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6月16日~人間の基礎を養う幼児期から…。

 毎日大雨続きで、大きな災害が起こらないことを心から願います。

 さて、新聞やテレビで,中学生グループの暴行事件や、青年の車の暴走による痛ましい事故が報道されていますが、このような事件・事故を耳にする度に、幼い頃からの宗教情操教育の大切さを思います。

 宗教情操教育とは、宗教を単に知識としてでなく、生きるための重要な心のより所なるような世界観、価値観として、人を教育することです。

 このことを、元岐阜聖徳学園学長の口羽益夫先生は、宗教は「心の羅針盤」とおっしゃっています。

 どれだけ科学が発達しようとも、どれだけ経済的に豊かになろうとも、人間は老いること、病で苦しむこと、死ぬことから逃れることはできません。

 また日常も、常に自己中心的な思いにとらわれて、多くの不安や苦しみの中で生活をしているのが人間の姿であり、その長い人生には、どのような困難が起こるか分からないのが現実です。

 情操とは、真実なる、善なる、あるいは聖なる、美しき価値あるものに出会い、心惹かれ、それらに少しでも近づいていこうとする高度な感情です。

 怒りや憎しみ、またキレルというような一過性のものではなく、知的で持続的で高尚な感情です。

だからこそ、人間の基礎を養う幼児期からの宗教による情操教育が大切なのです。

 難しいことをする必要はありません。朝夕、家族そろって仏さまに感謝のお参りをし、時には仏さまのお話を聞かせていただく。

 食事のときは手を合わせ、「いただきます」と感謝の心でいただく。

 よそ様から頂き物をしたら、まず仏さまにお供えをしてからいただく。

 感謝の心が一つ一つ形に表れた日々の生活から、自然のうちに心豊かな人が育まれていくのです。

 仏さまの教育は幼き頃から、それは先に、仏さまにご縁をいただいた者の責務であります。

6月16日~人間の基礎を養う幼児期から…。2015年06月16日【242】

6月1日~自分の生き方を見てくれ!

 あじさいの花が美しい季節になりました。

 さて、「道」という漢字がありますが、この字は様々な所に使われます。

 一般には国道、公道、軌道など、芸術やスポーツでは華道や茶道、剣道、柔道など、仏教では仏道や六道などです。

 これについて、先日、NHKの番組「あの人に会いたい」で出演されていた貴ノ花利彰さんが大切なことを述べておられました。

 各界のプリンスと呼ばれた大関・貴ノ花さんは、関取としては大きな体格ではありませんでしたが、いつも真っ向勝負。最後まで勝負をあきらめない直向きな姿が、ファンを熱狂させました。

 北海道出身で、土俵の鬼といわれた、二十二歳年上の初代若乃花を長男に持つ、十人兄弟の末っ子で、兄弟の縁を切って入門した二子山部屋で、厳しい練習に一言も弱音を吐くことなく耐え忍びました。

 貴ノ花が残した多くの名勝負は、ひとえにその鍛え上げられた柔軟な足腰と独特な粘り腰の賜物でした。

 番組の中で、生前の貴ノ花さんは、私は「ただ相撲を取っているのではなく、何かを訴える。自分の生き方を見てくれという気力、きれいな気力を持ってほしい」と述べていましたが、まさしくこれが相撲道であると思いました。

 つまり相撲というスポーツを通して、人としての生き方を学び、人としての生き方が現れるのが相撲道ということです。

 仏教では、仏さまの教えに学び、仏さまとなる道を仏道といいます。

 人として生まれたものが、仏教の縁起の教えによって、人のまことの姿に目覚め、縦のつながりや横のつながりのご縁に気づかされ、家庭や地域、職場、社会で、深く関わり合い支え合いながら生きていく、それを仏道といい、そこには仏さまの教えに支え導かれた生き方が現れることでしょう。

 「おかげさまと生かされて、ありがとうと生きていく」という言葉があります。

 「道」とは生き方です。貴ノ花さんに大切なことを教えていただきました。

6月1日~自分の生き方を見てくれ!2015年06月02日【241】

5月16日~モノについての反省

 野山の緑がまぶしい季節になりました。

 先日テレビで、アメリカの「TIME(タイム)」誌で、世界で最も影響力のある一〇〇人に、『人生がときめく片づけの魔法』の著者・近藤麻理恵さんが選ばれた話題が放送されていました。

 近藤さんは、床が見えないゴミ部屋をホテルのスイートルームのように劇的に変える片づけコンサルタントだそうで、片付けが苦手な私には、ぜひ必要な本だと興味がわきました。

何と世界各国で三五〇万部も売れているそうです。

 近藤さんは、モノが家に溢れているのに、なかなかモノが捨てられない人に、「この品はあなたにとってときめきますか」と問いかけ、ときめくモノだけ取っておき、ときめかないモノには、深く感謝をして捨てるように促しておられました。

 一方その翌日、別な番組で世界的なデザイナーで、今年二月に亡くなった榮久庵憲司さんの放送がありました。

代表的なデザインには、赤いキャップがついたキッコーマンのしょうゆ卓上瓶やヤマハのオートバイ、新幹線などがあります。

 榮久庵さんは、広島のお寺のご出身で、原爆が投下され焼け野原となった広島で、消えゆくモノたちの悲痛な叫びを感じると共に、人の生活にモノを取り戻すために何かする必要があると思い、デザインの道に進むことになったそうです。

 榮久庵さんはインタビューの中で、「人が生まれ、年を取り、病にかかり死ぬのと同じように、工場ではモノが生まれ、幾年も役に立ち、そして最後には死を迎えます。モノが痛い痛いと声をあげます。人が長年生きてどこかが傷み、病気になるのと同じことです」と言われ、一つ一つのモノを、一つ一つのいのちとして見つめておられました。

 いずれもモノについての話題ですが、大変難しいことですが、ときめかない不必要なモノが溢れるような環境を、なるべく周囲に作らない心がけが必要です。

そして一度選び求めたモノは、大切に最後まで使う心がけも必要です。お二人のお話に反省させられました。

5月16日~モノについての反省2015年05月16日【240】

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