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6月1日~自分の生き方を見てくれ!
あじさいの花が美しい季節になりました。
さて、「道」という漢字がありますが、この字は様々な所に使われます。
一般には国道、公道、軌道など、芸術やスポーツでは華道や茶道、剣道、柔道など、仏教では仏道や六道などです。
これについて、先日、NHKの番組「あの人に会いたい」で出演されていた貴ノ花利彰さんが大切なことを述べておられました。
各界のプリンスと呼ばれた大関・貴ノ花さんは、関取としては大きな体格ではありませんでしたが、いつも真っ向勝負。最後まで勝負をあきらめない直向きな姿が、ファンを熱狂させました。
北海道出身で、土俵の鬼といわれた、二十二歳年上の初代若乃花を長男に持つ、十人兄弟の末っ子で、兄弟の縁を切って入門した二子山部屋で、厳しい練習に一言も弱音を吐くことなく耐え忍びました。
貴ノ花が残した多くの名勝負は、ひとえにその鍛え上げられた柔軟な足腰と独特な粘り腰の賜物でした。
番組の中で、生前の貴ノ花さんは、私は「ただ相撲を取っているのではなく、何かを訴える。自分の生き方を見てくれという気力、きれいな気力を持ってほしい」と述べていましたが、まさしくこれが相撲道であると思いました。
つまり相撲というスポーツを通して、人としての生き方を学び、人としての生き方が現れるのが相撲道ということです。
仏教では、仏さまの教えに学び、仏さまとなる道を仏道といいます。
人として生まれたものが、仏教の縁起の教えによって、人のまことの姿に目覚め、縦のつながりや横のつながりのご縁に気づかされ、家庭や地域、職場、社会で、深く関わり合い支え合いながら生きていく、それを仏道といい、そこには仏さまの教えに支え導かれた生き方が現れることでしょう。
「おかげさまと生かされて、ありがとうと生きていく」という言葉があります。
「道」とは生き方です。貴ノ花さんに大切なことを教えていただきました。
6月1日~自分の生き方を見てくれ! | 2015年06月02日【241】
5月16日~モノについての反省
野山の緑がまぶしい季節になりました。
先日テレビで、アメリカの「TIME(タイム)」誌で、世界で最も影響力のある一〇〇人に、『人生がときめく片づけの魔法』の著者・近藤麻理恵さんが選ばれた話題が放送されていました。
近藤さんは、床が見えないゴミ部屋をホテルのスイートルームのように劇的に変える片づけコンサルタントだそうで、片付けが苦手な私には、ぜひ必要な本だと興味がわきました。
何と世界各国で三五〇万部も売れているそうです。
近藤さんは、モノが家に溢れているのに、なかなかモノが捨てられない人に、「この品はあなたにとってときめきますか」と問いかけ、ときめくモノだけ取っておき、ときめかないモノには、深く感謝をして捨てるように促しておられました。
一方その翌日、別な番組で世界的なデザイナーで、今年二月に亡くなった榮久庵憲司さんの放送がありました。
代表的なデザインには、赤いキャップがついたキッコーマンのしょうゆ卓上瓶やヤマハのオートバイ、新幹線などがあります。
榮久庵さんは、広島のお寺のご出身で、原爆が投下され焼け野原となった広島で、消えゆくモノたちの悲痛な叫びを感じると共に、人の生活にモノを取り戻すために何かする必要があると思い、デザインの道に進むことになったそうです。
榮久庵さんはインタビューの中で、「人が生まれ、年を取り、病にかかり死ぬのと同じように、工場ではモノが生まれ、幾年も役に立ち、そして最後には死を迎えます。モノが痛い痛いと声をあげます。人が長年生きてどこかが傷み、病気になるのと同じことです」と言われ、一つ一つのモノを、一つ一つのいのちとして見つめておられました。
いずれもモノについての話題ですが、大変難しいことですが、ときめかない不必要なモノが溢れるような環境を、なるべく周囲に作らない心がけが必要です。
そして一度選び求めたモノは、大切に最後まで使う心がけも必要です。お二人のお話に反省させられました。
5月16日~モノについての反省 | 2015年05月16日【240】
5月1日~どのようなときに子どもを叱る?
早いもので、入園式や入学式、あるいは入社式より一ヵ月が過ぎました。
お寺の幼稚園や保育園でも、先生方は、慣れない新入園児のお世話に一生懸命です。
その先生方から、研修会の時などに、「どのようなときに子どもたちを叱ったらよいのですか」という質問を受けます。
その問いに私は、「その子ども自身に危険が及ぶようなことをしているとき、分かっているのにわざと皆の和合を乱すようなとき、してはならない反社会的な行為をしているときの三つを基本としましょう」と答えます。
一番目は、例えば高い危険なところによじ登ったり、石などを投げて周囲の子どもたちが怪我をするような危険があるときです。
二番目は、園内で皆がそろって一つのことをやらなければならないときに、それが理解できていながら、わざとその和合を乱すようなことをしたとき。
三番目は、例えば一般車道で友だちを押したり、バスや電車のイス席に靴のままで立ってはしゃいだりというようなときです。
そして、叱り方も三歳、四歳、五歳の発達段階に応じて本人が理解できるように。また子どもに対する目線や声の大小、言葉の使い方や強弱も、その子どもの状況に応じてと、一口に子どもを叱ると言っても様々なことが求められます。
先生方にとって大変難しいことですが、私は常々、このことを阿弥陀さまのお心に学びます。
阿弥陀さまのお慈悲の心は、まさしく私たち一人ひとりの性格や環境に応じて縦横無尽にはたらいてくださるとお聞かせいただくからです。
私たち一人ひとり、決して捨てられることなく、よりよい人生を送ることが出来るように常に見守り、励まし、時に叱ってくださるのが阿弥陀という仏さまであります。
その阿弥陀さまのお心とお姿に学び、毎日共に手を合わせ、子どもたちも先生も、共に成長するすばらしさ尊さが、お寺の園にはあります。
5月1日~どのようなときに子どもを叱る? | 2015年04月30日【239】