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4月16日~六道を越える道
隣の熊本県では、鳥インフルエンザの感染が大変心配されています。やむを得ないことですが、拡大防止のための殺処分により、失われた多くのいのちに静かに手を合わすことです。
さて、四月八日はお釈迦さまの誕生日でしたが、伝説によると、お釈迦様は生まれてすぐに七歩歩いたと伝えられます。
赤ちゃんが生まれてすぐに七歩歩くとは考えられませんが、お釈迦さまの偉大さとその教えの尊さを讃えて、後にそう伝えられるようになったのでしょう。
その七歩には六道を超えるという意味があります。六道とは仏教でいう迷いの世界。おごり高ぶり、怒りや腹立ち、貪りや嫉みなどの心の咎を表し、地獄や餓鬼の世界が代表的です。
お釈迦さまが七歩を歩まれたということは、これらの六つ迷いの世界を超えたことを象徴しているのですが、同時に、人間自らの心の中にそれら一つ一つの迷いが存在していることを、目を背けることなく直視されたことを示されています。
一見すると人間、苦しみや悩みが無いことはよいことのように思えますが、人生という広く長い視野から見ると、それが必ずしも幸せとは言えません。
社会的にすばらしい功績を残し、周囲から尊敬されるようになった人の中に、若き時、様々な苦労や困難、挫折を繰り返した経験がある人がいることはよく耳にすることです。
何不自由なく苦労なく育った子どもが、心の広い立派な大人になるとは限りません。
大切なのは、人がこの世に誕生したということは、だれしも常に六つの迷いの道に向かって生きざるを得ないということを、目を背けることなく、ごまかすことなく、自らの生き方に直視することです。
お釈迦さまは、人間の持つ悩みや苦しみ迷いの心すべてを受け止めて、その中からあらゆる迷いを超える道、どのような問題も解決できる道を開かれました。
それを仏道といいます。
4月16日~六道を越える道 | 2014年04月16日【214】
4月1日~誕生に確かな人生設計を…。
春風に桜の花もすっかり散ってしまいました。
先日の春の選抜高校野球大会では、西本願寺の宗門校である龍谷大平安高校が見事優勝しました。
四月三日、野球部のメンバーは、西本願寺の御影堂に深紅の優勝旗を掲げて御礼の参拝をし、共々にその快挙を御祝いすることでした。
さて、四月八日はだれもが知る仏教の開祖・お釈迦さまの誕生日、花まつりの日です。
まことにおめでたい日ですが、お釈迦さまに限らず、いのちや物事の誕生はそのもののスタートであり、そこから成長や発展があるわけですから、大変悦ばしいことです。
特に子どもの誕生は、親にとってこれほど嬉しく頼もしいものはありません。親は子どもの心身ともに健やかな成長を願い、大いなる期待と夢と願いを持つものです。
また、子どもの成長とともに様々な家庭の計画を立てなければなりません。家庭計画書、人生設計です。
そして、確かな家庭計画書や人生設計を立てるには、それなりの資料や情報を集めなければなりません。
そのより所となるのがお釈迦様の教えです。お釈迦さまは、確かな家庭計画書や人生設計を立てるには、いのちの現実をまず直視することを諭されました。
生きるということは老いに向かうことである。生きるということは必ず病いで苦しまねばならない身を抱えることである。生きるということは逃げられぬ、避けられぬ、代われぬ、予測できぬ死を、いつ何時か迎えねばならないことである。
お釈迦さまは、それらのいのちの厳しい現実を深く見極めた上で、私たちが心豊かにこの人生を全うすることのできる教えを開いて下さいました。
だから、常にお釈迦さまのみ教えにたずねていくことが大切なのです。
それをお聴聞の日暮らしといいます。
4月1日~誕生に確かな人生設計を…。 | 2014年04月05日【213】
3月16日~「人々よ、武器を置くのだ」
お彼岸が近づき、ようやく暖かくなってきました。
さて、先月はソチオリンピックでは、世界から参集した選手のすばらしい競技に魅了されました。今月はパラリンピックで、様々な障害を乗り越えて力強く競技する選手に勇気づけられる思いです。
一方、ウクライナでは反政権勢力と治安部隊の衝突が続き、その動向が大変心配されています。
そのような中、ロシアのオリンピック委員会の会長を務めるセルゲイ・ブブカさんは二月十九日、「対話は力であり、暴力は弱さだ」「ウクライナの選手はソチで平和に、そして敬意をもって戦っている。暴力の居場所は世界にない」「すべての当事者に呼びかける。五輪の伝統を思い出してほしい。武器を置くのだ」と、ネットで「五輪停戦」を呼びかけました。
オリンピックは、エケテイリア=聖なる停戦とも言われます。
つまりオリンピックが開催されている期間中は、いかなる戦争も紛争も停止するという国際間のルールです。またこれは、観客も無事帰国できるように各国が最善を尽くすという約束事でもあります。
古代オリンピックはギリシアを中心にした宗教行事で、多くの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭だったといわれています。
そして、そのオリンピックには、ギリシア全土から競技者や観客が参加したそうです。
しかし、当時の古代ギリシアでも、紛争が絶えませんでした。そこで、宗教的行事に選手も観客も皆が無事参加できるように、たとえ紛争の途中にあっても皆武器を置いた、これをエケテイリア=聖なる停戦と言い、オリンピックが平和の祭典と言われる所以です。
悲しいことに地球上では、様々な紛争や戦争が起こってしまいますが、一方では人類が長い歴史の中で見出してきた叡智があります。
「対話は力であり、暴力は弱さだ」「人々よ、武器を置くのだ」。
五輪の選手たちのすばらしい競技と共に、心にとどめておきたい言葉です。
(参考:公益財団法人 日本オリンピック委員会HP)
3月16日~「人々よ、武器を置くのだ」 | 2014年03月15日【212】