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11月1日~あなたは私の宝物
暦の七十二気候の中で、十月末から十一月のはじめは「霎時施(こさめときどきふる)」。外は冷たい晩秋の雨が降っています。
さて、先月は秋の運動会や遠足の月で、お寺の幼稚園や保育園でも、バスに乗って宮崎方面に保護者同伴で遠足に行きました。
バスの中では、親も子どもも一緒に楽しめるように先生方がゲームや出し物を準備していました。
バスが出発して最初は、親子共々自己紹介です。司会の先生は、子どもはお母さんの好きなところを言って自己紹介。お母さんは子どもの好きなところを言って自己紹介をしてもらうように促しました。
スタートはS君です。しかし最初で緊張したのか、S君はなかなかマイクを前に言葉が出ません。しばらくしてやっと「宝物…」と、S君の小さな声がしました。
その声が聞き取れなかった司会の先生は、「S君、何? 宝物?」とS君に聞き直しました。
するとS君は「僕のお母さんは、僕のことを毎日、Sちゃんはお母さんの宝物だよと、言ってくれる。それがお母さんの好きなところです」と答えました。
そのS君の言葉は、バスに乗っていた子どもや保護者全員に広がり、皆があたたかな心になって、バスの中に拍手があふれたそうです。
言葉にははたらきがあります。そして願いが込められた言葉があります。「あなたは私の宝物」とは、なんとすてきな言葉でしょう。
毎日お母さんからかけられたその言葉は、S君の心に確かに届いていました。S君の心にはたらいていました。そしてその願いはS君の心にいつまでもはたらき続けることでしょう。
仏さまの「南無阿弥陀仏」のお名号は、仏さまから私への呼び声と言われます。
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きっと仏さまも「あなたは私の宝物ですよ」と、私たち一人ひとりを呼び願ってくださっていることでしょう。
11月1日~あなたは私の宝物 | 2015年11月01日【251】
10月16日~自分が自分らしく
運動会の季節です。毎週、どこかの幼稚園や保育園、小学校や中学校で、賑やかに開催されています。
お寺の幼稚園や保育園でも、毎年たくさんの子どもをお預かりしていますが、時折耳にするのが、「子どもは自由」、「子どもの権利」という言葉です。
子どもの自由とは、子どもの伸び伸びとした心・思いを尊重することであり、権利とは、自分のことを自分で決める自己決定権であり、それぞれに子どもにとって大切なことであり、それは大人の世界でも同様です。
しかし一方では、どのような状況にあっても子どもをほったらかしで、勝手気まま、自由奔放にさせている親の姿を見かけることが多くなったのも事実です。
これは、自由や権利という言葉の一人歩き。あるいは自由と放任のはき違え、誤った子ども中心主義と言えるでしょう。
子どもも大人も、この社会で生きていくために、まず基本として心得なければいけないのは、人は一人では生きていけないということです。そして周囲の多くの方々に支えられながら生き、生かされているという事実です。
その基本的な心得があった上で、五歳なら五歳の段階、十歳なら十歳の段階と、子どもの心と体の発達段階に応じた自由と自己決定がなされることが大切です。 そのためには親をはじめ、幼稚園や保育園、学校の先生方の関わり方がとても大切なのは言うまでもありません。
大人も同様です。常識や節度、あるいは社会的規範を守りながら生活することは大切なことですが、極度にそれに縛られながら生活するのは息苦しいものです。
常識や節度、社会的規範は、元来人々がゆたかに生活するために設けられたものです。
人は一人では生きていけないということ。その事実を尊重しながら、自分が自分らしく生きることのできる道を切り開いていきたいものです。
10月16日~自分が自分らしく | 2015年10月16日【250】
10月1日~私にはお任せするしか…。
秋のお彼岸が終わりました。
さて、今年は台風や大雨が多く、特に先月十一日の鬼怒川の水害は甚大で、被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。
自然の猛威に驚く一方で、テレビ画面に見入ったのは濁流の中で、家に取り残された人たちをヘリコプターで救助する映像でした。
報道によりますと自衛隊・消防・警察をはじめとする機関から、救助のため出動したヘリコプターは三十八機で、それによる救助者は茨城県全体で一一四五名に上るそうです。
また、多数の機関にまたがるヘリが連携して救助活動にあたり、一日でこれだけ多くの救助が迅速にできたのは、これまでの震災の教訓と、関係者の不断の努力の賜と言えましょう。
しかし、もし自分自身があの濁流に迫られ、生きるか死ぬかという状況になったとき、どうするでしょうか。
幸いヘリコプターがやってきて、「今ロープを下ろすから頑張って上がってきなさい。上でちゃんと待っているから…」と言われたら、あなたならどうされますか。
多分、私は怖くて上ってはいけないでしょう。
普段からたくさん訓練を積んだ人が降りてきて、安全ベルトを私の体にしっかりとつけて、抱きかかえて一緒に上がってくださるから、人は安心してあの危機迫る中で自らの体を委ねることができるのでありましょう。
私にはお任せするしかありません。
阿弥陀さまのお救いは、まさしくこの姿ではなかろうかと思います。
阿弥陀さまはお浄土で待っておられるのではなく、この私を救わんと常々はたらいていてくださっています。
しかも、自分で努力してお浄土に来なさいと言われるのではなく、阿弥陀さまの方から、私を抱きとめ決して離さないと誓っておられるのです。
そのはたらきを本願力というのです。
10月1日~私にはお任せするしか…。 | 2015年10月01日【249】