2月1日~罪の意識と後悔の思いを抱いて
立春を過ぎると、光の輝きは次第に春めいてきます。
さて、昨年の九月にラジオであるニュースを耳にしました。
熊本市の戸島神社で、日ごろから神社の管理をしている総代会の人たちが賽銭の回収に訪れたとき、箱の中に手紙と十万円が入った封筒があったそうです。
手紙には、「三十年以上になります。小さいころ家がまずしくてさいせんから、ぬすみました。本当にすいません。しっかりがんばってそれ以上のお金をお返しいたします。ずーっと考えてまして、今日、これて本当によかったです」。
それは、過去の過ちを謝罪する手紙と償いとしての現金十万円でした。
きっとこの人は幼い頃、貧しさの上から賽銭箱からお金を盗んでしまったことを三十年数年間、ずっと罪の意識と後悔の思いを抱いてきたのでありましょう。いつかいつかお返しなければとの思いを抱いてきたことが察せられる手紙です。
もちろんお金を盗むことは犯罪ですから、その行為は許されるものではありません。後からお金を返してその時の罪がすべて消えるわけでもありません。またこのニュースを美談とすることも慎まねばなりません。
しかしこのニュースを聞いてなぜか温かな気持ちになるのはどうしてでしょう。
人は皆、完全な人は誰もいません。長い人生の中で、お金やものを盗むまではなくとも、言動や行動で他人を傷つけたり、過ちを犯したりすることはだれしもあることで、その重い罪の意識と後悔の思いにさいなまれることはあることです。人ごとではありません。
しかしその思いを三十年以上消し去ることをせず、どうにか償いをしたいというその一人の人間の姿に感動を覚えるのです。
「昔のことを反省して立ち直る姿を想像し、温かい気持ちになった」、「お金は神社のために使いたい。本人にも感謝を伝えられたらいいのだが…」。それは神社総代さんのこのような言葉にも表れています。
2025年02月02日【468】