
11月1日~一喜一憂にとらわれることなく
紅葉に彩られた秋のことを、錦の秋と書いて「錦秋」と言いますが、この錦とはさまざまな色糸を使って模様を織り出した美しい織物のことです。
さて、禅宗の言葉に「日日是好日(にちにちこれこうにち)」というものがあります。日という字が二つ、是正するの是という字に、好き嫌いの好きという字、最後にまた日という字を書いて「日日是好日」です。
お茶席の掛け軸でご覧になった方もいらっしゃるでしょう。唐の時代の雲門文偃(うんもんぶんえん)という禅僧の言葉です。
これは、「日日、毎日が、これはいい日だ」という意味ではありません。
私たち、いのちあるものの日暮らしには、何が起こるか分かりません。
すべてがおだやかで、健やかな日暮らしであればいいのですが、突然の病気や事故に遭うことがないとは言えません。何らかの災難がどこに待ち受けているか分かりません。私の人生ではっきりしているのは必ず死ぬということだけですが、そのことを予知することはできません。
人の命は本当にはかないもの。だからこそ、この一瞬、この今、何が大切かをしっかりと見つめて、今なすべきことを精いっぱい勤めねばなりません。
しかし、人間とは難しいもので、その日その日の出来事に一喜一憂したり、過去のことにとらわれていつまでも悔やんでいたり、未来のことに心配ばかりしてしまうことも現実です。
「日日是好日」とは、晴れの日雨の日、良い悪い、好き嫌いなどの感情にとらわれず、日々の一喜一憂にもとらわれることなく、あるがままをあるがままに受け止めて、今日この一日を精一杯生ききることができることのすばらしさを説いたものです。
今日この日は二度と帰ってこないかけがえのない一日です。目の前の事柄に振り回されることなく、清々しく生きて参りましょう。
2025年10月31日【485】