9月16日~何も残りはしない…か?
九月二十日から秋のお彼岸です。皆さん、ご先祖を偲びつつお墓参りをされることでしょう。
さて先日、ある人が、「人間は死んだら骨になって、何も残りはしない。死後の世界などもあるはずがない。なのになぜ、宗教は死後の世界を説くのか。まやかしではないか」と言っていました。
宗教はまやかしでしょうか。
今一度、自分自身のいのちというものを見つめることが大切ではないでしょうか。
私はどのようにしてこの世に生を受けたのでしょうか。両親を縁として生を受けたのですが、私という存在がなぜそこに生を受けたのか、答えられる人はいるでしょうか。
また、今日この日まで、多くのいのちを頂きながら過ごし、多くの人に育てられながら生きてきましたが、その一つ一つの出会いやご縁をなぜいただくことができたのか、自分で説明できるでしょうか。
私たちが今、この世に存在するということは、数多のいのちが生まれ死んでいく中で、人としてのいのちをいただいたからです。
そのいのちは自分で選んだわけでも、作ったわけでもありません。それは多くの先祖方の、いのちのつながりの中で生まれさせていただいたものです。そのつながりのどこかが途切れたならば、私のいのちは存在しません。
ですから先祖方は、私の過去ということができますし、先祖方から見れば私は未来といえます。
私のいのちは、永遠の中のいのちと言えましょう。だから私のいのちは尊いのです。大切に生きなければならないのです。そのことを教えてくださる宗教は決してまやかしなどではありません。
私のいのちの真実の姿と、まことの生き方を説き示してくださる教えです。
2015年09月16日【248】