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9月16日~何も残りはしない…か?

 九月二十日から秋のお彼岸です。皆さん、ご先祖を偲びつつお墓参りをされることでしょう。

 さて先日、ある人が、「人間は死んだら骨になって、何も残りはしない。死後の世界などもあるはずがない。なのになぜ、宗教は死後の世界を説くのか。まやかしではないか」と言っていました。

 宗教はまやかしでしょうか。

 今一度、自分自身のいのちというものを見つめることが大切ではないでしょうか。

 私はどのようにしてこの世に生を受けたのでしょうか。両親を縁として生を受けたのですが、私という存在がなぜそこに生を受けたのか、答えられる人はいるでしょうか。

 また、今日この日まで、多くのいのちを頂きながら過ごし、多くの人に育てられながら生きてきましたが、その一つ一つの出会いやご縁をなぜいただくことができたのか、自分で説明できるでしょうか。

 私たちが今、この世に存在するということは、数多のいのちが生まれ死んでいく中で、人としてのいのちをいただいたからです。

 そのいのちは自分で選んだわけでも、作ったわけでもありません。それは多くの先祖方の、いのちのつながりの中で生まれさせていただいたものです。そのつながりのどこかが途切れたならば、私のいのちは存在しません。

 ですから先祖方は、私の過去ということができますし、先祖方から見れば私は未来といえます。

 私のいのちは、永遠の中のいのちと言えましょう。だから私のいのちは尊いのです。大切に生きなければならないのです。そのことを教えてくださる宗教は決してまやかしなどではありません。

 私のいのちの真実の姿と、まことの生き方を説き示してくださる教えです。

9月16日~何も残りはしない…か?2015年09月16日【248】

9月1日~見えていようがいまいが…。

 長い夏休みも終わり、子どもたちはいよいよ二学期のスタートです。

 さて、数週間前、たまたま見ていたテレビに島根県の原益夫さんという方が出ておられました。

 原さんは、目が不自由でありながら、介添えの人を頼りに山登りやマラソンをされている方で、元気な声を出しながら足下の困難な山道を、力強く登る姿が画面に映し出されていました。

 数年前に奥さまに先立たれて、現在はお一人で生活されているそうです。

 原さんへのインタビューもありました。そのままではありませんが、記憶に残る言葉を紹介します。

 「目が見えなくなって、見えていたときよりも、多くのものが見えるようになりました。人の優しさ、思いやり、多くの支え、見えているときよりもずっといいです」

 「私は、風の音、鳥の鳴き声、山の自然の風景を感じとることができます」

 「見えていようが、見えていまいが、いろんな多くの方々に生かされて生きています。そのおかげで、悩みが多ければ、それが自然に喜びに変わってきます」

 おおよそこのようなお話をされていましたが、元気よく堂々と話されるお姿、その喜びにあふれた話しぶりを見て、私は自分自身が恥ずかしくなりました。

 毎日、いろんな方々の優しさや思いやりに恵まれていながら、本当にそのことが分かっているのか。

 何でも聞こえ、何でも見ることのできる耳や目を持ちながら、本当に、風の音や鳥の鳴き声や聞き、花の美しさを見ているのか。

 生かされて生きていることを、心から感じ感謝の日暮らしをしているのか。

 ともすると、自分自身の恵まれた環境に甘えて、あるいは麻痺して、本当のお陰さまの心が分かっていないのではないか。

 原さんの言葉は、そのことを厳しく私に問う仏さまの言葉のようにに聞こえました。

9月1日~見えていようがいまいが…。2015年08月31日【247】

8月16日~いかなる理屈並べようとも…。

 お寺にとって、とても忙しいお盆が過ぎていきました。

 さて、今年は終戦七十年で、戦時中、機銃掃射を受けた覺照寺の本堂にも多方面よりたくさんの方々が戦争の傷跡を見学に来られました。

 また、十五日の終戦の日には、テレビ各局で記念番組を放送していましたが、どの番組も、戦争とはいかなる理屈を並べようとも、人が傷つき、心が傷つき、悲惨と愚劣の何物でもないことを語っていました。

 有名な知覧の特攻記念館には、浄土真宗の、門徒のご子息の遺書があります。

 「お母さん、お体大切に。私は最後にお母さんが何時も云われたお念仏を唱えながら空母に突入します。南無阿弥陀仏」。

 熊本県出身で、十九歳の山下孝之少尉の遺書です。

 阿弥陀さまの本願を信じお念仏を申せば仏さまに成らせていただく教えを、お母さんがいつもご子息にお話しになっていたのでしょう。お母さんを思い、お念仏一つにすがる若い青年の極限の思いが、胸を締め付けます。

 石川県出身の岩倉三郎大尉・二十二歳に届いたお母さまからのお手紙もあります。

 「バクダンかかえて行く時は 必ず忘れまいぞ(ナムアミダブツ)ととなえてくれ。これが母の頼みである。これさえ忘れないでいてくれたら 母はこの世に心配事はない。忘れないで となえてくれ。この次会う時は、(アミダ様)で会おうではないか。これが何よりも母の頼みである。忘れてはならないぞ」

 お念仏をいただく人は、たとえこの娑婆世界で別れようとも、やがて必ず会うことのできるお浄土があるという阿弥陀さまの誓いをひたすら信じ、はるか石川の地より息子を願うお母様の姿が目に映ります。

 二度と、このような若い方々が遺書を書いて戦地におもむくような時代にしてはなりません。二度と戦地におもむく息子に、母親が最後の手紙を書かねばならないような時代にしてはなりません。

8月16日~いかなる理屈並べようとも…。2015年08月18日【246】

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