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12月16日~一番言ってほしくない部分
今年もはや大掃除の時期となりました。
さて毎年、健康で生活できるために健康診断を受けていますが、もしも検査を受けて、数値が高かったり、何か臓器に影が写ったりすると、再検査の案内があり、大きな病院を紹介されて精密検査を受けることになります。
そんなとき、私も含めて、おおよそ皆の口から出るのは、「やばい、検査に引っかかってしまった」という言葉です。
今までの生活に支障が出るかも、仕事にも影響が出るかも、様々なことを考えてしまいますから、当然かもしれません。
しかしよく考えてみると、その検査は私を悪い方向へ引き釣りこもうとしたり、おとしめようとしているわけではありません。
私の体の悪いところを見つけるための検査ですから、悪いところが見つかったならば、「よかった、悪いところを見つけてくださって、教えてくださってありがとう。感謝します」というのが本来かもしれませんが、なかなかそのような言葉はこの口から出てきません。
自分自身の期待する状況と異なる状況になったから、それに対する不満や憤り、落胆や不安があるからでありましょう。
お寺でのお聴聞も同様のことが言えるかもしれません。仏さまの教えを聞くと、怒り腹立ちねたみが途絶えることのない私とか、罪深い悪人の私とか、自分自身の心の中や行いの、一番言ってほしくない部分を指摘されるようであります。
「人の噂話は嘘でもおもしろいが、自分の噂話は本当でも腹が立つ」という言葉がありますが、自分自身の心の奥底や行動を指摘されることは気持ちのいいものではありません。
でも、健康診断は体の悪いところを作っているわけではありません。体のここが悪いから早く直せという催促です。
お寺でのお聴聞も仏さまからのお救いのご催促です。
12月16日~一番言ってほしくない部分 | 2024年12月14日【465】
11月16日~大人の意識やはからいえて…
温暖化でしょうか、わりとあたたかな秋です。
さて、先日テレビで、横断歩道で歩行者が待っている時、歩行者のために車が進んで止まる確率を都道府県別に調べた結果が放送されており、全国で一番が長野県で、しかも数年連続で一位ということでした。
単年ならまだしも数年一位とは何か原因があると番組が調べたところ、長野県では横断歩道で車が止まった時に、子どもたちがその車に頭を下げてお礼をすることが県民レベルで長年習慣となっていて、頭を下げてお礼をしていたその子ども達が、やがて大人になりドライバーとなって、横断歩道で子どもたちのために進んで止まることが自然に受け継がれているということでした。
番組の中では出演者がそれぞれの感想を述べていましたが、一人のコメンテーターがそのよき習慣は認めながらも、横断歩道は歩行者優先で車が止まるのはあたり前で、それに子どもがお礼をするなんて何かおかしい、不条理だな言っていました。
交通ルールを守り、優先順位を守らなければ危険が伴いますし違法になる時もあるという大人の規範意識は、安全と社会秩序を守るために大切なことです。しかし、長野県の子どもたちはその大人の意識を超えて、「していただいたことに対して素直にお礼をする」という尊い行為が連綿と受け継がれた結果が、逆に社会的に素晴らしい結果をもたらしていることに感動します。
信号機のない交差点にさしかかったとき、すぐさまどちらが優先かということが頭をよぎります。こちらが優先で先に道を譲ってもらってもお礼もせずアタリマエ、向こうが優先で道を譲っても知らんぷりで目の前を通り抜ける。
子どもたちはそのような意識や大人のはからいを超えて、止まってくださったこと、譲ってくださったことに対してただ感謝する、その素直な心に学びたいものです。
小春日に、すがすがしいニュースを耳にしました。
11月16日~大人の意識やはからいえて… | 2024年11月18日【464】
11月1日~くらべたりくらべられたり…
日足も短くなり、秋風が心地よい季節となりました。
さて、ご法事などでよくお勤めされる、『仏説阿弥陀経』というお経の中に、「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という言葉があります。
「青色は青色の光を放ち、赤色は赤色の光を放ち・・・」と、阿弥陀様のお浄土の世界では、それぞれの蓮の花が、それぞれの色で光輝いて咲いるということが説かれています。
これは、すべての命は、わけへだてされることがない平等の命であり、一つ一つの命が対立したり、差別されたり、見下げられたりすることなく、それぞれに精いっぱいに喜び、光り輝いていることを表したものです。
私たち人間一人ひとりは、それぞれの考え方、価値観を持ちつつ毎日を送っています。
青色の価値観の人もいるでしょう。黄色の価値観の人もいるでしょう。赤色の考え方を持った人もいるでしょう。
それぞれの人がそれぞれの考え方、価値観を認め合い、尊重し合うことができればよいのですが、時には、自分の価値観を相手に押しつけたり、対立したり、相手を認めることができなかったりすることもあります。
また、自分と他人を比較して劣等感を感じ落ち込んだり、逆に、少しでも他人より自分に秀でたところがあれば、心の中に驕り高ぶりまで出てくるのが私の姿です。
そのような私の姿を見抜いて、くらべたり、くらべられたりすることのない、一つ一つの命が喜び輝く世界をお示し下さった仏さまが阿弥陀如来です。
「どんなあなたでも、尊い命をいただいているのだから、あなたはあなたのままでいい。あなたはあなたの人生をそのままで、精一杯生きてゆけばそれでよい」と、常にこの私を照らし導いてくださっている、その願いとはたらきが六字にこめられたのが南無阿弥陀仏のお念仏です。
これからも阿弥陀様のみ教えを、共々に聞かせいただきましょう。
11月1日~くらべたりくらべられたり… | 2024年11月01日【463】