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9月1日~見えていようがいまいが…。
長い夏休みも終わり、子どもたちはいよいよ二学期のスタートです。
さて、数週間前、たまたま見ていたテレビに島根県の原益夫さんという方が出ておられました。
原さんは、目が不自由でありながら、介添えの人を頼りに山登りやマラソンをされている方で、元気な声を出しながら足下の困難な山道を、力強く登る姿が画面に映し出されていました。
数年前に奥さまに先立たれて、現在はお一人で生活されているそうです。
原さんへのインタビューもありました。そのままではありませんが、記憶に残る言葉を紹介します。
「目が見えなくなって、見えていたときよりも、多くのものが見えるようになりました。人の優しさ、思いやり、多くの支え、見えているときよりもずっといいです」
「私は、風の音、鳥の鳴き声、山の自然の風景を感じとることができます」
「見えていようが、見えていまいが、いろんな多くの方々に生かされて生きています。そのおかげで、悩みが多ければ、それが自然に喜びに変わってきます」
おおよそこのようなお話をされていましたが、元気よく堂々と話されるお姿、その喜びにあふれた話しぶりを見て、私は自分自身が恥ずかしくなりました。
毎日、いろんな方々の優しさや思いやりに恵まれていながら、本当にそのことが分かっているのか。
何でも聞こえ、何でも見ることのできる耳や目を持ちながら、本当に、風の音や鳥の鳴き声や聞き、花の美しさを見ているのか。
生かされて生きていることを、心から感じ感謝の日暮らしをしているのか。
ともすると、自分自身の恵まれた環境に甘えて、あるいは麻痺して、本当のお陰さまの心が分かっていないのではないか。
原さんの言葉は、そのことを厳しく私に問う仏さまの言葉のようにに聞こえました。
9月1日~見えていようがいまいが…。 | 2015年08月31日【247】
8月16日~いかなる理屈並べようとも…。
お寺にとって、とても忙しいお盆が過ぎていきました。
さて、今年は終戦七十年で、戦時中、機銃掃射を受けた覺照寺の本堂にも多方面よりたくさんの方々が戦争の傷跡を見学に来られました。
また、十五日の終戦の日には、テレビ各局で記念番組を放送していましたが、どの番組も、戦争とはいかなる理屈を並べようとも、人が傷つき、心が傷つき、悲惨と愚劣の何物でもないことを語っていました。
有名な知覧の特攻記念館には、浄土真宗の、門徒のご子息の遺書があります。
「お母さん、お体大切に。私は最後にお母さんが何時も云われたお念仏を唱えながら空母に突入します。南無阿弥陀仏」。
熊本県出身で、十九歳の山下孝之少尉の遺書です。
阿弥陀さまの本願を信じお念仏を申せば仏さまに成らせていただく教えを、お母さんがいつもご子息にお話しになっていたのでしょう。お母さんを思い、お念仏一つにすがる若い青年の極限の思いが、胸を締め付けます。
石川県出身の岩倉三郎大尉・二十二歳に届いたお母さまからのお手紙もあります。
「バクダンかかえて行く時は 必ず忘れまいぞ(ナムアミダブツ)ととなえてくれ。これが母の頼みである。これさえ忘れないでいてくれたら 母はこの世に心配事はない。忘れないで となえてくれ。この次会う時は、(アミダ様)で会おうではないか。これが何よりも母の頼みである。忘れてはならないぞ」
お念仏をいただく人は、たとえこの娑婆世界で別れようとも、やがて必ず会うことのできるお浄土があるという阿弥陀さまの誓いをひたすら信じ、はるか石川の地より息子を願うお母様の姿が目に映ります。
二度と、このような若い方々が遺書を書いて戦地におもむくような時代にしてはなりません。二度と戦地におもむく息子に、母親が最後の手紙を書かねばならないような時代にしてはなりません。
8月16日~いかなる理屈並べようとも…。 | 2015年08月18日【246】
8月1日~暑い世界味わわないために…
毎日、うだるような暑い日が続いています。
人間の世界でこのように暑いのですから、灼熱の地獄は耐えることのできない暑さでしょう。
その地獄に墜ちてしまった罪人を裁くのは閻魔大王です。閻魔さまは地獄に墜ちてきた罪人に聞くそうです。
「お前は、人間の世界にいたときに、三人の天使に会わなかったか」
「いいえ、天使には会っていません」と、罪人は震えながら答えます。
「ならば、人間の世界で、体の弱った老人に会わなかったか。病気に苦しむ人に会わなかったか。死んだ人に会うことはなかったか」
「はい、老人や病人や死人には、幾度となく会いましたが…」
「その老人や病人、そして死人こそ、お前にとって天使だったのだ」
閻魔さまはそう言って、罪人に話をされました。
「お前は、老人という天使に幾度となく会いながら、やがて自分が老いていくことを深く考えることなく、老人をいたわることをしなかった」
「お前は、病人という天使に幾度となく会いながら、自分もいつかは病気になることを深く考えることもなく、病人の苦しみや悩みに心から寄り添う気持ちを持たなかった」
「お前は、幾度となく死人やお葬式の場に会いながら、いつかは自分も死なねばならぬという現実を見つめることもなく、人間の世界のはかない楽しみばかりを求め、自分のいのちの行く末を問い求めることがなかった」
生前に、自分のいのちの行く末を求めない人間が来るところはここ地獄しかない。自分のいのちを深く見つめることもなく、我欲にとらわれた人生を送った者の来るところがここ地獄である。ようこそ、ようこそ、灼熱の地獄へ。
暑い日が続きます。これ以上暑い世界を味わわないように,閻魔さまのお話を素直に聞きましょう。
8月1日~暑い世界味わわないために… | 2015年08月01日【245】