こころの電話

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1月16日~被災地にこころをよせて…

 新しい年が明けて半月が過ぎました。

 今年の年明けは能登半島地震、また羽田空港での日航機と海上保安庁の飛行機が接触炎上という大きな震災と事故で始まりました。

 地震によって被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

 テレビの報道で、被災された方が、「今はただ、頑張るしかない」と、肩を落としておっしゃっていましたが、「しかない」という表現は、それ以外に方法がない、仕方がないからそうするしかないと、あきらめの時によく使う言葉ですが、被災されて何もかも失われた方が厳しい寒さの中でおっしゃった、「頑張るしかない」との言葉に、心が締め付けられる思いでありました。

 新年のテレホン法話でお釈迦さまが諭されたこの世の道理をお話ししました。

 縁起といって、私のいのちは、多くのいのちによって支えられ、生かされ、お互いにつながっているのですよという教えです。被災地に心をよせて、大きな事はできませんが、少しでも復興の支援のために努めたいと思います。

 無常といって、すべてのものは常に移り変わり、老、病、死をかかえた私自身も、いついかなる時にどうなるか、はかることはできませんよという教えです。震災も事故も、遠い地での話ではありません。その無常の中で私たちは一瞬一瞬を過ごしていることを心したいと思います。

 無我といって、伴侶や家族、財産など、常々頼りにしているものが本当は頼りにならない存在ですよという教えです。限りあるいのち持つ私たちにとって、現在も、未来も、本当に頼りとなるものは何なのかを求める日暮らしをしたいものです。

 親鸞聖人は、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とおっしゃいました。

このお言葉に、どのような意味があるのかを聞き訪ねていきたいと思います。

 共々に、被災地に心をよせて、できるところから支援のお手伝いをさせていただきましょう。

1月16日~被災地にこころをよせて…2024年01月21日【444】

1月1日~この世の道理に目覚めて…

 二〇二三・令和六年、明けましておめでとうございます。

 本年も、覺照寺「こころの電話」をよろしくお願いいたします。

 さて、お正月のお寺の掲示板には、先日読んだ本の中にあった法語をお借りして掲示しました。

 弥陀仏の 六字の御名を称えつつ 今日も歩まん 極楽の道

 お釈迦さまがお説きくださった仏さまの教えとは、特別な難しい教えではありません。

 縁起といって、私のいのちは、多くのいのちによって支えられ、生かされ、お互いにつながっているのですよという教えです。

 無常といって、すべてのものは常に移り変わり、老、病、死をかかえた私自身も、いついかなる時にどうなるか、はかることはできませんよという教えです。

 無我といって、伴侶や家族、財産など、常々頼りにしているものが本当は頼りにならない存在ですよという教えです。

 お釈迦さまは、この世の道理に目覚めなさい。本当に頼りとなるものを頼りとして生きていくことを、仏教という教えをもって示されたのであります。

 そのことを、親鸞聖人は、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とおっしゃいました。

 今日一日、多くのいのちによって支えられた私のいのち。いついかなる時にどうなるかわからない私のいのち。頼りとしているものが頼りとならない世の中で、生きていく私を、南無阿弥陀仏の阿弥陀さまは、そのまま抱きとめ、仏さまの道へと常に導いてくださいます。

 今年一年、南無阿弥陀仏のお念仏とともに、周囲の方々にはやさしく、周囲の方々のしあわせを願って、力強く生きていきましょう。

 弥陀仏の 六字の御名を称えつつ 今日も歩まん 極楽の道

 本年もよろしくお願い申し上げます。

1月1日~この世の道理に目覚めて…2024年01月05日【443】

12月16日~やがて務めを終えるときに…

 年末とは思えないほどの暖かな日が続きます。

 さて、先月末、人形供養法要に出向きました。会場には、ご本尊の回りにさまざまな人形が供えられ、その前でお勤めをしました。

 子どもの健やかな成長を願って求めた兜の人形や雛人形。旅行からのお土産や記念でしょう。地方色豊かな日本人形や西洋からの人形。ゲーム機で取ったのでしょうか、キャラクターや動物の小さな人形から大きなぬいぐるみまで。私たちの生活の場で、あるときは人々にやすらぎを与え、あるときは幼い子どもたちに微笑みを与え、あるときは人々の心に癒やしを与え、その務めを終えたたくさんの人形たちの感謝のご法要でした。

 私たちは普段、たくさんのモノによって生活を支えられていますが、そのモノたちが務めを終えたとき、感謝の心で処分をしているでしょうか。

 例えば下着や靴下や洋服など。毎日私たちの汗にまみれて、何回も何回も洗濯機でもみくちゃにされて、やがて務めを終えていきます。その時に、感謝の思いで手を合わせているでしょうか。

 時折、お寺に新車を求めたのでお勤めをしてくださいと来られ、お寺ではお祓いはしませんから、仏式での意義を伝えてお勤めしますが、逆に下取車を出すときに手を合わせて見送っているでしょうか。

 雨風をしのぎ、仕事やレジャーのために奔走し、いよいよ古くなって売られていくとき、感謝の思いで見送っているでしょうか。

 身の回りのモノは、すべて私の毎日を支えるものではありますが、その陰には多くの人々がかかわっていることも忘れてはなりません。

 年末に当たり、この一年、私の日暮らしを支えてくれたすべてのモノと人に感謝をし、合掌とともに過ごしたいと思います。

 今年一年、覺照寺心の電話をお聞きいただき誠にありがとうございました。

 令和六年は、元旦の朝、内容が変わります。皆さま和やかなお年をお迎えください。

12月16日~やがて務めを終えるときに…2023年12月16日【442】

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