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3月16日~「人々よ、武器を置くのだ」

 お彼岸が近づき、ようやく暖かくなってきました。

 さて、先月はソチオリンピックでは、世界から参集した選手のすばらしい競技に魅了されました。今月はパラリンピックで、様々な障害を乗り越えて力強く競技する選手に勇気づけられる思いです。

 一方、ウクライナでは反政権勢力と治安部隊の衝突が続き、その動向が大変心配されています。

 そのような中、ロシアのオリンピック委員会の会長を務めるセルゲイ・ブブカさんは二月十九日、「対話は力であり、暴力は弱さだ」「ウクライナの選手はソチで平和に、そして敬意をもって戦っている。暴力の居場所は世界にない」「すべての当事者に呼びかける。五輪の伝統を思い出してほしい。武器を置くのだ」と、ネットで「五輪停戦」を呼びかけました。

 オリンピックは、エケテイリア=聖なる停戦とも言われます。

 つまりオリンピックが開催されている期間中は、いかなる戦争も紛争も停止するという国際間のルールです。またこれは、観客も無事帰国できるように各国が最善を尽くすという約束事でもあります。

 古代オリンピックはギリシアを中心にした宗教行事で、多くの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭だったといわれています。

 そして、そのオリンピックには、ギリシア全土から競技者や観客が参加したそうです。

 しかし、当時の古代ギリシアでも、紛争が絶えませんでした。そこで、宗教的行事に選手も観客も皆が無事参加できるように、たとえ紛争の途中にあっても皆武器を置いた、これをエケテイリア=聖なる停戦と言い、オリンピックが平和の祭典と言われる所以です。

 悲しいことに地球上では、様々な紛争や戦争が起こってしまいますが、一方では人類が長い歴史の中で見出してきた叡智があります。

 「対話は力であり、暴力は弱さだ」「人々よ、武器を置くのだ」。

 五輪の選手たちのすばらしい競技と共に、心にとどめておきたい言葉です。

(参考:公益財団法人 日本オリンピック委員会HP)

3月16日~「人々よ、武器を置くのだ」2014年03月15日【212】

3月1日~心豊かな社会とは…

 空を見上げると、雲の様子に春らしさを感じるようになりました。

 さて、宗教や教育の世界で、そのめざすところに「心豊かな社会」という言葉があります。

 皆さんは、「心豊かな社会」と聞いて、どのような社会を想像されるでしょうか。

 私は、「私たち一人ひとりのいのちが、自分一人だけでなく、多くのいのちに生かされ支えられて生きている自覚と喜びにあふれる社会」と味わっています。

 言い換えれば、幼い子どもからお年寄りまで、「いのちの創造力を育む」ことのできる社会と言えると思います。

 人間は、この世に生を受けてから一人で生きていくことのできる人は誰もいません。この世に産み落とされて放置されるならば必ず死んでしまうでしょう。

 母親に抱かれお世話をされて子は育ち、母親は子を抱いて親として育ちます。

 いのちを育む食べ物や飲み物もすべて自然の恵みであり、それに関わる人々のおかげであり、食べ物を消化し栄養とする身体も、人類の長い生命の連鎖によって今この私に届けられたものです。

 また、毎日生活するための自分の知識も、自分ひとりで知り得たものでなく、様々な周囲の人や物事や体験を通して得たものでありましょう。

 「いのちの創造力を育む」とは、この人間の根源のあり方に目覚めることであり、大切なのはそれが自分だけでなく、周囲の一人ひとりも、自分と同様の大切ないのちを持つ身であることに目覚めることであります。

 みんな一人ひとりのいのちの背景には、大いなる願いがあり、多くのいのちが通っています。だから何一つ無駄なものはなく、尊く大切なのです。

 毎日のお仏壇にお参りする生活を通して、お葬儀やご法事などの仏事、またお寺でのご法話や活動を通して、そのことを伝えるために日夜はたらき通しのお方を仏さまとお呼びします。

 仏さまのみ教えに耳を傾け、心豊かな社会をめざしてつとめましょう。

3月1日~心豊かな社会とは…2014年02月26日【211】

2月16日~生き方のお手本はお寺で…。

 関東、東北地方は大雪に見舞われ、雪かきなどご苦労が偲ばれます。

 さて、先日ご法事の席で男性のご門徒が、「私は、まだまだ若いから門徒式章はつけませんよ。あれは老人がつけるものだから…」とおっしゃいました。

 その言葉を聞いて、私はご門徒への、常日ごろの説明不足を反省するとともに、お寺の有り様も考えさせられました。

 確かに仏事の時、門徒式章を着用している人の多くは年配者で、それを見た男性は、門徒式章は老い先短い人たちが着けるもので、俗に言う縁起が悪いものと理解されたようです。

 門徒式章とは、浄土真宗の門信徒が、仏前で礼装として着用する法具で、門徒としての証となるものです。

 僧侶が仏前においてお勤めをする時に、礼装として衣と袈裟を着用しますが、それと同様にご門徒が、仏前でお参りをするときの礼装が門徒式章であり、老若男女にかかわらず、また葬儀や法事、お祝い事のすべての仏事の時に、門徒すべてが着用するものです。

 縁起が悪いどころか、仏さまの願いにかなうご門徒の正式な姿です。

 お寺というと表面上、どうしても葬儀や法事に関わることが多いので、この男性のご門徒のように、誤解されることも分からないでもありません。

 しかし、お寺で説かれる仏さまの教えは、人が亡くなることやその後のことよりも、この世に命を受けたものが命を粗末にすることなく、いかに心豊かに生きるのか。また仏法を聞くものがどのようにして差別のない、平和な世の中を築くため務めるのか、ということが中心です。

 その生き方のお手本となるのが、仏さまのお姿とはたらきであり、心豊かな社会のお手本となるのが、お経に説かれるお浄土の世界です。

 それは、常々お寺にお参りして、聞き開いていかなければ理解できません。

 お寺は、命をいただいた私たちが、いかに心豊かに生き、明るく平和な世の中のために務めるのか、聞き開いていくところです。

 どうぞ年配者はもちろんのことお若い方も、門徒式章を着けて、お寺にお参りください。

2月16日~生き方のお手本はお寺で…。2014年02月16日【210】

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