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5月1日~悲しむべき傷むべきこと

 韓国の珍島沖で発生した旅客船・セウォル号の沈没事故は、未来を担う多くの青少年が命を失い、まだ多くの行方不明者がおられます。

一刻も早く家族のもとへ帰ってほしいと願わずにはおれません。犠牲になった方々へ心からお見舞い申し上げます。

 安全や危機管理の面から人災が濃厚だと連日報道されています。

事故の原因については調査中で、また韓国での事故ですので軽々に論じてはなりませんが、報道による限りこの悲惨で痛ましい事故が、子どもたちをあたたかく見守るはずの大人の無責任な姿勢によって発生し、子どもたちを正しき方向へ導くはずの大人の誤った行動によって、多くの若者の命が失われたことを、誠に悲しく思います。
 

社会にあって、子どもたちを常にあたたかく見守り、正しき方向へと導くのは年長者、つまり大人の役目です。

 世の中には思うようにならないことがたくさんあって、さらに様々な危険が至る所に潜んでいることを教えるのは大人の仕事です。だからこそ、日頃からの注意や点検を怠らないように導くのも大人の仕事です。

 さらに、もし思うようにならなくなったとき、あるいは自らに危険が及んだときは、慌てずに冷静な判断力でそれを回避することを教え導くのも大人の仕事です。

 しかし、この度の事故はどうでしょうか。

 船の荷物の積載量をはじめ日常の運行のあり方も基準をはるかに超えており、ライフジャケットや救命ボートにも不備があったようです。船長をはじめ事故直後の乗組員の行動にも怒りを感ぜずにはおれません。

 この度の事故と犠牲が、子どもたちを正しい方向へと導かねばならぬ大人の無責任と過失によって引き起こされたことが、誠に悲しむべき傷むべきことであります。

 お経の中に、「先に生まれんものは後を導き」とありますが、仏道のことだけに限らず、それが日常の生活の中にあることを心に深く刻みたいと思います。

5月1日~悲しむべき傷むべきこと2014年05月01日【215】

4月16日~六道を越える道

 隣の熊本県では、鳥インフルエンザの感染が大変心配されています。やむを得ないことですが、拡大防止のための殺処分により、失われた多くのいのちに静かに手を合わすことです。

 さて、四月八日はお釈迦さまの誕生日でしたが、伝説によると、お釈迦様は生まれてすぐに七歩歩いたと伝えられます。

 赤ちゃんが生まれてすぐに七歩歩くとは考えられませんが、お釈迦さまの偉大さとその教えの尊さを讃えて、後にそう伝えられるようになったのでしょう。

 その七歩には六道を超えるという意味があります。六道とは仏教でいう迷いの世界。おごり高ぶり、怒りや腹立ち、貪りや嫉みなどの心の咎を表し、地獄や餓鬼の世界が代表的です。

 お釈迦さまが七歩を歩まれたということは、これらの六つ迷いの世界を超えたことを象徴しているのですが、同時に、人間自らの心の中にそれら一つ一つの迷いが存在していることを、目を背けることなく直視されたことを示されています。

 一見すると人間、苦しみや悩みが無いことはよいことのように思えますが、人生という広く長い視野から見ると、それが必ずしも幸せとは言えません。

 社会的にすばらしい功績を残し、周囲から尊敬されるようになった人の中に、若き時、様々な苦労や困難、挫折を繰り返した経験がある人がいることはよく耳にすることです。

 何不自由なく苦労なく育った子どもが、心の広い立派な大人になるとは限りません。

 大切なのは、人がこの世に誕生したということは、だれしも常に六つの迷いの道に向かって生きざるを得ないということを、目を背けることなく、ごまかすことなく、自らの生き方に直視することです。

 お釈迦さまは、人間の持つ悩みや苦しみ迷いの心すべてを受け止めて、その中からあらゆる迷いを超える道、どのような問題も解決できる道を開かれました。

それを仏道といいます。

4月16日~六道を越える道2014年04月16日【214】

4月1日~誕生に確かな人生設計を…。

 春風に桜の花もすっかり散ってしまいました。

 先日の春の選抜高校野球大会では、西本願寺の宗門校である龍谷大平安高校が見事優勝しました。

 四月三日、野球部のメンバーは、西本願寺の御影堂に深紅の優勝旗を掲げて御礼の参拝をし、共々にその快挙を御祝いすることでした。

 さて、四月八日はだれもが知る仏教の開祖・お釈迦さまの誕生日、花まつりの日です。

 まことにおめでたい日ですが、お釈迦さまに限らず、いのちや物事の誕生はそのもののスタートであり、そこから成長や発展があるわけですから、大変悦ばしいことです。

 特に子どもの誕生は、親にとってこれほど嬉しく頼もしいものはありません。親は子どもの心身ともに健やかな成長を願い、大いなる期待と夢と願いを持つものです。

 また、子どもの成長とともに様々な家庭の計画を立てなければなりません。家庭計画書、人生設計です。

 そして、確かな家庭計画書や人生設計を立てるには、それなりの資料や情報を集めなければなりません。

 そのより所となるのがお釈迦様の教えです。お釈迦さまは、確かな家庭計画書や人生設計を立てるには、いのちの現実をまず直視することを諭されました。

 生きるということは老いに向かうことである。生きるということは必ず病いで苦しまねばならない身を抱えることである。生きるということは逃げられぬ、避けられぬ、代われぬ、予測できぬ死を、いつ何時か迎えねばならないことである。

 お釈迦さまは、それらのいのちの厳しい現実を深く見極めた上で、私たちが心豊かにこの人生を全うすることのできる教えを開いて下さいました。

 だから、常にお釈迦さまのみ教えにたずねていくことが大切なのです。

それをお聴聞の日暮らしといいます。

4月1日~誕生に確かな人生設計を…。2014年04月05日【213】

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