こころの電話

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12月16日~ご信心をいただくために

 今月の十一日から十三日の三日間、お寺では「親鸞聖人七五〇回大遠忌法要」をお勤めしました。

 毎日の昼の法要では、親鸞聖人を敬いそのお徳を讃える音楽法要を勤め、仏教婦人会のコーラスグループ・コール・シャンティが五ヵ月間の練習の成果を発揮し、多くの僧侶方ご出勤のもと、厳粛かつ賑々しくお勤めくださいました。

 お参りくださった方から「感動した」「涙が溢れた」「いいご縁に遇いました」とのお声をたくさんいただきました。

 中日の夜は、幼い子どもからお年寄りまで一緒にお参りする「家族参拝の夕べ」を行い、三百名を越える方々が家族そろってお参りくださいました。

 家族で一緒にお参りしたあとは、コーラスや鹿児島大学の奇術同好会の奇術の披露、また歌いながら風船で動物やキャラクターを作るピッピさんの楽しいパフォーマンスがあり、本堂内は割れんばかりの拍手と歓声が上がり、とても楽しく有意義なひとときでした。

 昔から「お寺は仏さまの教えを聞く道場である」と言われますので、お寺では、お勤めと仏さまのお話を真剣に聞くご法話さえあれば十分というお声もあるかもしれません。

 しかし、コーラスも音楽法要も、様々なパフォーマンスや演出も皆、仏さまのみ教えに出会っていただくご縁づくりなのです。

 浄土真宗では、信心をいただくことが大切です。信心とは、阿弥陀如来が完成された、私をまことの幸せに導く力・本願力をそのまま受け取ることです。阿弥陀如来が私のためにご用意くださった信心をそのまま素直にいただく、そのお謂われを聞かせていただくところがお寺です。

 この度のお寺の行事一つ一つ、催し物一つ一つが、幼い子どもからお年寄りまで、この信心をいただいてもらうためのきっかけ作りなのです。

 今年も覺照寺「こころの電話」をお聞きくださり、有り難うございました。

 新年は、元旦の朝、お話が変わります。皆さま、よいお年をお迎えください。

12月16日~ご信心をいただくために2015年12月17日【254】

12月1日~聖人のご遺徳を偲んで

 今月に入り、急激に寒さが増してきました。風邪をひかないように、気をつけたいものです。

 さて、覺照寺におきましては、今月十二月十一日から十三日にかけての三日間、、「親鸞聖人七五〇回大遠忌法要」をお勤めいたします。

 浄土真宗のみ教えを開かれた親鸞聖人は、一一七三(承安三)年に京都の日野の里でご誕生になり、幼くして両親と離別され、九歳で出家得度。比叡山で学問と厳しい修業に励まれ、その後生涯の師となる法然聖人に遇われ、本願を信じ念仏する身となられました。

 当時の日本の仏教は、貴族や武家を中心に国の安寧を願い、呪術的な加持祈祷などによって現世利益を求めるものでありましたが、「地位身分に関係なくすべての人びとが、阿弥陀如来の本願力によって必ず救われる」という親鸞聖人のみ教えは、当時の封建社会のなかで苦難の日々を送る多くの人々の、心の糧として信仰され広まっていきました。

 親鸞聖人は、いかなる立場にあり、いかなる人であろうとも、本願を信じ南無阿弥陀仏のお念仏を申す人は、わけへだてなく必ず阿弥陀如来の救いにあずかることを顕かにされ、その教えは、悩みや苦しみを抱えて生きる多くの人々の心の糧となり、力強く心豊かな人生へと導いていきました。

 さらに、その仏の智慧と慈悲をいただく人は、「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれかし」との願いに生きることを聖人はお示しくださいました。

 「仏さまに救われる」とは、わたしの人生の確かなより所が見つかることです。また、その教えによってわたしの生き方、物事の受け止め方が変わると表現してもよいかもしれません。

 この度のご法要が、その聖人のご遺徳を深く偲び、お寺にご縁のある一人一人にとって、あらためてそのみ教えを聞き開く機縁となりますことを心から念じます。ぜひご法要にご参拝ください。

12月1日~聖人のご遺徳を偲んで2015年12月01日【253】

11月16日~絶対に避けられないもの

 今年もあと約四十日。月日が立つのは早いものです。

 先日十四日の早朝、佐賀県、鹿児島県を中心にした地震がありましたが、大きな被害もなく安心しました。

 地震発生からすぐにラジオでは、津波注意を促す放送が断続的に流れましたが、それが全国放送されると、九州以外の方々はよほど大きな地震が起きたのかと思われたのでしょう。数人の知人から無事を訪ねる電話やメールが届きました。

 心配してくださったことを心から有り難く嬉しく思うと共に、目には見えない思いやりと支えの中で生かされていることに感謝することでした。

 地震や台風、鹿児島では桜島の噴火と、自然災害は恐ろしいものです。自分の身近なところで発生しようものなら避けられませんし、大きな被害を被ります。 それだけに、いつ来てもなるべく被害を少なく抑えることができるように、日常的な点検や、避難訓練など心構えが必要でしょう。

 もう一つ私たちには絶対に避けることのできないものがあります。それは、「死ぬこと」です。

 地震や台風、また火山の噴火などはいつ来るかわかりませんし、もしかしたら来ないかもしれません。また、たとえ来たとしても普段から準備をしておけば逃げることができるかもしれません。

 しかし「死ぬこと」だけは、この世にいのちを恵まれたものは絶対に避けることができないものです。しかし、そうでありながら、私たちは「死」ついて考えたくありませんし、あまり深く話すこともありません。

 きっと、知らず知らずのうちにその現実から目を背け、自分のこととしては考えないようにしているのでしょう。

 しかし、自分自身の死というものをしっかりと見つめるとき、そして自分が死ぬときどうなるのかという問いを持ったとき、まこと真実の生、生き方が見えてきます。

 その問いの答えを見つけていくことを仏法聴聞といいます。

11月16日~絶対に避けられないもの2015年12月01日【252】

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