こころの電話

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1月16日~空梅雨に夜空見上げて…。

 梅雨なのに雨が降りません。農家の方々は大変困っておられます。

 逆に奥様方は、洗濯物が外に干せるので喜んでおられます。

 自分のおかれた立場や状況で、人間はそれぞれ思いが異なります。

 さて、空梅雨なら、せっかくですから夜空の星を見上げてみてはどうでしょう。

 雨は、動物も植物も、すべてのいのちを支えてくれるものですが、その水が水であり得るのは、宇宙広しと言えども地球だけだそうです。

 水は、摂氏0度以下で氷となり、100度以上では気体の水蒸気になることは小学生くらいになれば誰もが知っています。

 すると暑い日に私たちがごくごくと水を飲めるのも、またシャワーで汗を流すこともできるのも、液体である水であるからこそ…と言えます。

 夜空に輝く星たちを見上げてみましょう。

 地球より太陽に近い水星と金星はとても熱くて、水星の平均温度は130度、金星は330度。水はあっという間に水蒸気になり存在しません。

 逆に地球より太陽に遠い火星は一日中氷点下。また木星は水素のかたまりで、いずれも水は存在し得ません。

 まさに水が水であり得るのは地球の環境だけなのです。極めて稀なる偶然によって地球環境があると言っても過言ではないでしょう。

 そして地球に生まれ、地球で過ごす私たちだけが、水によって生命を支えられているのです。

 かつて阪神淡路大震災発生直後、現地で被災されたお年寄りの言葉を忘れることができません。

 「地面が揺れて初めて地面が揺れんことの有り難さが分かった。水がなくなって初めて水の有り難さが分かった」

 空梅雨に不満を漏らし、土砂降りに不平を言いがちな私たちですが、いつでも水の有り難さ、尊さだけは心に刻んでおきたいものです。 
 


1月16日~空梅雨に夜空見上げて…。2013年06月16日【194】

6月1日~そっと老婆心をどうぞ。

 梅雨の合間を縫って、射し込む太陽はすでに夏の日差しです。

 さて、禅宗のお坊さんで有名な道元禅師は、常々弟子たちに老婆心の大切さを説かれていたそうです。

 老婆心とは老いたおばあさんの心と書きます。辞書には、年取った女性の親切心が過ぎて不必要なまでに世話を焼くこととあります。

 おばあさんは、長い人生経験を持っていますから、いろんな所によく気がつきます。そしてついつい口や手が出過ぎてしまうものですから、必要以上の親切心をこのように言うのでしょう。でも、おばあさんのうるさがられるほどの相手への思いやりです。

 道元禅師は、老婆心は、人間が人間らしく生きぬくために、年老いた経験ある者が差しのべる思いやりの手であり、言葉でなければならないと諭されます。そして、ときには、誰にも見えないところで、そっと行われるものでもあります。

 また、それは決しておばあさんだけでなく、老若男女を問わず、だれしもが老婆心を持って周囲の人に接したいものです。

 ひととき、絆という言葉がよく使われました。人間同士の結びつき、人と人とが信頼によって結ばれていることです。仏教的に言えばご縁というこでありましょう。

 しかし、日常の私たちの周囲を見回すとき、社会から、地域からこの老婆心が次第に薄れつつあるように思います。

 家庭で、学校で、地域で、仕事場で、少しこの老婆心を働かせてみたらどうでしょう。
 くどすぎることには注意をしなければなりませんが、自分の隣の人や周囲の方に対して、思いやりの心を忘れていないか。優しい言葉かけやお手伝い、また適切なアドバイスができているか、顧みることも大切です。

 人と人のつながりが見えにくくなっている今日、少ししつこいくらいの老婆心があってもいいのかもしれません。

6月1日~そっと老婆心をどうぞ。2013年06月04日【193】

5月16日~本当の安心恵まれるから…

 すがすがしい風が、青葉若葉を揺らしています。

 さて先日、ご両親の法事でお寺に来られた男性が、「なぜ浄土真宗は占いや祈祷を否定するのですか」とお尋ねになりました。

 私はその男性に、「確かに仏教という宗教も、浄土真宗という一宗派も、教義の上から占いや祈祷を否定しています。私の個人的な味わいとしては、浄土真宗のみ教えに出遇うと、人生の中で、占いも祈祷も全く必要でなくなることだと思います」と答えました。

 私の知人に占いがとても好きな女性がいます。

血液占いがはやると本を求めては職場で友人たちと必死に見ています。手相がはやった時も、動物占いとやらがはやったときもそうでした。

 その会話の内容は、自分が得をするか損をするか、自分にとって都合の良いことがあるかないか、どうも自分中心の内容ばかりで、周囲の方々のことはあまり眼中にないようです。

そして毎日の日暮らしの中で、自分に都合が悪いことがあるとまた別の占いに走り、好転を図ろうと躍起になっています。

 仏教の教えや浄土真宗のみ教えに出遇うとそんな必要が全くなくなるのです。気にならなくなるのです。そして慌てなくていいのです。

 仏教の教えに出遇うと、「人間が生きていくことの現実を逃げることなく直視すること」を教えられます。私のいのちは、周りのあらゆるいのちに生かされていることに気づかされます。

そして、自分にとって都合の良いことも、逆に悪いことも、その一つ一つが、一度きりの人生の中で、とても大切な意味があることを教えて下さいます。

 さらに、仏さまという存在は、この私をいつでもどんなときでも、常に救おうと働いて下さっていることに気づかされます。

 ですから、占いに走る必要もありません。自分の幸運を求めて祈る必要もありません。本当の安心を恵まれるからです。

 とても楽で、穏やかな日々を送ることが出来るのです。

5月16日~本当の安心恵まれるから…2013年05月18日【192】

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