こころの電話

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11月1日~見方、関わり方によっては…

 季節は晩秋、銀杏の木もいよいよ黄色に染まり初めました。

 さて、少し昔のことですが、言うことを聞かない幼児に親が、「そんなにいうことを聞かないなら病院に行って、大きい注射をしてもらいますよ」ということがありました。

 この言葉に、渋々親の言うことをきいたという人もいるのではないでしょうか。

 しかし大人になった今、思い返すと、この言葉は病院にとっては大変迷惑なことです。

 なぜなら、病院は大変恐ろしい所だからです。病院には怖いお医者さんや看護師さんがウヨウヨいて、大きな注射器やメスを持って言うことを聞かない子をいつでも待っていて…。これでは怖い妖怪屋敷と一緒です。

 本来、病院は人々の病気や怪我を治して下さる所であり、お医者さんや看護師さんは生涯をかけた仕事として人のため社会のために尽力下さるところですが、そんな有り難い病院も一面だけ見たり、また見方、関わり方によっては怖い所になってしまいます。

 浄土真宗の教えに、お念仏を申す人は「この世の縁がつきるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」とありますが、お浄土も、死んでから参るところだとばかり考えている人が多いのではないでしょうか。

 お浄土は覚りの世界。つまりこの世のすべての悩みや苦しみから解放されたまことの幸せを得る世界で、そこで真実に目覚めた仏さまに成らせていただくのです。

 そして、仏さまという存在は、この人間の世界に還ってきて、後に残る人々がまことの幸せを得る身となるように、心豊かな人生が送れるように、常にはたらき導く方であります。

 つまりお浄土も仏さまも止まってじっとしている存在ではありません。、私たちのために今の今、動き通し、働き通し、尽力し通しの存在なのです。

 子どもにとっての病院と同じで、見方、関わり方によっては、まことの姿が見えなくなってしまいます。

11月1日~見方、関わり方によっては…2014年10月30日【227】

10月16日~なぜ大きな声でお経を読むの?

 大きな台風が去ったとたん、寒さが急激に増してきました。

 さて先日、土曜学校に通う小学生の男の子が、「お寺ではなぜ大きな声を出してお経をお勤めするのですか。ご法事やお葬儀でも、なぜ、お経をお勤めするのですか」と質問しました。

 常々お寺にお参りをして、本堂でお勤めをするお坊さんの姿を見ているからこその質問です。私はこのように答えました。

 お経は、仏さまの教えを説いてくださったお釈迦様のお言葉が記されています。

 お釈迦様は、私たち人間一人ひとりがどのように生きていけば本当の幸せを求めることが出来るのか、また心豊かで安らかな日々を送ることが出来るのかをお話くださり、それをまとめたのがお経です。

 お経を読みお勤めすることは、いつでも自分の生き方を反省して、仏さまの願いにかなった正しい生き方を教えてもらっているのです。

 また、ご法事やお葬式でお経をお勤めするのは、私たち一人ひとりが、この命を終えるその時まで、何を一番大切にすべきかを教えていただいているのです。

 とても残念なことですが、この世に生まれたものは必ず死ななくてはなりません。

「死ぬのはイヤだ」と誰しも思うけど、絶対に避けることは出来ないし、逃げることも出来ないし、代わることも出来ません。

 お経のどこを読んでみても死なない方法は書いてありませんが、一度きりのいのちをどのように大切に生きるのかという方法はいっぱい書いてあります。そして、仏さまの世界・お浄土でまた新しいいのちをいただく方法まで書いてあります。

 ご法事やお葬式でお経をお勤めするのは、後に残る縁ある私たちが、そのことを教えていただいているのです。大きな声は、仏様の心が一人でも多くの人に届くように、精いっぱいお勤めしているのです。

 質問した小学生には、以上のことをわかりやすくゆっくりとお話ししました。

 小学生からお寺や仏さまについての質問が出ることは、とても有り難いことです。

10月16日~なぜ大きな声でお経を読むの?2014年10月18日【226】

10月1日~感じ方受け止め方によって…

 お彼岸も終わり、日増しに秋の気配が深まってきました。

 日中はまだ汗ばむ日もあるのですが、朝夕は肌寒い日も多く、夜休むときは一枚布団を増やした方もあるのではないでしょうか。

 人々の表情もそれぞれです。

 「毎日とても過ごしやすくなりましたね」とおっしゃる方もおられます。逆に朝夕の寒暖の差に体調を崩す方もおられ、病床にある方の中には亡くなられる方もおられます。

 また、普段健康な方でも鼻をずるずるさせて、「この時期の風邪はなかなか治りません」とおっしゃる方もおられます。

 暑い夏が去って過ごしやすい秋の到来とは言えども、人の感じ方や受け止め方によってさまざまな状況があり、一面だけをとらえて評価は出来ません。

 このことは季節だけではなく、私たち人間も同様のことが言えます。

 誰でもよい点があれば悪い点もあります。そして相手の受け止め方によって評価は分かれます。

 周囲の誰にでも愛想がよくお付き合いが出来る人を、ある人はわけへだてのない優しい人だと言い、別の人は八方美人だと評価します。

 いつも歯に衣着せぬ物言いで意見する人を、ある人は不躾な人だと言い、別の人は真正直な人だと評価します。

 また自分の意見や思いに添った人であればよい評価をしますし、嫌いな人に対しては悪い評価をしてしまいます。

 私たち人間の眼や心は、人や物事を正しく見て正しく判断することがなかなか出来ない難しい生き物ですが、しかし人間として生きていく以上、お互いよりよい人間関係を築き、身近なところから和やかな世界をめざすべきでありましょう。

 それには、自らの狭い心に縛られることのない広い心、お互いが認め合い敬い合うことの出来る豊かな心をいただくことが大切です。

 仏教は、それは仏さまのお話を聞く生活に恵まれると教えます。どうぞ、仏さまの教えをお聞きください。

10月1日~感じ方受け止め方によって…2014年10月02日【225】

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