こころの電話

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12月1日~聖人のご遺徳を偲んで

 今月に入り、急激に寒さが増してきました。風邪をひかないように、気をつけたいものです。

 さて、覺照寺におきましては、今月十二月十一日から十三日にかけての三日間、、「親鸞聖人七五〇回大遠忌法要」をお勤めいたします。

 浄土真宗のみ教えを開かれた親鸞聖人は、一一七三(承安三)年に京都の日野の里でご誕生になり、幼くして両親と離別され、九歳で出家得度。比叡山で学問と厳しい修業に励まれ、その後生涯の師となる法然聖人に遇われ、本願を信じ念仏する身となられました。

 当時の日本の仏教は、貴族や武家を中心に国の安寧を願い、呪術的な加持祈祷などによって現世利益を求めるものでありましたが、「地位身分に関係なくすべての人びとが、阿弥陀如来の本願力によって必ず救われる」という親鸞聖人のみ教えは、当時の封建社会のなかで苦難の日々を送る多くの人々の、心の糧として信仰され広まっていきました。

 親鸞聖人は、いかなる立場にあり、いかなる人であろうとも、本願を信じ南無阿弥陀仏のお念仏を申す人は、わけへだてなく必ず阿弥陀如来の救いにあずかることを顕かにされ、その教えは、悩みや苦しみを抱えて生きる多くの人々の心の糧となり、力強く心豊かな人生へと導いていきました。

 さらに、その仏の智慧と慈悲をいただく人は、「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれかし」との願いに生きることを聖人はお示しくださいました。

 「仏さまに救われる」とは、わたしの人生の確かなより所が見つかることです。また、その教えによってわたしの生き方、物事の受け止め方が変わると表現してもよいかもしれません。

 この度のご法要が、その聖人のご遺徳を深く偲び、お寺にご縁のある一人一人にとって、あらためてそのみ教えを聞き開く機縁となりますことを心から念じます。ぜひご法要にご参拝ください。

12月1日~聖人のご遺徳を偲んで2015年12月01日【253】

11月16日~絶対に避けられないもの

 今年もあと約四十日。月日が立つのは早いものです。

 先日十四日の早朝、佐賀県、鹿児島県を中心にした地震がありましたが、大きな被害もなく安心しました。

 地震発生からすぐにラジオでは、津波注意を促す放送が断続的に流れましたが、それが全国放送されると、九州以外の方々はよほど大きな地震が起きたのかと思われたのでしょう。数人の知人から無事を訪ねる電話やメールが届きました。

 心配してくださったことを心から有り難く嬉しく思うと共に、目には見えない思いやりと支えの中で生かされていることに感謝することでした。

 地震や台風、鹿児島では桜島の噴火と、自然災害は恐ろしいものです。自分の身近なところで発生しようものなら避けられませんし、大きな被害を被ります。 それだけに、いつ来てもなるべく被害を少なく抑えることができるように、日常的な点検や、避難訓練など心構えが必要でしょう。

 もう一つ私たちには絶対に避けることのできないものがあります。それは、「死ぬこと」です。

 地震や台風、また火山の噴火などはいつ来るかわかりませんし、もしかしたら来ないかもしれません。また、たとえ来たとしても普段から準備をしておけば逃げることができるかもしれません。

 しかし「死ぬこと」だけは、この世にいのちを恵まれたものは絶対に避けることができないものです。しかし、そうでありながら、私たちは「死」ついて考えたくありませんし、あまり深く話すこともありません。

 きっと、知らず知らずのうちにその現実から目を背け、自分のこととしては考えないようにしているのでしょう。

 しかし、自分自身の死というものをしっかりと見つめるとき、そして自分が死ぬときどうなるのかという問いを持ったとき、まこと真実の生、生き方が見えてきます。

 その問いの答えを見つけていくことを仏法聴聞といいます。

11月16日~絶対に避けられないもの2015年12月01日【252】

11月1日~あなたは私の宝物

 暦の七十二気候の中で、十月末から十一月のはじめは「霎時施(こさめときどきふる)」。外は冷たい晩秋の雨が降っています。

 さて、先月は秋の運動会や遠足の月で、お寺の幼稚園や保育園でも、バスに乗って宮崎方面に保護者同伴で遠足に行きました。

 バスの中では、親も子どもも一緒に楽しめるように先生方がゲームや出し物を準備していました。

 バスが出発して最初は、親子共々自己紹介です。司会の先生は、子どもはお母さんの好きなところを言って自己紹介。お母さんは子どもの好きなところを言って自己紹介をしてもらうように促しました。

 スタートはS君です。しかし最初で緊張したのか、S君はなかなかマイクを前に言葉が出ません。しばらくしてやっと「宝物…」と、S君の小さな声がしました。

 その声が聞き取れなかった司会の先生は、「S君、何? 宝物?」とS君に聞き直しました。

 するとS君は「僕のお母さんは、僕のことを毎日、Sちゃんはお母さんの宝物だよと、言ってくれる。それがお母さんの好きなところです」と答えました。

 そのS君の言葉は、バスに乗っていた子どもや保護者全員に広がり、皆があたたかな心になって、バスの中に拍手があふれたそうです。

 言葉にははたらきがあります。そして願いが込められた言葉があります。「あなたは私の宝物」とは、なんとすてきな言葉でしょう。

 毎日お母さんからかけられたその言葉は、S君の心に確かに届いていました。S君の心にはたらいていました。そしてその願いはS君の心にいつまでもはたらき続けることでしょう。

 仏さまの「南無阿弥陀仏」のお名号は、仏さまから私への呼び声と言われます。
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 きっと仏さまも「あなたは私の宝物ですよ」と、私たち一人ひとりを呼び願ってくださっていることでしょう。

11月1日~あなたは私の宝物2015年11月01日【251】

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