11月16日~絶対に避けられないもの
今年もあと約四十日。月日が立つのは早いものです。
先日十四日の早朝、佐賀県、鹿児島県を中心にした地震がありましたが、大きな被害もなく安心しました。
地震発生からすぐにラジオでは、津波注意を促す放送が断続的に流れましたが、それが全国放送されると、九州以外の方々はよほど大きな地震が起きたのかと思われたのでしょう。数人の知人から無事を訪ねる電話やメールが届きました。
心配してくださったことを心から有り難く嬉しく思うと共に、目には見えない思いやりと支えの中で生かされていることに感謝することでした。
地震や台風、鹿児島では桜島の噴火と、自然災害は恐ろしいものです。自分の身近なところで発生しようものなら避けられませんし、大きな被害を被ります。 それだけに、いつ来てもなるべく被害を少なく抑えることができるように、日常的な点検や、避難訓練など心構えが必要でしょう。
もう一つ私たちには絶対に避けることのできないものがあります。それは、「死ぬこと」です。
地震や台風、また火山の噴火などはいつ来るかわかりませんし、もしかしたら来ないかもしれません。また、たとえ来たとしても普段から準備をしておけば逃げることができるかもしれません。
しかし「死ぬこと」だけは、この世にいのちを恵まれたものは絶対に避けることができないものです。しかし、そうでありながら、私たちは「死」ついて考えたくありませんし、あまり深く話すこともありません。
きっと、知らず知らずのうちにその現実から目を背け、自分のこととしては考えないようにしているのでしょう。
しかし、自分自身の死というものをしっかりと見つめるとき、そして自分が死ぬときどうなるのかという問いを持ったとき、まこと真実の生、生き方が見えてきます。
その問いの答えを見つけていくことを仏法聴聞といいます。
2015年12月01日【252】