こころの電話

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1月16日~染香人のような人

 新しい年が明けて、早半月が経ちました。

 さて、浄土真宗に「染香人」という言葉があるのをご存じでしょうか。

 染とは「染める」、香とは「香る」、人とは「人」と書いて、お念仏の教えをよろこぶ人のことを讃えて言います。

 親鸞聖人は、染香人のことを、「かうばしき香、身に染めるがごとしといふ」とおっしゃり、よい香りのお香は自然に衣服に染み付いて、その香りに染められた者は、さらに周囲によい香りを放つようになりますが、それと同様に、お念仏をよろこぶ人の人生は、阿弥陀さまの智慧のはたらきによって、知らず知らずのうちに美しく飾られ、その人の生き方そのものが、自ずから阿弥陀さまの徳にあふれた人生に恵まれるという意味です。

 先日、病気で突然、お浄土にお参りになったご門徒のBさんは、まさしくその染香人のような方でした。

 常々お寺の法要やご法座があるときは足繁く通い、お聴聞を重ねておられました。

また、お寺からご本山参りや旅行があるときは、進んでご夫婦で参加されていました。

さらに、仏教婦人会の会員として、お寺の奉仕作業や幼い子どもたちの育成活動にも参加されていました。

 いつも周囲の人には笑顔で接しておられましたが、常々手を合わしておられた如来さまの微笑みが自然に備わったのでしょう。

 いつも口数少なく慎みのある方でしたが、常々お聴聞される如来さまの智慧の眼差しが自然に備わったのでしょう。

 いつもやさしくあたたかな心で周囲の方に接しておられましたが、常々お聴聞される如来さまの慈しみの心が自然に備わったのでしょう。

 まさしくBさんの生き方そのものが、阿弥陀さまの徳にあふれた人生でありました。

 今生でのお別れは大変さびしいことですが、その仏徳にあふれたお姿を偲びつつ、お念仏とともに心から感謝したいと思います。

1月16日~染香人のような人2014年01月17日【208】

2014年1月1日~ともにこれ凡夫ならくのみ

 新年明けまして、おめでとうございます。

 今年も、仏さまのみ教えを聴聞し、まことのしあわせに満ちた日暮らしをさせていただきましょう。

 新年にあたり、一つの言葉をご紹介します。

 「われかならず聖になるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ」

 ご存じの方も多いと思いますが、これは親鸞聖人が、日本において仏教を広めた主として敬われた、聖徳太子の「憲法十七条」に出てくる文言です。

 人はそれぞれに思いとらわれるところがあり、意見が合わなかったり、人が従わないことがある。しかし、自分自身もすべての物事の道理に通じた者ではない。相手も必ずしも愚か者ではない。人はともに凡夫なばかりである。

 紹介した文言はこのような意味ですが、 凡夫とは、仏教の真理に目ざめることなく、欲望や執着などの煩悩に支配されて生きている人間のことをいいます。

 「ただひと」とも読みますから、すべての人ということになりましょう。

 昨年を顧みますと、政治や国際情勢など、たくさんの意見の衝突や紛争がありました。

 議論を交わしたうえで、社会がよき方向へと向かうのはよいことでしょうが、逆に意見の衝突が感情的になり角を突き合わせ、互いに武器を持ち緊張と牽制に明け暮れ、仕舞いに人が傷つけ合うようなことになることは絶対に避けなければなりません。

 お互いに、道理である、事実であるといっても、その道理や事実の見方や受け止め方によって主張が異なることもあるのです。

 聖徳太子がいわれるように、決して相手だけではない。自らも含めて、人は皆、煩悩に支配されて生きる凡夫であるという自覚が必要であり、それを知らしめる教えが必要です。

 一人ひとりがよくよく心して、和やかで明るい社会をつくって参りましょう。

2014年1月1日~ともにこれ凡夫ならくのみ2013年12月31日【207】

12月16日~あぁ、ワクワクドキドキが…

 報恩講も終わり、いよいよ今年も残りわずかとなりました。

 この時期に、よく耳にするのが、「早いものでもう今年も終わりですね」、「一年が経つのはほんとに早いですね」という会話です。

 月日の経過が、若い頃には遅く、年を重ねる毎に早く感じられるのは、決して曖昧な感覚ではなくて、ジャネーの法則といい心理学的に解明されています。

 例えば、五歳の人にとって一年は、人生の五分の一の感覚でゆったりと経過しますが、五十歳の人にとって一年は、五十分の一の早さで過ぎ去っていきます。五十歳の人にとっての十年間は、五歳の人にとっては一年間となります。

 実際の時間は変わらないのですが、年が若いほど感受性が豊かで、様々な経験が新鮮で驚きにあふれているため時間の経過が長く感じられ、年をとればとるほど、それまでの経験や思いが脳の中の多くを占めて、驚きや感動が少なくなり単調に時が過ぎるように感じるからだと言われています。つまり年を重ねる毎にワクワクドキドキという感覚が薄らいでいくことが原因のようです。  

 お釈迦さまは「人間の一生の長さは、どのくらいだろうか」と弟子たちに問われました。

 三十年、五十年…。各々答える弟子たちに、お釈迦さまは「人の一生は、刹那、刹那、この一刹那の長さだけである」と答えられました。

 また、お釈迦さまは、自らの臨終に場において弟子たちに、「すべては遷ろい行くもの。怠らず励みなさい」とも言われました。

 一刹那とは一瞬一瞬のことで、それぞれの年齢によって月日が経つ感覚は違えども、すべてのものが遷ろい行くこの娑婆世界にあっては、それぞれが怠けることなく、焦ることなく、比べることなく、こつこつと励むことが大切であると、諭されています。

 一番大切なことは、その生き方に仏さまの教えがあるかどうかです。

 今年も覺照寺「こころの電話」をお聞きいただき有り難うございました。

 次回は、二〇一四年元旦の朝に、お話が変わります。皆さまお念仏とともに、よき新年をお迎え下さい。

12月16日~あぁ、ワクワクドキドキが…2013年12月17日【206】

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