
1月1日~道は 光によって 開かれる
二〇二六年、令和八年、明けましておめでとうございます。本年も「覺照寺こころの電話」をよろしくお願いいたします。
さて、昨年末、最近よくお寺にお聴聞に来られるようになった高齢の女性が会話の中で、「お寺では、いのちの行く末はお浄土と言われますけど、誰も行ったこともないし、本当にあ
るのか分からないですものねぇ」とおっしゃいました。
確かに、仏教・浄土真宗では、今生の命が尽きれば阿弥陀如来のお浄土という世界に往き生まれると説かれますが、もしも仏教が、そのことだけを説くのであれば、仏教も、浄土真宗もとうに衰退していただろうと思います。
このお正月に、友人の僧侶から送られてきた新聞に、フランスの哲学者・ジャン=ジャック・ルソーの言葉がありました。
「十歳にしては菓子に動かされ、二十歳にしては恋人に、三十歳にして快楽に、四十歳にしては野心に、五十歳にして貪欲に動かされる。いつになったら人間は、ただ叡智のみを追って進むようになるのであろうか」
恥ずかしながら、まことに私の人生を言い当てた言葉だと思うのですが、一方で、私はお念仏にご縁をいただいており、事あるごとにそのみ教えをお聴聞する機会に恵まれました。
ルソーの言うとおり、欲に駆られた人生ではあるのですが、一方で、お念仏をいただく日暮らし、み教えを聞かせていただく日暮らしは、欲におぼれることや、人の道を大きくはずれることを遠ざけて、人との出会いを大切にし、お陰さまの中で生かされ、心豊かな人生を送らせていただけるものだと感じます。
道は光によって開かれる。光とはお念仏のみ教えのことです。
自分のいのちの行末を説くのが仏教でありますが、その行末がお浄土であるとあきらかになったとき、そこから放たれる光によって、私の道・生き方ははっきりと照らされています。
本年も南無阿弥陀仏のお念仏をいただきつつ、一日一日を大切に過ごして参りましょう。
2025年12月31日【489】