こころの電話

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2月1日~知識生かす知恵あってこそ。

 全国的にインフルエンザが猛威を振るっています。

 さて、新たな年が明けて間もないのに、イスラム国による日本人の殺害など痛ましい事件が発生し、大変残念で悲しい思いがします。

 日本においても、名古屋大学の十九歳の女子学生が高齢の女性を殺害したという事件があり、その女子学生は調べに対し「中学生の頃から人を殺してみたかった」と述べ、さらに高校時代には友人に薬物をもったとも述べ、現にアパートより毒性の強い薬物が見つかったと報道されていました。

 また昨年、これと同様の事件が長崎で発生したことも記憶に新しいことです。

 いずれも残忍な事件でただ驚くばかりです。またいずれも優秀な学生でそれだけに「なぜ」という疑問がわいてきます。

 人にとって知識が多く、優秀なことにこしたことはありません。しかし知識は頭の中に材料を多く詰め込んだようなもので、それを正しく上手に生かす技術がなければ意味をなしません。それを智慧といいます。

 例えば、いくらよい食材がそろっても、一つ一つの食材の特徴を正しく理解し、それぞれの食材が最高に生かされるように的確な料理ができる技術を持った料理人がいてこそ、すばらしい料理はできあがります。

 正しい技術を持たない料理人であればまずい料理になるでしょうし、誤った理解を持った料理人であればせっかくの食材を腐らしてしまうこともあるでしょう。

 それと同じように、人は皆、知識を生かす技術を持つことが大切です。またそれと同時に、いくら多くの知識を持っていても、人は誤りをおかす可能性を持ちながら生きているという自覚も必要です。

 それには幼い頃より、人として生まれて生きていく上で何が大切なのかを学ぶ機会を持つことが重要であり、その教えこそ仏教の智慧であります。

 人は知識だけでは、本当に心豊かなまことの人生を歩むことはできません。

 常に自分の本当の姿が明らかになり、自分の歩むべきまことに道を知らなければなりません。仏法を聞く功徳と利益はそこにあるのです。

2月1日~知識生かす知恵あってこそ。2015年02月01日【233】

1月16日~私はいったい何をしたのだろう?

 一月十六日は、親鸞聖人の祥月命日である御正忌。京都の本山本願寺には全国から多くのご門徒方がご参詣になりました。

 さて昨年末のこと、ふと、私はこの一年にいったい何をしたのだろうと顧みました。

 しかし、よく考えてみると、私はこんなことをしたのだと、はっきり言えるものがないことに気づきました。

 怠けていたわけでも、遊んでいたわけでもありません。時間に追われながら毎日日々の仕事を勤めてきたつもりです。でも、一年の最後に言えることは、「忙しい一年だった」ということだけなのです。

 さらに、恥ずかしいことに、何一つ完璧に出来たものはないのです。

 お経も一年間完璧にできたかと言えば、途中で風邪をひいたり喉を痛めたり。ご法話も完璧かと言えば、途中で言葉を忘れたり、相手にうまく伝わらなかったり、表現不足があったり。事務仕事も時間に追われて不備があったり。他人様からの相談にも十分な対応をしてお力になれたかと言えばそうでもありません。

 自らの日記でさえ所々書けていませんし、今更その日のことを思い出そうとしても、残念なことにかすかな記憶さえ残っていません。

 毎日毎日、自分なりに精いっぱい努めたつもりなのですが、現実にはこのような状態で、そこに残るのは「忙しかった」という言葉だけです。

 でも、このような私でも、そのままでいいから自分の出来る範囲で精いっぱい努めなさいと励ましてくださる方がおられます。それなりによく頑張りましたと認めてくださる方がおられます。そして、どれだけ出来なくてもだいじょうぶ、絶対に見捨てませんよと常に呼んでくださる方がおられます。

 そのお方は阿弥陀さまという仏さまです。

 私は朝夕、その阿弥陀さまに南無阿弥陀仏とお念仏を申し、お参りさせていただくことに幸せを感じます。そして今日も精いっぱい、私なりに努めるばかりであります。

1月16日~私はいったい何をしたのだろう?2015年01月17日【232】

平成27年1月1日~夜昼常にあなたを護る。

 新年、明けましておめでとうございます。

 今年も、覺照寺「心の電話」をよろしくお願いいたします。

 さて、新年にあたり、今年もまたお念仏を申し、そのお謂われを聴聞しながら生活したいと思うことですが、お念仏を申す日暮らしの中で得られる利益に、世間が言う余計なことが全く気にならず、災いすることがないという利益があります。

 そのことを親鸞聖人は、和讃というお書物で、「南無阿弥陀仏のお念仏を称える人は、あらゆる天の神々が夜昼常に護る」と述べ、「お念仏を称える人には、あらゆる悪い鬼を近づけることはない」とも述べられ、さらに「お念仏を称える人を、すべての悪い鬼や神は、皆ことごとく恐れおののくであろう」と述べられています。

 そして、「お念仏を喜ぶ人を、すべてのあらゆる仏さまが常に包み込み、よろこんで護ってくださる」と、念仏者の利益を讃えられています。

 私たちの毎日の生活は、まことに不安定なもので、何があるか、何が起こるか分かりません。

 すべての物事が、自分の思うとおりにすべてが進めばよいのですがそうはいきませんし、自分の思いとは逆の方へ向かうことがないともいえません。

 そのようなときに、何か自分以外の別の者がよくない働きをしているのではと思いがちで、世間ではそれをタタリとか悪霊とか言います。

 親鸞さまは、お念仏を申す者は、物事が順調なときはもとより、順調でないときも、そのような災いがまったく障ることがなく、どのような状況にあろうとも、心を落ち着かせて、感謝の思いで一日一日大切に生活できることをお示しくださいました。

 今年も人それぞれ、いろんな出来事があることでしょう。毎日お念仏を申しながら、明るく力強く、心豊かな日暮らしをさせていただきましょう。

平成27年1月1日~夜昼常にあなたを護る。2015年01月02日【231】

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