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3月1日からの4月16日の法話について

 3月1日、16日、4月1日、16日のテレホン法話は、本願寺出版社発行の『拝読 浄土真宗のみ教え』の中より、お伝えいたしました。

3月1日からの4月16日の法話について2016年05月04日【259】

2月16日~心のどこかにとどめて

 今年の冬は寒暖の差が激しく、温度差に体を合わせるのが大変です。

 さて先日、新聞の記事で、九年前に幼いお嬢さんを亡くされたお父さまの記事を見ました。

 ご存命であればお嬢さんは今年が成人式だそうで、私の次女と同学年ということも知りました。

 私の次女は先般、成人式を迎えましたが、その記事を読んで少し考えさせられました。

 そのお父さまのお宅には、約一年前から、亡くなられたお嬢さん宛てに振り袖や記念撮影の案内が届いたそうです。

そのお父さまにとって、お嬢さんの記憶はお亡くなりになった十歳で止まったまま。振り袖姿を想像しようとしてもできなかったそうです。案内を手にしたお父さまの言葉にはできないむなしさが伝わってくるようでした。

 一方、早々と母親が振り袖を注文し、記念写真の早撮りを済ませた我が家では、次々に届く振り袖や記念写真の案内を、よくもまあ次々に送ってくるものだと、封を開けることもなくゴミ箱に捨てていました。

 やむを得ないことかもしれませんが、世のなかには振り袖や記念写真の案内が届いても、子どものその姿を想像することすらできないご家庭があることを考えなかった自らを、その記事を通して内省したことです。

 またそのことは案内を送る側にも言えるかもしれません。

 様々な情報を元に案内は送られるのでしょう。しかし千に一、万に一、その宛名の方が事故や病気によって既にこの世におられない。あるいはその案内によって悲しみを深める方がおられるかもしれないことを、心のどこかにとどめておくことも大切かもしれません。

 軽々しい同情は慎むべきでしょうが、常に広い想像心をもって考え行動することも忘れてはならないでしょう。

2月16日~心のどこかにとどめて2016年02月15日【258】

2月1日~大事大事は多けれど…

 早いもので、一年の十二分の一の歳月が既に過ぎていきました。

 さて、お正月に今年一年の計画や目標を立てられた方も多いことでしょう。

 私事ですが、自分自身の人生を振り返ると、人生の計画をこの世に生まれる前に立てて、生まれてくることができたなら、もっとしっかりとした人生を送ることが出たのではないかと思うことがあります。

 人がこの世に生まれくる瞬間は誰しも意識はありません。幼児の頃も自分の人生という意識はありません。両親をはじめとする様々な人的環境や、家庭や幼稚園・保育園などの物的環境を通して知らず知らずのうちの成長していくものです。

 人は皆、このような状態ですから生まれる前に人生の計画を立てることは実際難しいことでしょう。

 では、自分の後生の計画はどうでしょうか。後生とはこの娑婆世界での自らの終焉の時のことです。

 毎日忙しくてそんなことを考えたことがない方のおられるかもしれません。まだまだ若いので自分が死ぬことなど考えられないという方もおられるでしょう。

 自分の死ぬことなど不吉で考えるのがいやだという方もおられるでしょう。死んだらおしまい、死後の世界などあるものかと考える方もおられるでしょう。

 しかし、この世に生を受けたものには必ず死がやってきます。誰も交われず、避けられず、逃げられず、後先順番もないのがいのちの法則です。

 であれば今、自分の死後の有り様をしっかりと考えておく必要があるのではないでしょうか。

 後生の一大事とは、自分の後生のあり方をしっかりと見つめ、その姿を仏法に説い訪ねていくことです。そうすれば今生の生き方が明らかになります。今年一年、今月、今日一日、今の今一瞬一瞬の確かな生き方が見えてきます。

 そのことを、「世の中に、大事大事は多けれど、この大事にまさる大事はなし」と、念仏者の先輩はおっしゃいました。

2月1日~大事大事は多けれど…2016年02月15日【257】

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