こころの電話

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9月1日~米一粒も作れず…

 先日の台風十号の後かたづけに追われていましたら、このテレホン法話の変更をすっかり忘れていました。申し訳ありません。

 さて、その台風十号は各地で猛威を振るい、農作物にも大変な被害を与えました。被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 台風の被害に加えて、全国的なお米不足が報道されている毎日ですが、今年春に、褒章を受けられた俳優の段田安則さんが、受章のコメントを残されています。

 「米一粒作れず、世間のお役に立っているとは思えない私が紫綬褒章を賜るとは、まさに望外の喜びです」

 また、「俳優はゼロからは何も生み出せません。舞台の上、カメラの前に立たせてくださった方々、一緒に仕事をさせていただいた方々のお力添えに感謝いたします」とおっしゃっています。

 「米一粒も作れず、世間のお役に立っているとは思えない」とは、農業を生業している以外の人は、私も含めて皆そうです。

 身近なところでお米がなくなったとき、はじめてその存在の有り難さに気づきがちですが、このような言葉がすぐさま出るということは、段田さんは常日頃から、その有り難さを心から感じながら生活されているのでありましょう。

 「俳優はゼロからは何も生み出せません」とは、俳優さんもそうですが、それ以外のすべてのお仕事もそうでありましょう。人間は一人では何も行うことはできませんし、一緒にお仕事をしてくださる多くの方々のお陰で、一人ひとりのお仕事も生活も成り立っています。

 多くのいのちと皆さまのおかげによって、私の今日一日が成り立っていることにあらためて感謝したいと思います。と同時に、身近なところから、その多くのご恩に報いていく生活に努めたいと思います。

9月1日~米一粒も作れず…2024年09月04日【459】

8月16日~大切なこと伝える貴重な機会

 それぞれの季節のはじめに吹く風を初風といいますが、秋の初風はいつ吹くのでしょうか。

 さて、今年も初盆をお迎えになったご門徒方がたくさんお寺にお参りいただきました。

 お寺の受付で初盆でお参りのご門徒をお待ちしていると、おばあさんとお孫さんと見受ける高齢の女性と若い女性の二人がお越しになりました。

 すると、高齢の女性が若い女性を促すようにして、二人でていねいなご挨拶をしてくださいました。

 次ぎに、高齢の女性が若い女性に、風呂敷で包んだお供え物を出すように促し、そのお供え物の上に、カバンからお布施を取り出して乗せるようにして、「本日は祖父の初盆で参りました。どうぞよろしくお願いいたします」と、誠にていねいなご挨拶をいただきました。

 その後に、高齢の女性が私に向かって、「孫はこの度初めて身内の初盆を迎えます。ですから、一つ一つ教えながら参っております」とおっしゃり、今度は孫に対して「今日はまた、いい勉強をしたね」と言って本堂に向かわれました。

 私はその二人の後ろ姿をたのもしく、ありがたく見送りました。

 山本五十六さんの名言に、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」 という言葉がありますが、これは軍事の教育とは離れた仏事の場面でも同じことが言えるかもしれません。

 核家族がアタリマエになり、以前は家の中で自然の内に受け継がれ伝えたれてきた大切な事柄が伝わらない時代になりました。

 初盆や年忌法事とときに、親から子へ、子から孫へと、仏事にかかわる大切なことを一つ一つていねいに伝えることは貴重な機会です。

 やってみせて、説明して聞かせて、させてみせて、できたら褒めるなかで、仏事の心をお伝えください。

8月16日~大切なこと伝える貴重な機会2024年08月17日【458】

8月1日~悩み苦しみの現実に身を置きながら…

 「夜の秋」とは夏の季語。厳しい暑さの日が続いても、ふと秋を想う涼しさを感じさせる夏の夜をさすそうです。

 さて先日、鹿児島市内の鶴丸城のお堀沿いの道路を車で通りかかったら、蓮の花がきれいに咲いていて、それを写真に収める多くの通行人の姿がありました。

 仏教の花と言えばこの蓮の花です。仏像のほとんどが蓮の花の形をした台座に座るか、もしくは立っておられ、最高に清らかなところから、私たちを見守っていてくださいます。

 また、観音菩薩や勢至菩薩はまだ開いていないつぼみの蓮をもっています。これは菩薩という存在は、今はさとりを開いていませんが、ご修行の果てにやがて必ずさとりを開くことができることを表しているそうです。

 なぜ、蓮の花が仏教を象徴する花かというと、蓮の花は、濁った泥の中で芽を出し成長していきますが、花は泥に染まることなく、やがて一輪の清らかで美しい花を咲かせます。

 これと同じように、仏さまのみ教えを聞き、少しずつでもそれを実践して人生を送る人は、怒りや腹立ちやねたみやそねみが渦巻き、悩みや苦しみの多い現実社会にその身を置きながらも、蓮の花のように清らかで、美しい人生を送ることができることを表しているからです。

 蓮の花の上にお立ちになる阿弥陀如来は、私たちが清らかでこころ豊かな人生を送るために、その救わんとするおはたらきを南無阿弥陀仏という名号にこめて届けてくださっています。

 人生が辛いとき、悲しいときは南無阿弥陀仏。阿弥陀さまがその辛さ悲しさから解放されるときまで寄り添ってくださいます。

 嬉しいとき楽しいときも南無阿弥陀仏。阿弥陀さまが共に慶び、その慶びをさらに意義あるものにしてくださいます。

 お念仏と共に、蓮の花のようない清く美しく、こころ豊かな人生を送って参りましょう。

8月1日~悩み苦しみの現実に身を置きながら…2024年08月02日【457】

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