こころの電話

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2月1日~亡き人を偲ぶご縁を通して…。

 年が明けたと思ったら、一月が一気に過ぎていきました。

 さて、昨年末から寒さが厳しかったからでしょうか、例年になくお葬式が多い日々でした。

 そして、そこにはそれぞれのご家族の悲しい別れの姿がありました。

 お通夜、またお葬式は、かけがえのない人と別れていかなければならない悲しみの場であり、その遺徳を偲びつつ、感謝の思いで勤めるものですが、と同時に、その悲しいお別れを通して、自分自身のいのちを見つめる大切な場でもあります。

 私たちは、普段病気をすることもなく、悩みや苦しみがないときは、「人間死んだらおしまい」、「お浄土とか、天国とか、地獄とか、昔の人の作り話だ」などと思いがちですが、実際に、自分のかけがいのない人や、愛する人を失ったとき、本当にそのようなことが言えるでしょうか。他人事と思っているからそう言えるのではないでしょうか。

 愛する人は死んだらお終いでしょうか、亡くなったかけがえのない人はどこへ往かれたのでしょうか。加えて、自分自身がいよいよそうなったとき、その一大事をどう受け止めるのでしょうか。

 もしかしたら、私たちは「イソップ物語」のクジャクの羽で着飾ったカラスかもしれません。

 地面に落ちているクジャクの羽を一枚一枚拾って身につけ、美しく理知的なクジャクのように振る舞って周りを欺くカラスが、突風が吹いたとたんに羽がすべて剥がれて、たちまちもとの真っ黒のカラスに戻ってしまうというお話です。

 このカラスは、うすっぺらの知識や世間のわずかばかりの地位名誉、一時的な楽しみばかりの羽で身をまとい、本当の自分のいのちの現実を、本当の姿を見つめることのない人間の愚かな姿です。

 無常の突風が吹けば、それらはすべて吹っ飛んで、たちまちそこにはどう飾りようのな
い私のいのちの現実が待ち受けています。

 亡き人を偲ぶご縁を通して、自らのいのちを深く見つめましょう。

2月1日~亡き人を偲ぶご縁を通して…。2013年02月01日【185】

1月16日~20年もかけて大人になる動物。

 新たな年が明けて、早半月が立ちました。

 さて、今月十四日は成人の日でした。

 少子化時代ではありますが一二二万人の方々が新成人となられたことを心から喜びたいと思います。と同時に、東日本大震災の津波によってこの日を迎えることの出来なかった二七七名の方々に心を寄せ、手を合わせたいと思います。

 成人の皆さんにとって、成人式を迎える思いはそれぞれだろうと思いますが、私は毎年、以前何かの広告で見たこの言葉を思い出します。

 二十年もかけて大人になる。人間ってなんて贅沢な動物なんだろう。

 地球には様々な動物が存在しますが、一人前になるまで二十年かかる動物は、人間だけです。もちろん成人を何歳とするのかという議論はありますが、今はさておき、この世に生まれた時、何一つ自分で出来ないのは人間だけだそうです。

 馬は生まれて一時間で立ち上がり歩き始めます。外敵から身を守る本能です。

 人間に一番近いとされる猿でも、目は見えず歩きも出来ませんが、手の力は発達していて、母親にしっかりしがみついて離れないそうです。

 ミルクを飲むこと、おしめを替えること、風呂に入ること、寝ることなど、すべて親が世話をしなければならないのは人間だけで、親をはじめ多くの方々とのご縁とお世話によって、様々なことを経験し学び、二十年かけてやっと大人になる人間は、贅沢な存在かもしれません。

 そして、その人間と動物の決定的な違いは、人間だけが子どもが親の世話をすることだそうです。

 これは人間の動物としての本能と言うよりも、育てて貰ったご恩や親からかけられた願いを感じることの出来る人間だけが持つ特性でありましょう。

 仏式の成人式では、仏さまに手を合わせます。二十歳を機に、これまで自分自身を育てていただいた多くのご恩やその願いを再確認し、そのご恩に報いる生き方を仏さまに誓うためです。

 新成人の皆様の、今後のご活躍を念じます。

1月16日~20年もかけて大人になる動物。2013年01月14日【184】

1月1日~よし、今年こそは…。

 明けましておめでとうございます。二〇一三年、平成二十五年のスタートです。

 今年も「覚照寺 心の電話」をよろしくお願い申し上げます。

 さて、お正月には、お互いに新たな歳を迎えることが出来たことを「おめでとう」と喜び合うものですが、室町時代のお坊さん・一休さんは、「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」と詠んでおられます。

 「めでたい、めでたいと言ってますが、それだけあなたの死が近づいたのですよ 」ということです。情け容赦ない詩です。お正月のお酒もまずくなりそうです。

 さらに一休さんは、お正月に墓場から髑髏を持ってきて、それを杖の先に結びつけ、「よく見ろよ。昔はここに二つの目があった。でも、目玉は二つとも飛び出てしもた。目が出た。目が出た。めでたい。めでたいお正月じゃ」と言いながら、京都の町を歩き回ったそうです。

 とんちで有名な一休さん。しかし露骨すぎるとんちです。でも、一休さんはそれを通して人々に仏教の教えを説いたのです。「あなたは、今をどう生きるのですか」ということを問いかけられたのです。

 「正月とは、人生に対する自分の姿勢を正し、生き方を問い正すとき」という言葉があります。

 新しい年を迎えると「よし、今年こそは」と新たなる志、目標を持つものです。また、人は惰性に流されやすいですから、毎年毎年、一つの区切りをつけることはとても大切なことです。

 人それぞれいろんな志や目標がありますが、一休さんは、私のいのちが無常の中にあるということを心したときに、初めて真実の生き方が開かれることを諭されたのです。

 生かされて生きてきた 生かされて生きている 生かされて生きていこう 真無阿弥陀仏。

 自分自身のいのちの現実を見つめつつ、生かされている喜びの中で、お念仏津共に、心豊かな日々を送って参りましょう。

1月1日~よし、今年こそは…。2013年01月01日【183】

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