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2月1日~大事大事は多けれど…

 早いもので、一年の十二分の一の歳月が既に過ぎていきました。

 さて、お正月に今年一年の計画や目標を立てられた方も多いことでしょう。

 私事ですが、自分自身の人生を振り返ると、人生の計画をこの世に生まれる前に立てて、生まれてくることができたなら、もっとしっかりとした人生を送ることが出たのではないかと思うことがあります。

 人がこの世に生まれくる瞬間は誰しも意識はありません。幼児の頃も自分の人生という意識はありません。両親をはじめとする様々な人的環境や、家庭や幼稚園・保育園などの物的環境を通して知らず知らずのうちの成長していくものです。

 人は皆、このような状態ですから生まれる前に人生の計画を立てることは実際難しいことでしょう。

 では、自分の後生の計画はどうでしょうか。後生とはこの娑婆世界での自らの終焉の時のことです。

 毎日忙しくてそんなことを考えたことがない方のおられるかもしれません。まだまだ若いので自分が死ぬことなど考えられないという方もおられるでしょう。

 自分の死ぬことなど不吉で考えるのがいやだという方もおられるでしょう。死んだらおしまい、死後の世界などあるものかと考える方もおられるでしょう。

 しかし、この世に生を受けたものには必ず死がやってきます。誰も交われず、避けられず、逃げられず、後先順番もないのがいのちの法則です。

 であれば今、自分の死後の有り様をしっかりと考えておく必要があるのではないでしょうか。

 後生の一大事とは、自分の後生のあり方をしっかりと見つめ、その姿を仏法に説い訪ねていくことです。そうすれば今生の生き方が明らかになります。今年一年、今月、今日一日、今の今一瞬一瞬の確かな生き方が見えてきます。

 そのことを、「世の中に、大事大事は多けれど、この大事にまさる大事はなし」と、念仏者の先輩はおっしゃいました。

2月1日~大事大事は多けれど…2016年02月15日【257】

1月16日~あらためて心から感謝を。

 お正月から早半月が経ちました。

 さて、今月十一日は成人式で、多くの若者が成人を迎えましたが、朝日新聞に掲載されていたタレントの風見しんごさんとえみるさんの記事に目が止まりました。

 そうか、あれから約九年、ご存命であればみるさんは今年成人式だったのか…。私の記憶は忽ち九年前に戻されました。

 風見しんごさんのお嬢さん・えみるさんは当時十歳。二〇〇七年一月十九日の朝、赤いランドセルを背負い「行ってきます」と笑顔で家を出た数分後のこと。自宅近くの横断歩道を青信号で渡っている時、二十二歳の男性が運転する三トントラックにはねられて亡くなりました。

 痛ましい事故で、悲しいお通夜、お葬儀の模様がテレビで連日報道されていました。

 数ヵ月後、加害者に下された判決は「禁固二年」でしたが、それに対し加害者は直ちに控訴しました。父親の風見さんはこれに対し、「最後まで心を信じます」と述べるとともに、「娘はけんかが嫌いだったんで…」と、えみるさんが望むこと、喜ぶことを考えて、「加害者を憎まない」と言われたことを、今でも印象深く記憶しています。

 風見さんはこの度の新聞記事の中で、大切なわが子の命を一瞬にして奪われるという極限状態の中で、「悲しみ。憎しみ。後悔。恐怖。事故後、次々と襲って来る感情に混乱した。そして時間は何も解決してくれなかった」と述べておられます。

 今現在、風見さんはタレント活動と共に、命の大切さについての講演を各地で続けておられるそうです。

 そして、風見さんは、悲しいことも楽しいこともすべて、やがて先の世でえみるさんと再会したときの土産話にしようと決めたとも述べておられます。

 尊い仏さまと成られたえみるさんが、お父様のしんごさんに、たえまなく美しいお慈悲の心ではたらきつづけてくださっていることを感じ、誠に有り難く思いました。えみるさんに、あらためて心から感謝いたします。

1月16日~あらためて心から感謝を。2016年01月18日【256】

1月1日~おごらず、ひがまずの日暮らし

 新年明けましておめでとうございます。

 さて、一年の始まりに、今年こそ、いや今年も幸せな一年になるようにと、誓いを立てられた方もいらっしゃることでしょう。

 中国の古い書物『淮南子(えなんじ)』に、人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)という故事があります。 

 中国の国境近くの村に老人が住んでいました。

 ある朝、老人が目を覚ますと大切な馬が小屋からいなくなっていました。古い時代のことですから馬は老人にとって貴重な財産です。しかし、どこを探しても馬は見当たりません。

 それを聞いた村人は、気の毒がって老人を見舞に行きました。

 ところが老人は、意外にもケロッとして、「わしは少しも力を落としてない。悲しくもない」と言いました。

 数日するとなんと、逃げ出した馬が立派な雌馬を連れて帰ってきました。

 それを伝え聞いた村人は驚いて、今度は、老人の所へお祝いにやってきました。

 すると老人は少しも嬉しそうな顔をしないで、「何がめでたい。これが災いの種にならんとも限らん」と言いました。まったくへそ曲がりなじいさんです。

 数年のうち、二頭の馬は子どもを生み、老人の家は次第に裕福になりました。それがある日、老人の息子が馬から落ちて、大けがをしてしまいました。

 またまた村人たちはお見舞いに駆けつけましたが、老人は「何が気の毒にじゃ、これが幸せをつかむきっかけになるかもしれんのに」と言い、村人はあきれかえるばかりです。

 それから一年後、隣の胡という国と戦争が始まり、村の若者は戦地に出向き、激しい戦の末にその多くは死んでしまいましたが、老人の息子は足が完治していなかったので、戦いを免れ生き残ったというのです。

 村人たちは、感心しながら、以前の老人の不可解な言葉を思い返したのです。

 すべては無常、災いも悲しむに当たらず、福も喜びぶ当たらず。おごらず、ひがまずの日暮らしがよいことを伝えています。

1月1日~おごらず、ひがまずの日暮らし2016年01月02日【255】

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