8月1日~やがて一緒、いつも一緒
暑い日が続きます。昔、中国にあったという涼しさを呼ぶ珠「招涼の珠」とやらがほしい日々です。
さて、八月の仏事であるお盆は、亡くなった身近な方々を、あとに残る人々が偲ぶ日として毎年行われますが、よくよく考えると、その亡き人を偲ぶ人、つまりこの私たちもやがてその亡き人の数に入っていきます。
いやいや、私のことはまだ先のこと…。果たしてそうでしょうか。僧侶の勤めをしていますと、決してお亡くなりになる方はお年を召した方ばかりではありません。人生これからの若い人、働き盛りまっただ中の人、そして思いがけない病気や突然の事故などその原因もさまざまで、本当に人のいのちには後先順番がないことを教えられます。
そう考えますと、お盆という行事は、あとに残る方々が、亡くなった身近な方々を偲び感謝すると同時に、自分自身の死を見つめる日でもあるということです。
自分のいのちが終わるとどうなるのか。自分のいのちがどこに行くのか。自分のいのちは今どこに向かって生きているのか。お盆は、その人生の問いをたずねていく仏事でもあるのです。
そのことについて、いつも仏事でお勤めされる『仏説阿弥陀経』の中に、「倶会一処(くえいっしょ)」というお言葉があります。
私はこのお言葉を、「やがて一緒、いつも一緒」と味わっています。
やがて一緒とは、日々仏さまに手を合わせお念仏を申して生活をする人は、やがて一緒に会うことのできるお浄土がありますよということです。
いつも一緒とは、日々仏さまに手を合わせお念仏を申し、その教えをいただいて生活する人には、いつも仏さまが寄り添ってくださり、お浄土への道が常に開かれていますよと味わいます。
今年もお盆がやってきます。仏さまとなられた方々と倶会一処、やがて一緒、いつも一緒のお念仏の日暮らしをさせて頂きましょう。
2025年08月01日【479】