5月16日~占いが必要ない人生
五月に入り、野山は新緑が輝いて、とても清々しい日が続いています。
さて、親鸞聖人のお言葉に、「念仏者は無碍の一道なり」というものがあります。
「無碍」とは、さまたげがないということで、「お念仏をいただく者は、何ものにもさまたげられることのない、確かな真実の道を歩むのだ」という意味です。
まことに力強い一言ですが、このお言葉は、浄土真宗のみ教えをいただく人には、占いや現世祈祷にたよらない生き方が開かれるという意味にもなります。
先日、本屋さんで少し立ち読みをしていましたら、宗教関係の書棚付近から数名の中年女性の声が聞こえてきました。
「この前、この占いの本を買ったのだけど結構当たってるから、今はこれを信じてる」、「この血液占いはダメ、当たらないから今こっちの本を信じてるの」、「この人の占いね、前は当たったんだけど今は前々当たんなくなっちゃった」。
こんな会話で、皆さんとても真剣な様子です。きっと日々の生活の中で様々な悩みや問題を抱えながら生活をされ、それが少しでも好転するようにと、占いにたよっていることが窺えました。
しかし一方で、あっちの占いは当たらないから今度はこっち。こっちを信じていたけど、当たらなくなったから今度はあっちを信じると、結構忙しいのだなと思いました。
「占いを信じている人ほど、占いを信じていない」という言葉がありますが、まさしくその通りです。「占いは、人生のトランプカードのようなもの」といった人がありますが、その女性方のお話は、大切な一日一日が、ババを引くかキングを引くかの薄っぺらなカードゲームのようにも聞こえてしまいました。
お念仏をいただく生活とは、悩みや問題が無くなるわけではありませんが、如来さまの本願力によって、それらを力強く乗り越えていく道が開かれるのです。
決して占いの存在を否定するものではありません。私の人生に占いはまったく必要が無いのです。仏さまのみ教えによって、肩に力の入らないゆったりとした人生が開かれるのです。
2014年05月16日【216】