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12月16日~娑婆を幸せに生きるために…。
早いもので今年もあと半年となりました。
さて、今年も様々な出来事や事件がありました。個人的にもいいことがあった人、悪いことがあった人、これといって変化がなかった人、それぞれでしょう。 仏教ではこの世の中のことを娑婆といい、意味は忍土。様々な悩みや苦しみ、困難に耐え忍んでいかねばならない世界であると説かれます。
巷では、様々な占いやお祓いや祈祷などがありますが、できるなら悩んだり苦しむような困難に出遭いたくないという、人間の願いの表れでしょう。
しかし残念ながら、どのように祈っても、どんなに占ってもらっても、この世に生まれて生きている限りは悩みや苦しみとであわない人はいません。
では、この娑婆を生きていくために、少しでも幸せな生き方をするためにどうしたらよいのでしょうか。
例えば、プロ野球ではよくピッチャーが話題になりますが、私はキャッチャーも同様にすごいなと常々思います。
一四~五〇キロという高速球、しかも変化する球をミット一つで受け止める技術を持っているからです。
取り損ねようものなら大けがをしてしまいますし、チームも負けてしまいますが、常にどのような球種の球かを認識し、自分の手中に受け止める技術は大したものです。
つまり、自らに起こる悩みや苦しみを正しく知ることが出来るなら、それに惑わされることのない正しい受け止め方が出来るようになるのです。
それには野球選手と一緒で鍛錬が必要です。浄土真宗ではその鍛錬を仏法を聞くこと、聴聞といいます。時間さえ作れば誰にでも出来る鍛錬です。
お釈迦さまは娑婆での人生は苦であると言われました。その苦しみを乗り越え、苦しみを豊かさと実りに転じていくことのできる道を仏道として示されました。
共々にその道を聞き開いていきましょう。
12月16日~娑婆を幸せに生きるために…。 | 2014年12月16日【230】
12月1日~人から褒められるときは。
二〇一四年も残すところあと一ヵ月。月日が経つのは早いものです。
さて、年齢を重ねると共に様々な式典の場で挨拶をする機会が増えました。
結婚式や役職者の交代式での挨拶、またお葬式は挨拶ではありませんが、毎回ご法話を
させていただきます。
そのような機会があるごとに、その当事者のことを縁ある方々によく聞いた上で挨拶をするように心がけています。そうでなければ、いい加減な挨拶になってしまうからです。
するとやっぱり、その当事者のいい点を見つけてお話しすることになりますが、よくよく考えてみると、人がめいっぱい褒められるときは、結婚式や何か大きな成功を収めたとき、あるいは人生最後の儀式であるお葬式の時かもしれません。
人から褒めてもらったり、あるいは認めてもらうということは、やっぱり嬉しいことです。
私も昔お勤めをしていたときに、上司から褒められたときは、大変嬉しかったことを覚えています。例えそれがお世辞であったとしても。
だからやはり常々、周囲の人の長所を見つけては、それを認め讃えることに努めた方がよいでしょう。
ただ一つ、自分自身が褒められた時に、お釈迦さまからアドバイスがあります。
「ただ誹られるだけの人、また褒められるだけの人は過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない」
周囲の人から認めていただいたり、褒めていただいたときは、褒めていただいたことに感謝をし、さらに周囲の人に喜んでいただけるような努力をしましょう。と同時に、有頂天になることを避けて、まだまだ足らないところや自分自身に欠点があることを忘れてはならないと、お釈迦さまは諭されています。
そして常日ごろから、自分自身の本当の姿を知ろうとする姿勢が大切です。
それは仏さまのお話を聞くことから始まります。
12月1日~人から褒められるときは。 | 2014年12月02日【229】
11月16日~もう会えないかもしれないけど…。
十一月も半ば、寒さが一層厳しくなりました。
さて浄土真宗に、「倶会一処」という大切にされる言葉があります。「く」とは人偏に道具の具と書いて「倶に」、「え」とは人と「会う」という字、「一処」とは「一つの処」と書き、お念仏の信心に生きる人は、たとえこの娑婆世界でお別れをしようとも、やがてお浄土に生まれ、再び先に往生し仏さまと成られし方々と会うことが出来るという阿弥陀さまの誓いのお言葉です。
先日のこと、大阪に出張した折に、離郷のご門徒・Sさんに会いに行きました。
Sさんは九十六歳、以前は鹿児島に住んでおられ、しょっちゅうお寺にお参りになっておられました。お参りになると必ず一番前で正座をされて、お経に耳を傾けておられました。
六年前、ご家庭の都合で、大坂におられる娘さんのお世話になるために移住されたのです。
時折お便りをくださり、この度、お寺で計画中の親鸞さまの法要に伴うご懇志をわざわざ送金くださり、そのお礼も兼ねて訪ねたのです。
私の突然の訪問でご家族皆驚かれました。そして久しぶりに会うSさんは、お元気な様子でしたが、既に下半身が不自由とのことでした。
一緒にお仏壇の前でお勤めをし、共にお念仏をお称えしてお参りをしました。
そして、ご家族共々近況をいろいろとお聞かせいただきました。
いよいよお別れをするとき、Sさんが「もしも私が死んだときは住職さん、来てくださいますか」とおっしゃいましたので、鹿児島と大阪のこと、確かな約束はできませんので私は、「ごめん、分からんよね」と答えました。
でも、別れ際に、「多分、Sさんが先にお浄土に参るかもしれんけど、今生ではもう会えないかもしれないけど、またいつかお浄土でお目にかかれますよ。大丈夫」と、Sさんの手を握りました。
Sさんは、「そうですね」と、満面の笑みを浮かべてくださいました。
お念仏をいただく私たちは、倶会一処の誓いの中で心豊かな日暮らしと確かな安心を恵まれるのです。有り難いことです。
11月16日~もう会えないかもしれないけど…。 | 2014年11月17日【228】