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5月1日~舌はわが身を切る刀…
季節は晩春というのに、朝夕冷え込む日があり、油断をすると風邪をひきそうです。
さて、先日、東京都の猪瀬知事が米国の新聞ニューヨーク・タイムズのインタビューで不適切な発言をしたことが報道されていました。
オリンピック招致に関する記者の質問で、ほかの立候補都市を引き合いに「イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけで、たがいにけんかばかりしている」という内容の発言をしたというのです。
猪瀬知事がどのような意図を持って発言したのか分かりませんが、発言が本当であれば、スポーツの祭典であるオリンピックの立候補都市の長として、好ましい発言ではありませんし、日本と他の国を比較して批判するのではなく、日本での開催のすばらしさや利点をさらに主張すべきであったと言えます。
そして、この度のことは猪瀬知事だけでなく、言動で意思を伝える私たち一人ひとりが共有する問題でもあります。
仏教では、私たちは日々、大きく分けて三つの業、行いで生活をしていると説かれます。
一つが身体の身の業と書いて体の行いです。私たちの手足は、他人を助けることも出来ますが、逆に傷つけることも出来ます。
二つ目が口の業と書いて言動です。私たちの口から発する言葉は、人を勇気づけたり助けたりもしますが、逆に言葉によって相手を傷つけたり、時には人を殺すことさえあります。
三つ目が意思の意の業と書いて心、思いです。体による行動も言動も、普段の心の有り様が表に現れた姿と言えましょう。
猪瀬知事のこの度の発言も、オリンピック招致に一生懸命になるがあまり、他国よりもわが国に、他の都市よりもわが東京に…という強い思いが、つい悪い形で出てしまったのかもしれません。
しかし、舌は人を切り、たちまちわが身を切る刀となって返ってきます。
一人ひとりが自らに厳しく戒めたいことであります。
5月1日~舌はわが身を切る刀… | 2013年05月02日【191】
4月16日~あの人はまだ迷っている…。
心地よい春風に境内の木々が揺れています。
さて、四月も中ばにかかり、新たな目的をもってスタートをした方々も一息つかれるころでしょうか。
仏教を学ぶうえでよく聞く言葉に「迷い」があります。目的をもってスタートしたはずなのに、その目的地や道のりがわからなくなる。そして、今自分がどこにいるのかわからない。一番大変なのは、自分が迷っている状況にあるのに、それに気ずかず目的地とはまったく別の方向へ向かってしまっていることでしょう。
よく亡くなった方に対して、「あの人はまだ迷っている」などと言う人がいますが、果たしてそうでしょうか。それは仏さまの教えにあまりご縁のない方が言われることで、本当に迷っているのは生きている人間ではないでしょうか。
仏さまが目あてにしておられるのは、生きている人間です。迷っているのに、迷っていることになかなか気づかない私たち人間であります。
では、私たちが迷わない人生を送るにはどうしたらよいのでしょうか。
まず目的地を見失しなわないために、常に目的地が分かる指標、目印を持つことです。
次に目的地にたどり着くための確かな地図を持つことです。
そして、いつでも自分の居場所が確認できるナビゲーター。問い尋ねることのできる人を持つことです。
だれしも人生には山や谷があります。時には行く手阻む絶壁に向かわねばならない時もあります。
あなたには、人生の指標と地図、そしてナビゲーターがあるでしょうか。
その指標と地図となるのがお経であり、そこに説かれる教えです。ナビゲーターが仏さまのみ教えを聞く聴聞です。
お寺のご法座にお参り下さい。あなたの迷いが明らかになり、確かな指標が明らかになるすばらしいみ教えがあります。
4月16日~あの人はまだ迷っている…。 | 2013年04月18日【190】
4月1日~サンキュウ、すみません。
境内の桜は、春風であっという間に散ってしまいました。
さて、先日出張したときの出来事です。宿泊先は大浴場があるホテルで、私も夜、その大浴場に行きついでにサウナにも入りました。
サウナは九〇度ほどの温室で、そこで汗をかいて次に冷たい水風呂に入り、それを数回繰り返すことにより疲労回復をはかり体の抵抗力を高めるものです。
サウナの部屋には、私と体の大きな白人の男性、そして数人の日本人の中年男性がいました。
そして、私がその部屋を出る時と白人男性が出る時がちょうど重なり、タイミング的に私が先に出たので、私は部屋のドアを開けて待つ形になりました。すると、その白人男性は私に対し片言の日本語で、「サンキュウ、すみません」と会釈をしてくださいました。
また、その白人男性は水風呂に入るとき、水風呂の前にしゃがみ、桶で自らの汗を流して入りました。皆が入るお風呂なので汗を流してから入るのがマナーだからです。
次に、再び私がサウナの部屋から出るときと、今度は日本人の中年男性が出るタイミングが一緒になり、また私が先に出たのでドアを開けてその男性を待つ形になりました。
するとその男性は、何も言うこともなく知らんぷり。さらに「皆のために汗を流して入って下さい」との目の前の看板を無視し、多量の汗をかいたまま水風呂にドボンとそのまま入りました。
私は少々複雑な思いに駆られました。かつて礼節を大切にした日本人からそれは失われ、逆に外国の人がそれを大切にする姿を見たからです。「郷に入れば郷に従え」との言葉がありますが、既に従うべき郷の姿は失われ、それを外国の人に教えてもらいました。
礼節は、相手を敬う心が姿に表れたものです。お互いが敬い合い、相手を思いやる心によって開かれる節度ある生き方です。この美しい心と形、あなたには、そしてあなたの周りには残っているでしょうか。
4月1日~サンキュウ、すみません。 | 2013年04月01日【189】