7月16日~「他力本願」 本来の意味とは
蝉が鳴き始め、本格的な夏の訪れを感じる季節になりました。
さて、浄土真宗には「他力本願」という大切な言葉があります。普段の日常生活においても、聞き馴染みのある言葉かもしれません。
プロ野球の試合などで、自力優勝が叶わなくなったチームが、他のチームの結果次第で優勝ができる、といった場合に「他力本願」とネットや新聞などで用いられることがあります。
この言葉は、世間一般的には「他人まかせ」という意味で用いられるようですが、本来はそのような意味ではありません。
「他力本願」とは、阿弥陀如来の生きとし生きるすべての者を救いたいという強い願いのはたらきを意味します。
煩悩を抱える私たちは、怒り腹立ち、妬み嫉むといった、どこまでも仏様のお心とは程遠い生き方しかできません。
阿弥陀如来は、そのような私をほっておくことができず、必ず救いたいと願いを向け続けて下さる仏様です。
もし、阿弥陀如来のおはたらきを分かりやすく言うならば、それは「風」にたとえられるかもしれません。
私たちは、風そのものを目で見ることはできませんが、風によって動かされるものを見ることで、風の存在に気付くことはできます。
風に吹かれ揺れ動く枝や葉っぱのように、阿弥陀如来はあらゆる仏縁を通して、迷いの世で悩み苦しむ私たちをお念仏申す身へと導いて下さっています。
私もこれまで多くの方々の、手を合わせお念仏申す姿と出会わせていただきました。
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と申す姿とは、阿弥陀如来の「どうかあなたを救いたい。どうかお念仏を称えてほしい」との願いそのままにお念仏申す姿でありました。
「他力本願」とは、決して「他人まかせ」という意味ではなく、阿弥陀如来の私たち一人ひとりの命を必ず救いたいという強い願いのはたらきのことです。
そして、阿弥陀如来の願いのはたらきによって、今この瞬間も、私たちはお念仏申す身へと育てられています。
お聴聞を重ねていき、共々に、浄土真宗のみ教えを正しく聞いて参りたいものです。
2025年07月16日【478】