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7月16日~自分の死後の姿を…
「本当に暑い毎日ですね」、どこに行っても、誰と会っても、このような挨拶の会話です。
さて、僧侶という勤めから、お葬儀やご法事に参る機会がたびたびあります。
すると、人がお亡くなりになった後の姿というものを、見たり聞いたりする機会があります。といっても誤解しないでください。幽霊とか死後の世界といった類いのものではありません。
例えば、生前に、仕事や社会で多くの業績を残し、周囲の人から「立派な方だ、すばらしい人だ」と尊敬され、亡くなった後も名声を残し敬われる人があります。
例えば、生前に、社会的にも経済的にも成功し影響力のある立場になり、周りには取り巻きもでき、胸を張って活動するのですが、亡くなった後はさっぱり誰も何も言わなくなる人もあります。
例えば、生前に、周囲の人から悪口を言われ、つまはじきにされて、亡くなった後でも悪口を言われ続ける人もいます。
例えば、生前に、周囲の人からうるさがられて、敬遠されていながら、亡くなった後に思い出され、その存在感の大きさに気づかれて、後になってからとても慕われる人もいます。
この他にも様々な人の死後の姿がありますが、あなたは、どのような人がすばらしい人生を送った方と思われるでしょうか。
そして、このことは決して人ごとではなく、そのまま、やがての自分の問題でもあります。あなたは、どのような死後の姿を理想とされるでしょうか。
人の評価や目を気にして生きることは好ましいことではありませんが、逆に自分勝手、ゴーイングマイウェイも良くはありません。
でも、自分の今の生き方そのままの結果が、やがての姿につながっていくことだけは確かです。
ときには少しの時間立ち止まって、自分自身のやがての姿をイメージすることも大切なことでありましょう。
7月16日~自分の死後の姿を… | 2013年07月15日【196】
2013年7月1日~人生根底から支える力を…。
空梅雨と思っていたら長雨に…。梅雨らしい天候が続きます。
さて、最近本屋さんに「力」という文字がつく本が沢山並んでいます。
「考える力」「聞く力」「生きる力」「伝える力」「話す力」「稼ぐ力」などなど。それぞれの著者がその経験を通して、生活の中で役立つヒントを記しています。
浄土真宗で力のつく言葉といえば、「他力」です。
他力といえば、他人の力を借りるという意味で、依存主義や怠け主義を象徴する言葉として理解されがちですが、それは誤った受け取り方で、本来浄土真宗の教えを聞かれている方は絶対にそのような意味では用いません。
「他力というは如来の本願力なり」と親鸞さまが述べておられるように、他力とは、「いつでも、どこでも、どのようなときでも、私はあなたの人生を絶対に支えます。だから逃げることなく、ごまかすことなく力いっぱい精いっぱい生きぬきなさい」とはたらきかけてくださる、阿弥陀如来の本願のことです。
この本願のお心は、よく母親の心に喩えられます。
母親は、いつでも、どこにいても、どのようなときでも、わが子どものことを案じ通し、願い通し、心配し通しです。
そして毎日、自分のことよりも子ども第一と、子どもの身の回りのことをするのに精いっぱいです。
一人の人間がこの世に生まれてから大人になるまでには、様々な悩みや苦しみ、また不安を抱えながら成長するわけですが、その子どもの人生を根底から支える母親の願いがあるからこそ、子どもに安心があるのであり、その絆に支えられてこそ、子どもは様々な難関を乗り越えていく力に恵まれるのです。
他力とは、この母親の願いに喩えられる阿弥陀如来の尊いお心であり、まさしく今の今、私の人生を根底から支える智慧と慈悲にあふれる力のことであります。
そのはたらきを聞き、その力をより所とするところに、まことの安心と喜びに満ちた力強い人生が開かれるのです。
2013年7月1日~人生根底から支える力を…。 | 2013年06月29日【195】
1月16日~空梅雨に夜空見上げて…。
梅雨なのに雨が降りません。農家の方々は大変困っておられます。
逆に奥様方は、洗濯物が外に干せるので喜んでおられます。
自分のおかれた立場や状況で、人間はそれぞれ思いが異なります。
さて、空梅雨なら、せっかくですから夜空の星を見上げてみてはどうでしょう。
雨は、動物も植物も、すべてのいのちを支えてくれるものですが、その水が水であり得るのは、宇宙広しと言えども地球だけだそうです。
水は、摂氏0度以下で氷となり、100度以上では気体の水蒸気になることは小学生くらいになれば誰もが知っています。
すると暑い日に私たちがごくごくと水を飲めるのも、またシャワーで汗を流すこともできるのも、液体である水であるからこそ…と言えます。
夜空に輝く星たちを見上げてみましょう。
地球より太陽に近い水星と金星はとても熱くて、水星の平均温度は130度、金星は330度。水はあっという間に水蒸気になり存在しません。
逆に地球より太陽に遠い火星は一日中氷点下。また木星は水素のかたまりで、いずれも水は存在し得ません。
まさに水が水であり得るのは地球の環境だけなのです。極めて稀なる偶然によって地球環境があると言っても過言ではないでしょう。
そして地球に生まれ、地球で過ごす私たちだけが、水によって生命を支えられているのです。
かつて阪神淡路大震災発生直後、現地で被災されたお年寄りの言葉を忘れることができません。
「地面が揺れて初めて地面が揺れんことの有り難さが分かった。水がなくなって初めて水の有り難さが分かった」
空梅雨に不満を漏らし、土砂降りに不平を言いがちな私たちですが、いつでも水の有り難さ、尊さだけは心に刻んでおきたいものです。
1月16日~空梅雨に夜空見上げて…。 | 2013年06月16日【194】