こころの電話

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12月1日~人から褒められるときは。

 二〇一四年も残すところあと一ヵ月。月日が経つのは早いものです。

 さて、年齢を重ねると共に様々な式典の場で挨拶をする機会が増えました。

 結婚式や役職者の交代式での挨拶、またお葬式は挨拶ではありませんが、毎回ご法話を
させていただきます。

 そのような機会があるごとに、その当事者のことを縁ある方々によく聞いた上で挨拶をするように心がけています。そうでなければ、いい加減な挨拶になってしまうからです。

 するとやっぱり、その当事者のいい点を見つけてお話しすることになりますが、よくよく考えてみると、人がめいっぱい褒められるときは、結婚式や何か大きな成功を収めたとき、あるいは人生最後の儀式であるお葬式の時かもしれません。

 人から褒めてもらったり、あるいは認めてもらうということは、やっぱり嬉しいことです。

 私も昔お勤めをしていたときに、上司から褒められたときは、大変嬉しかったことを覚えています。例えそれがお世辞であったとしても。

 だからやはり常々、周囲の人の長所を見つけては、それを認め讃えることに努めた方がよいでしょう。

 ただ一つ、自分自身が褒められた時に、お釈迦さまからアドバイスがあります。

 「ただ誹られるだけの人、また褒められるだけの人は過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない」

 周囲の人から認めていただいたり、褒めていただいたときは、褒めていただいたことに感謝をし、さらに周囲の人に喜んでいただけるような努力をしましょう。と同時に、有頂天になることを避けて、まだまだ足らないところや自分自身に欠点があることを忘れてはならないと、お釈迦さまは諭されています。

 そして常日ごろから、自分自身の本当の姿を知ろうとする姿勢が大切です。

 それは仏さまのお話を聞くことから始まります。

12月1日~人から褒められるときは。2014年12月02日【229】

11月16日~もう会えないかもしれないけど…。

 十一月も半ば、寒さが一層厳しくなりました。

 さて浄土真宗に、「倶会一処」という大切にされる言葉があります。「く」とは人偏に道具の具と書いて「倶に」、「え」とは人と「会う」という字、「一処」とは「一つの処」と書き、お念仏の信心に生きる人は、たとえこの娑婆世界でお別れをしようとも、やがてお浄土に生まれ、再び先に往生し仏さまと成られし方々と会うことが出来るという阿弥陀さまの誓いのお言葉です。

 先日のこと、大阪に出張した折に、離郷のご門徒・Sさんに会いに行きました。

 Sさんは九十六歳、以前は鹿児島に住んでおられ、しょっちゅうお寺にお参りになっておられました。お参りになると必ず一番前で正座をされて、お経に耳を傾けておられました。

 六年前、ご家庭の都合で、大坂におられる娘さんのお世話になるために移住されたのです。

 時折お便りをくださり、この度、お寺で計画中の親鸞さまの法要に伴うご懇志をわざわざ送金くださり、そのお礼も兼ねて訪ねたのです。

 私の突然の訪問でご家族皆驚かれました。そして久しぶりに会うSさんは、お元気な様子でしたが、既に下半身が不自由とのことでした。

 一緒にお仏壇の前でお勤めをし、共にお念仏をお称えしてお参りをしました。

 そして、ご家族共々近況をいろいろとお聞かせいただきました。

 いよいよお別れをするとき、Sさんが「もしも私が死んだときは住職さん、来てくださいますか」とおっしゃいましたので、鹿児島と大阪のこと、確かな約束はできませんので私は、「ごめん、分からんよね」と答えました。

 でも、別れ際に、「多分、Sさんが先にお浄土に参るかもしれんけど、今生ではもう会えないかもしれないけど、またいつかお浄土でお目にかかれますよ。大丈夫」と、Sさんの手を握りました。

 Sさんは、「そうですね」と、満面の笑みを浮かべてくださいました。

 お念仏をいただく私たちは、倶会一処の誓いの中で心豊かな日暮らしと確かな安心を恵まれるのです。有り難いことです。

11月16日~もう会えないかもしれないけど…。2014年11月17日【228】

11月1日~見方、関わり方によっては…

 季節は晩秋、銀杏の木もいよいよ黄色に染まり初めました。

 さて、少し昔のことですが、言うことを聞かない幼児に親が、「そんなにいうことを聞かないなら病院に行って、大きい注射をしてもらいますよ」ということがありました。

 この言葉に、渋々親の言うことをきいたという人もいるのではないでしょうか。

 しかし大人になった今、思い返すと、この言葉は病院にとっては大変迷惑なことです。

 なぜなら、病院は大変恐ろしい所だからです。病院には怖いお医者さんや看護師さんがウヨウヨいて、大きな注射器やメスを持って言うことを聞かない子をいつでも待っていて…。これでは怖い妖怪屋敷と一緒です。

 本来、病院は人々の病気や怪我を治して下さる所であり、お医者さんや看護師さんは生涯をかけた仕事として人のため社会のために尽力下さるところですが、そんな有り難い病院も一面だけ見たり、また見方、関わり方によっては怖い所になってしまいます。

 浄土真宗の教えに、お念仏を申す人は「この世の縁がつきるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」とありますが、お浄土も、死んでから参るところだとばかり考えている人が多いのではないでしょうか。

 お浄土は覚りの世界。つまりこの世のすべての悩みや苦しみから解放されたまことの幸せを得る世界で、そこで真実に目覚めた仏さまに成らせていただくのです。

 そして、仏さまという存在は、この人間の世界に還ってきて、後に残る人々がまことの幸せを得る身となるように、心豊かな人生が送れるように、常にはたらき導く方であります。

 つまりお浄土も仏さまも止まってじっとしている存在ではありません。、私たちのために今の今、動き通し、働き通し、尽力し通しの存在なのです。

 子どもにとっての病院と同じで、見方、関わり方によっては、まことの姿が見えなくなってしまいます。

11月1日~見方、関わり方によっては…2014年10月30日【227】

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