2月16日~心のどこかにとどめて
今年の冬は寒暖の差が激しく、温度差に体を合わせるのが大変です。
さて先日、新聞の記事で、九年前に幼いお嬢さんを亡くされたお父さまの記事を見ました。
ご存命であればお嬢さんは今年が成人式だそうで、私の次女と同学年ということも知りました。
私の次女は先般、成人式を迎えましたが、その記事を読んで少し考えさせられました。
そのお父さまのお宅には、約一年前から、亡くなられたお嬢さん宛てに振り袖や記念撮影の案内が届いたそうです。
そのお父さまにとって、お嬢さんの記憶はお亡くなりになった十歳で止まったまま。振り袖姿を想像しようとしてもできなかったそうです。案内を手にしたお父さまの言葉にはできないむなしさが伝わってくるようでした。
一方、早々と母親が振り袖を注文し、記念写真の早撮りを済ませた我が家では、次々に届く振り袖や記念写真の案内を、よくもまあ次々に送ってくるものだと、封を開けることもなくゴミ箱に捨てていました。
やむを得ないことかもしれませんが、世のなかには振り袖や記念写真の案内が届いても、子どものその姿を想像することすらできないご家庭があることを考えなかった自らを、その記事を通して内省したことです。
またそのことは案内を送る側にも言えるかもしれません。
様々な情報を元に案内は送られるのでしょう。しかし千に一、万に一、その宛名の方が事故や病気によって既にこの世におられない。あるいはその案内によって悲しみを深める方がおられるかもしれないことを、心のどこかにとどめておくことも大切かもしれません。
軽々しい同情は慎むべきでしょうが、常に広い想像心をもって考え行動することも忘れてはならないでしょう。
2016年02月15日【258】