こころの電話

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12月16日~あぁ、ワクワクドキドキが…

 報恩講も終わり、いよいよ今年も残りわずかとなりました。

 この時期に、よく耳にするのが、「早いものでもう今年も終わりですね」、「一年が経つのはほんとに早いですね」という会話です。

 月日の経過が、若い頃には遅く、年を重ねる毎に早く感じられるのは、決して曖昧な感覚ではなくて、ジャネーの法則といい心理学的に解明されています。

 例えば、五歳の人にとって一年は、人生の五分の一の感覚でゆったりと経過しますが、五十歳の人にとって一年は、五十分の一の早さで過ぎ去っていきます。五十歳の人にとっての十年間は、五歳の人にとっては一年間となります。

 実際の時間は変わらないのですが、年が若いほど感受性が豊かで、様々な経験が新鮮で驚きにあふれているため時間の経過が長く感じられ、年をとればとるほど、それまでの経験や思いが脳の中の多くを占めて、驚きや感動が少なくなり単調に時が過ぎるように感じるからだと言われています。つまり年を重ねる毎にワクワクドキドキという感覚が薄らいでいくことが原因のようです。  

 お釈迦さまは「人間の一生の長さは、どのくらいだろうか」と弟子たちに問われました。

 三十年、五十年…。各々答える弟子たちに、お釈迦さまは「人の一生は、刹那、刹那、この一刹那の長さだけである」と答えられました。

 また、お釈迦さまは、自らの臨終に場において弟子たちに、「すべては遷ろい行くもの。怠らず励みなさい」とも言われました。

 一刹那とは一瞬一瞬のことで、それぞれの年齢によって月日が経つ感覚は違えども、すべてのものが遷ろい行くこの娑婆世界にあっては、それぞれが怠けることなく、焦ることなく、比べることなく、こつこつと励むことが大切であると、諭されています。

 一番大切なことは、その生き方に仏さまの教えがあるかどうかです。

 今年も覺照寺「こころの電話」をお聞きいただき有り難うございました。

 次回は、二〇一四年元旦の朝に、お話が変わります。皆さまお念仏とともに、よき新年をお迎え下さい。

12月16日~あぁ、ワクワクドキドキが…2013年12月17日【206】

12月1日~後味のいいお店

 北風の冷たさが、日々はっきりと感じられるようになりました。

 さて先日、京都在住のお坊さんと一緒に会食をしました。

 そのお坊さんが、京都の行きつけの料理屋のご主人と、最近話題になるのが、「この頃は後味のいいお店が少なくなった」ということだそうです。

 「後味」というと、「後味が悪い」とか、「後味のよくない夢」とかいって、何かが終わった後に残るあまりよくない感じとして使われることが多いのですが、「後味のいいお店」とはどういうことでしょうか。

 本来、飲食店には欠かせない三つの味があるそうです。まず「前味」。これはお客さんがお店に来て食事を口にするまでの間のことで、お店の内外が飲食店としてきれいに清掃されているか、また時期に合った雰囲気を醸し出すための工夫がされているか、ということです。

 次に「中味」です。出されるお料理が季節の旬を捉えた内容で、器などもお料理や季節とマッチングしているかどうか。食材の偽装などもってのほかです。

 最後に「後味」です。出されたお料理をはじめとするおもてなしが、満足できる価格であったかどうか。お帰りになるお客様を心地よくお見送りし、お客様が「また来たい」と思うような心持ちになって下さったかどうか、ということです。

 若い従業員が、お客様の顔も見ることもなく手作業をしながら、「いらっしゃいませ」、「またどうぞ」と機械的に、声高らかに言う店が時折ありますが、まさしく後味悪い風景でありましょう。

 でも、これは決して飲食店だけのことでなく、私たちそれぞれの日常につながることでありましょう。

 報恩講の季節となりました。お寺にとって阿弥陀如来さまのお目当てはご門徒一人ひとりであります。お寺では、ご門徒一人ひとりが、お聴聞に来てよかったな。また足を運ばなくては…と思って下さるよう努めたいと思います。

 覺照寺の法要は十二月十一日、十二日、十三日の三日間。どうぞ、お寺にお参り下さい。お待ちしております。

12月1日~後味のいいお店2013年12月01日【205】

11月16日~自分以外は皆先生

 十一月も半ば、急に寒さが増してきました。

 さて、国民的代表作家といわれ、親鸞さまの小説も書かれた吉川英治さんは、「自分以外皆わが師なり」とよくおっしゃったそうです。

 既に故人となりましたが、私が昔、ご縁をいただいていた先輩僧侶も、「出合う人、皆先生」とおっしゃっていました。

 いずれの言葉も、「生涯で出合う人、自分の周囲のすべては、自分を育ててくれる先生である」ということですが、普段の生活の中で、いつも周囲の人や事柄に対してそのような思いでいられるかというと、なかなか難しいものです。

 私たちは日々、仕事場や地域、あるいは学校で、様々な人や事柄と出会いながら生活をするわけですが、時には、自分のことを低く評価する相手もいますし、悪口を言う人もいます。また、なかなか意見が合わない人もいますし、自分の意に沿わない状況が起こることもしばしばです。

 そういう人や事柄、あるいは出来事に対して、「あなたは私の先生だ」と思うことはなかなかできることではありません。

 しかし、この二つの言葉を深く味わうとき、自分中心の世界ではない、広い心や視野を持つことの大切さ、そのことを常に実感できる教えを持つことが大切なように思います。

 顧みれば、人はこの世に生まれて、親から育てられ、多くの人や自然、動物や植物、それぞれの環境から影響を受けて、心も体も育てられていきます。

 自分の考えだと思っていることも、実はすべてこれらすべての影響の集大成であると言っても過言ではないでしょう。

 もしも今、少々の逆境を超えることができる自分があるとするならば、それは過去に流した涙や汗の結果かも知れません。

 人はありとあらゆる縁起の中で、生かされ育てられているという思いにたてたとき、はじめて「自分以外皆わが師なり」、「出合う人、皆先生」という境地になるのでありましょう。

11月16日~自分以外は皆先生2013年11月17日【204】

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