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6月1日~一人ひとりの病状に応じて

 太陽の日差しが一段と眩しい季節になりました。

 さて、今から約二五〇〇年前に、お釈迦様によって仏教は開かれました。そのお釈迦様のお説法の特徴は、「応病与薬」と言われ、一人ひとりの悩み苦しみに応じて、薬を与えるように教えを説かれたということです。

 現代において、薬は、医師の診察の下で出される「処方薬」と薬局で薬剤師に相談して選ぶ「市販薬」を合わせると、約二万五〇〇〇品目におよぶと言われます。それに伴って、私たちは容易に薬が手に入るようになりました。そして今では、不治の病とも言われていた癌でさえも、治る可能性が生まれています。一人ひとりの病状に応じて、有難いことに多くの薬が完成しています。

 それと同じように、お釈迦様は、私たち一人ひとりの悩み苦しみに応じて、救いの教えをお説きになったのです。

 この世で生きる私たち人間の悩みや苦しみは、子育てや経済的な問題、人間関係やお仕事など様々です。まして、老病死から逃れることのできない私たちは、その恐れや悩みから逃れることはできません。

顧みれば、この世に生を受けた瞬間から、老病死をかかえた私たち人間の悩みは、お釈迦様がいらした二五〇〇年前と、何も変わりはありません。

さらに、感染症拡大に悩まされ、世界の各地で紛争は起こり、さらに将来の地球環境までもが心配され、人々の悩み苦しみは深まるばかりです。

どのように時代が変わっても、私たち人間は、悩みや苦しみと向き合わねばなりません。しかし、お釈迦様は、遠い昔より、その人間の持つ苦悩の原因を見通して、私たち一人ひとりが悟りの道へと歩む教えを示してくださいました。

私の苦しみが深いゆえに、仏の慈悲に限りがない。
私の迷いが深いゆえに仏の智慧に限りがない。
そのおいわれを、正しく聞いてまいりましょう。

6月1日~一人ひとりの病状に応じて2024年06月01日【453】

5月16日~お別れするその時に…

 空豆が美味しい季節となりました。

 さて、この度、長年乗ってきた自家用車を乗り換えました。

 新車が来る前日に、これまで乗ってきた車の前に、阿弥陀如来のご本尊を安置してお勤めをしました。

 思い返せばこの数年間、近隣遠方、お仕事でどこに行くにも、私を目的地まで安全に運んでくれました。

 大雨の日も、台風の日も、炎天下の暑い日も、凍り付くような寒い日も、エアコンのきく快適な空間の中で、私を目的地まで運んでくれました。

 さらに、初めて行くところにはナビゲーションで案内を、また快適な音楽を奏でながら運んでくれました。

 多くの人は、新車を迎えたときに、事故が起きないように安全にと、神仏にお願いをされることが多いようです。その気持ちはわからないでもないのですが、私はこれまで乗ってきた車とお別れをするときの方を大切にしています。

 なぜなら、私が車を運転して生活する以上、絶対に事故なく安全に過ごすことは不可能ですし、神仏にそれをおまかせするのは無茶な話です。

 しかし、ご縁があって、自動車が私のところに来て、お仕事でもレジャーでも、お別れするその日まで安全に、快適に、過ごさせてくれたのはその車のお陰です。

 この度も約十万キロ走行しましたが、足下を支えてくれたタイヤはどれほど回転したでしょうか、その身をすり減らしたでしょうか。お別れする車が、私と家族のために、精いっぱい務めてくれたのは間違いのない事実だからです。なんと有り難いことでありましょうか。手を合わさずにはおれません。

 仏教は、縁起の法を説く教えであります。すべての物事には、原因があって、縁がはたらいて存在しています。そのことを深く味わっていくところに、こころ豊かな人生が開かれます。

 お別れと同時に、新しく運ばれてきた車にも、「またこれからよろしく」とご挨拶をしました。

5月16日~お別れするその時に…2024年06月01日【452】

5月1日~人として大切にしたいもの

 風薫るさわやかな季節になりました。

 さて、昨今、多くの親族が集まって行うご法事というものが、次第に減りつつあるように感じます。

 ここ数年続いた新型コロナの影響も大きいでしょうが、別の原因の一つとして、考えられるのが核家族でありましょう。

 親子二世代、三世代が、共に生活をする家庭は今や珍しくなりました。またそのことは、家の形にも影響を与え、身近なところでも洋風の家が多くなり、それと同時に、仏間として活用されてきた和室が家庭から消えつつあります。

 仏間という場所は、日々の生活において、仏様へ報恩感謝の思いを伝えるために必要不可々な場でありました。朝夕のお参りはもとより、頂き物をしたらまず仏様にお供えしてからいただく、家族間での大切なお話は仏間で身を正して聞くなど、そこには仏様を中心にした家庭生活がありました。

 しかしながら、家族形態や家の形の変化につれて、共に暮らすことで親から子へ、子から孫へと自然と受け継がれてきた、人として大切にしたい事柄が、今や伝わりづらくなっています。先に述べたご法事もその一つでありましょう。

 私たち人間は、自分の身に何かが起きなければ、普段の生活の有難さには気が付かない生き物です。大切な方を失ったときや、病を患ったときに初めて、当たり前の生活かそうではなかったことに気づかされます。
 
 仏様に手を合わせるとは、私たちの日常の生き方を見つめ直す、尊い時間であります。またご法事は、ご先祖の命日を通して、仏様のみ教えを聴かせていただく大切な時間であります。

 家族形態や家の形が変わろうとも、縁ある方々が集まって仏様へ手を合わせるご縁を大切にしたいものです

5月1日~人として大切にしたいもの2024年05月01日【451】

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