8月16日~宝くじが当たったなら…。
今年もお盆の法要が終わりました。
お寺でも初盆の合同法要を行いましたが、子どもからお年寄りまでたくさんの方々が参拝し、法話を熱心にお聴聞くださいました。
親しい方の初盆を通して、多くの方々が仏縁を結んでくださることは、誠に有り難いことです。
話は突然変わりますが、あなたは宝くじを買ったことがありますか。
私は普段求めることはないのですが、一ヵ月ほど前、またまた売り場の前を通り、何気なしにサマージャンボを二十枚ほど求めました。
宝くじは夢買いといったものです。買った日から私の頭の中にいろんな夢が広がりました。
何せ一等三億円、前後合わせると五億円。もし当たったら家を買いましょうか。車を買いましょうか。家族で海外旅行をしましょうか。いえ贅沢はいけません。老後のために貯蓄貯蓄。いやその前に、長年お世話になった両親にもお礼をしなくては。いやいやもっとその前に五億円なんて欲張りすぎ。二等の五百万円で十分良しとしましょうか…などなど、夢は広がる一方です。
しかし、数日経って、私はとても恥ずかしい思いに駆られました。
自分で買った宝くじですから、どのような大きな夢を見ようと勝手です。
しかし、自分の見た夢を顧みると、その内容は全て自分のことか、自分の家族か、自分の家のことばかりで、自分の周囲のことや、地域のことや、社会のことなど何も入っていません。
今現在、貧困や感染症で苦しむ世界の子どもたちのために寄付を、また途上国で十分な教育が受けられない子どもたちのために何か協力を…といった夢は、恥ずかしながら何一つ頭の中に出てきませんでした。
「宝くじ一つで、そんなに堅いことを言わなくても…」とおっしゃる方もおられるでしょう。でも、私の見た夢が、私の欲望そのままだったことは現実です。
仏法を常々聞きながら、欲望から離れられぬ私がありました。
2013年08月16日【198】