10月16日~いのちの現実と・・・
ようやく、秋の涼しい風を感じる季節になりました。
さて、仏教の教えをお説き下さったお釈迦様が二十九歳の時のことです。当時、お城に住んでいたお釈迦様は、東西南北にあるそれぞれの門から外に出られました。
東門では年老いた人の姿を、南門では病に苦しむ人の姿を、西門では亡くなった人の姿を、そして最後に北門では修行する僧侶の姿を見たといいます。お釈迦様は、命の現実を目の当たりにされて、悩み苦しまれ、出家を決意したといわれ、この出来事は、四門出遊として今に伝わります。
では、今を生きる私たちは命の現実にきちんと向き合うことはできているでしょうか。私はある先生に聞いた言葉が大変印象に残っています。
「今の日本は、命に蓋をしているように見える」
命の現実に目を向ける機会が失われつつあることを、表わされた言葉です。
お葬儀の形態も、昔は地域の人たちが協力してご自宅で勤めていましたが、今では葬儀社の主導による葬儀が当たり前になりました。また、人生の最期を迎える場所も、生まれ育った自宅ではなく、病院で迎える人がほとんどです。
葬儀のあり方や医療の発達などの、あらゆる環境の変化によって、命の問題が社会から見えづらくなり、どこか他人事になることを先生は問題視されていました。
そして、そのような状況下でも、命の現実と向き合える場所に身を置き続けてほしいというのが、先生の願いでした。
生れたからには、老いることも、病を患うことも、死ぬことも避けることはできません。どれ程時代が変わろうとも、厳しい命の現実が変わることはありません。
お釈迦様がお説き下さった仏教は、私の命の現実から目をそらすことなく、しっかりと見つめ、その上で、私が歩むべき確かな道をお示し下さる教えです。
お寺は、仏様の教えを通して命の問題と向き合うことのできる、いわば命の学校です。どうぞお寺にお参りいただき、共々に教えに耳を傾けましょう。
2025年10月16日【484】