最近の記事
1月16日~あらためて心から感謝を。
お正月から早半月が経ちました。
さて、今月十一日は成人式で、多くの若者が成人を迎えましたが、朝日新聞に掲載されていたタレントの風見しんごさんとえみるさんの記事に目が止まりました。
そうか、あれから約九年、ご存命であればみるさんは今年成人式だったのか…。私の記憶は忽ち九年前に戻されました。
風見しんごさんのお嬢さん・えみるさんは当時十歳。二〇〇七年一月十九日の朝、赤いランドセルを背負い「行ってきます」と笑顔で家を出た数分後のこと。自宅近くの横断歩道を青信号で渡っている時、二十二歳の男性が運転する三トントラックにはねられて亡くなりました。
痛ましい事故で、悲しいお通夜、お葬儀の模様がテレビで連日報道されていました。
数ヵ月後、加害者に下された判決は「禁固二年」でしたが、それに対し加害者は直ちに控訴しました。父親の風見さんはこれに対し、「最後まで心を信じます」と述べるとともに、「娘はけんかが嫌いだったんで…」と、えみるさんが望むこと、喜ぶことを考えて、「加害者を憎まない」と言われたことを、今でも印象深く記憶しています。
風見さんはこの度の新聞記事の中で、大切なわが子の命を一瞬にして奪われるという極限状態の中で、「悲しみ。憎しみ。後悔。恐怖。事故後、次々と襲って来る感情に混乱した。そして時間は何も解決してくれなかった」と述べておられます。
今現在、風見さんはタレント活動と共に、命の大切さについての講演を各地で続けておられるそうです。
そして、風見さんは、悲しいことも楽しいこともすべて、やがて先の世でえみるさんと再会したときの土産話にしようと決めたとも述べておられます。
尊い仏さまと成られたえみるさんが、お父様のしんごさんに、たえまなく美しいお慈悲の心ではたらきつづけてくださっていることを感じ、誠に有り難く思いました。えみるさんに、あらためて心から感謝いたします。
1月16日~あらためて心から感謝を。 | 2016年01月18日【256】
1月1日~おごらず、ひがまずの日暮らし
新年明けましておめでとうございます。
さて、一年の始まりに、今年こそ、いや今年も幸せな一年になるようにと、誓いを立てられた方もいらっしゃることでしょう。
中国の古い書物『淮南子(えなんじ)』に、人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)という故事があります。
中国の国境近くの村に老人が住んでいました。
ある朝、老人が目を覚ますと大切な馬が小屋からいなくなっていました。古い時代のことですから馬は老人にとって貴重な財産です。しかし、どこを探しても馬は見当たりません。
それを聞いた村人は、気の毒がって老人を見舞に行きました。
ところが老人は、意外にもケロッとして、「わしは少しも力を落としてない。悲しくもない」と言いました。
数日するとなんと、逃げ出した馬が立派な雌馬を連れて帰ってきました。
それを伝え聞いた村人は驚いて、今度は、老人の所へお祝いにやってきました。
すると老人は少しも嬉しそうな顔をしないで、「何がめでたい。これが災いの種にならんとも限らん」と言いました。まったくへそ曲がりなじいさんです。
数年のうち、二頭の馬は子どもを生み、老人の家は次第に裕福になりました。それがある日、老人の息子が馬から落ちて、大けがをしてしまいました。
またまた村人たちはお見舞いに駆けつけましたが、老人は「何が気の毒にじゃ、これが幸せをつかむきっかけになるかもしれんのに」と言い、村人はあきれかえるばかりです。
それから一年後、隣の胡という国と戦争が始まり、村の若者は戦地に出向き、激しい戦の末にその多くは死んでしまいましたが、老人の息子は足が完治していなかったので、戦いを免れ生き残ったというのです。
村人たちは、感心しながら、以前の老人の不可解な言葉を思い返したのです。
すべては無常、災いも悲しむに当たらず、福も喜びぶ当たらず。おごらず、ひがまずの日暮らしがよいことを伝えています。
1月1日~おごらず、ひがまずの日暮らし | 2016年01月02日【255】
12月16日~ご信心をいただくために
今月の十一日から十三日の三日間、お寺では「親鸞聖人七五〇回大遠忌法要」をお勤めしました。
毎日の昼の法要では、親鸞聖人を敬いそのお徳を讃える音楽法要を勤め、仏教婦人会のコーラスグループ・コール・シャンティが五ヵ月間の練習の成果を発揮し、多くの僧侶方ご出勤のもと、厳粛かつ賑々しくお勤めくださいました。
お参りくださった方から「感動した」「涙が溢れた」「いいご縁に遇いました」とのお声をたくさんいただきました。
中日の夜は、幼い子どもからお年寄りまで一緒にお参りする「家族参拝の夕べ」を行い、三百名を越える方々が家族そろってお参りくださいました。
家族で一緒にお参りしたあとは、コーラスや鹿児島大学の奇術同好会の奇術の披露、また歌いながら風船で動物やキャラクターを作るピッピさんの楽しいパフォーマンスがあり、本堂内は割れんばかりの拍手と歓声が上がり、とても楽しく有意義なひとときでした。
昔から「お寺は仏さまの教えを聞く道場である」と言われますので、お寺では、お勤めと仏さまのお話を真剣に聞くご法話さえあれば十分というお声もあるかもしれません。
しかし、コーラスも音楽法要も、様々なパフォーマンスや演出も皆、仏さまのみ教えに出会っていただくご縁づくりなのです。
浄土真宗では、信心をいただくことが大切です。信心とは、阿弥陀如来が完成された、私をまことの幸せに導く力・本願力をそのまま受け取ることです。阿弥陀如来が私のためにご用意くださった信心をそのまま素直にいただく、そのお謂われを聞かせていただくところがお寺です。
この度のお寺の行事一つ一つ、催し物一つ一つが、幼い子どもからお年寄りまで、この信心をいただいてもらうためのきっかけ作りなのです。
今年も覺照寺「こころの電話」をお聞きくださり、有り難うございました。
新年は、元旦の朝、お話が変わります。皆さま、よいお年をお迎えください。
12月16日~ご信心をいただくために | 2015年12月17日【254】