるものです。

 そのことを、ノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹先生は、「科学は知る世界であり、宗教は知らされる世界である」とおっしゃいました。

 宗教は、一度きりのかけがえのない人生を、真実に生きるためのよりどころであります。

11月1日~宗教は知らされる世界2022年10月29日【415】

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