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7月16日~もののあはれ感じる中に…

 猛暑で、一回のお勤めで衣の下は汗だくになってしまいます。

 さて、前回のテレホン法話で、宮崎の椎葉村に残る民謡・稗搗節を紹介し、生活の中にある道具からもお念仏のみ教えを味わうことのできる心の豊かさをお伝えしましたが、聞いてくださった女性より、お電話をいただきました。

 その方は、「私たちは毎日、忙しすぎますね。朝から晩まで動き通し。またその元気で忙しいことが美徳のように思うような所もあって…」とおっしゃって、私も同調することでありました。

 季節は夏。少し足を止めて周りを見わたせば、夏を感じるものはたくさんあります。

 アサガオが咲く季節です。セミが勢いよく鳴き、昆虫のかげろうも姿を見せるでしょう。

 アサガオは、早朝に咲いて昼頃にはしおれてしまいます。セミもカゲロウも短命で有名な虫たちです。

 そして、アサガオやセミ、カゲロウたちの命短な姿は、私たちに人生のはかなさを教えてくれます。

 しかし短命だから、はかないからと言って、それらが人間に嫌われ避けられてきたかと言えばそうではありません。

 アサガオが鮮やかな色を放って精いっぱい咲く姿の中に、ことばでは表すことのできない美しさ、すばらしさを人は感じます。

 セミの寿命は実際には一ヵ月ほどと言われますが、それでも限りある命を精いっぱい鳴き続ける姿に、もののあはれを感じ、多くの俳人がそれを詩に詠みました。カゲロウも同様です。

 大切なことは、一輪の花を、あるいは小さな虫たちの姿を見て、美しさやすばらしさ、あるいは愛でる心や潤いを得ることのできる豊かな心を養うことです。

 そして、そのことを通して、自分のいのちや人生を顧みて、同じ限られた命をどのように生きるのか、自分の人生はどうあるべきなのか、考えるよすがとすることがさらに大切なことであります。

 忙しい中にも、僅かな時間を取って、夏を味わう時間を持ちましょう。

7月16日~もののあはれ感じる中に…2014年07月16日【220】

7月1日~落としゃせぬぞぇ 火の中に…

 関東地方では、ゲリラ豪雨や雹が降り、さらに突風も吹いて、大きな被害にならないことを願います。

 さて、六月中旬、宮崎において九州のお寺の代表者による研修会があり、出席しました。

 二日目の朝、お勤めの後、宮崎の椎葉村にあるお寺のご住職の法話がありました。

 椎葉村は宮崎県の北西部にある人口約二九〇〇人の村で、交通の便が大変悪く、急激に過疎化が進む村で、その地域に西本願寺のお寺が六カ寺あるそうです。

 そのご住職は、地域の様子や過疎化が進む中でお寺を護持することの大変さをお話しくださいましたが、最後に、その地域に残る民謡・稗搗節を実際に歌って紹介くださいました。

といっても、ただの稗搗節ではありません。お念仏のみ教えの味わいの替え歌です。
 
おどま 自在鉤 仏でござるよ~
 
落としゃせぬぞえ 火の中によ
 
こんなご縁がもう一度あればよ~
 
弥陀のおかげか ありがたいな~
 
実際にその歌声を聞いていただけないのが残念です。

 自在鉤とは、ご承知の通り囲炉裏や竈の上から吊して、鍋や釜を自在に上下させるカギのことですが、それを阿弥陀さまに喩えて、煩悩を持った罪深き私たちを必ず救って、火の燃えたぎる地獄に決して落とすことはないという阿弥陀さまの救いの誓いを詠ったものです。

 そして、お念仏のみ教えを聞くご縁を心から喜んで、さらにそのご縁がもう一度あることを心から願って、阿弥陀さまに感謝の心を詠ったものです。

 ゆっくりとした時間が流れる中で、生活の中にある道具からもお念仏のみ教えを味わうことのできる心の豊かさと深さを感じます。

 毎日齷齪している現代人には味わうことが難しい、お念仏のみ教えに育まれる情緒豊かな感性とも言えましょう。

 忙しい中にも、僅かな時間を取って、仏法を味わう時間を持ちましょう。

7月1日~落としゃせぬぞぇ 火の中に…2014年06月30日【219】

6月16日~時を超えて感謝の思いを…

 梅雨入り宣言とともに、あじさいの花がいっせいに咲き出しました。

 さて数年前、覺照寺の本堂の大修復をしたときのことです。

 その工事をするために山口県から来た宮大工の棟梁が私に言いました。

 「住職さん、この本堂を建てた宮大工はすばらしい仕事をしてますよ。約八十年経つのに建物に全く狂いがない。またいい部材を選んで作ってますね」。

 私は、自分のお預かりするお寺が専門の宮大工に誉められたので素直に嬉しく、お寺を建ててくださった、直接会ったこともない宮大工の技術に感心するとともに、お寺を建立するために浄財を進納くださった当時のご門徒方に感謝の思いがわいてきました。そして、その宮大工に対して、

 「でも不思議ですね。このお寺を建てた宮大工さんたちは皆、今はこの世にはもうおられません。おられないのに今、同業者の宮大工さんに認められ誉められているんですね」と言いました。

 すると、「そうなんです。私たちが評価されるのは、私たちが死んでから何十年何百年も経ってからです。だからいい加減な仕事はできないんです。ええものを残さねばならんのです」と、おっしゃいました。

 この度、国宝に認定された京都の本願寺の御影堂は、さらにすばらしい建物です。平成二十三年に大修復を行いましたが、その建物を専門家が調べたら、なんと震度七クラスの地震にも耐えうる建物だということが分かったそうです。

 これは卓越した技術と経験の賜物ということができましょうが、それに加えて多くの方々の願いが形に表されたものということが言えると思います。

 ここは尊い仏さまをご安置するところであり、多くの方々が敬いと感謝の思いを寄せるところ、そして末代まで残さねばならない大切な建物であるということに対する重大な責任が、すばらしい建物を生み出したのでありましょう。

 直接会ったことはない方々ばかりでありますが、時を超えて、多くの方々の願いが結集した御堂の中で、手を合わすことのできる幸せを感じながら、お参りしたいと思います。

6月16日~時を超えて感謝の思いを…2014年06月15日【218】

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