8月16日~いかなる理屈並べようとも…。
お寺にとって、とても忙しいお盆が過ぎていきました。
さて、今年は終戦七十年で、戦時中、機銃掃射を受けた覺照寺の本堂にも多方面よりたくさんの方々が戦争の傷跡を見学に来られました。
また、十五日の終戦の日には、テレビ各局で記念番組を放送していましたが、どの番組も、戦争とはいかなる理屈を並べようとも、人が傷つき、心が傷つき、悲惨と愚劣の何物でもないことを語っていました。
有名な知覧の特攻記念館には、浄土真宗の、門徒のご子息の遺書があります。
「お母さん、お体大切に。私は最後にお母さんが何時も云われたお念仏を唱えながら空母に突入します。南無阿弥陀仏」。
熊本県出身で、十九歳の山下孝之少尉の遺書です。
阿弥陀さまの本願を信じお念仏を申せば仏さまに成らせていただく教えを、お母さんがいつもご子息にお話しになっていたのでしょう。お母さんを思い、お念仏一つにすがる若い青年の極限の思いが、胸を締め付けます。
石川県出身の岩倉三郎大尉・二十二歳に届いたお母さまからのお手紙もあります。
「バクダンかかえて行く時は 必ず忘れまいぞ(ナムアミダブツ)ととなえてくれ。これが母の頼みである。これさえ忘れないでいてくれたら 母はこの世に心配事はない。忘れないで となえてくれ。この次会う時は、(アミダ様)で会おうではないか。これが何よりも母の頼みである。忘れてはならないぞ」
お念仏をいただく人は、たとえこの娑婆世界で別れようとも、やがて必ず会うことのできるお浄土があるという阿弥陀さまの誓いをひたすら信じ、はるか石川の地より息子を願うお母様の姿が目に映ります。
二度と、このような若い方々が遺書を書いて戦地におもむくような時代にしてはなりません。二度と戦地におもむく息子に、母親が最後の手紙を書かねばならないような時代にしてはなりません。
2015年08月18日【246】