こころの電話

最近の記事

11月1日~帰る家があるということ

 朝夕の寒さが厳しくなってきました。

 さて、今年は台風接近が多く、伊豆大島では、台風二十六号によって多くの方々が被災されました。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 さらに台風二十七号接近では、多くのお年寄りや障害者が一時的に島の外に避難する様子がニュースで流れていましたが、足下が悪い中、移動するお年寄りを見て、何もお手伝いができないことを誠に心苦しく思うことでした。

 台風が遠ざかり、避難者が島に帰ってくる様子が報道されていましたが、お年寄り方が口々に、「やっぱり家が一番です」、「自宅に戻れて本当に安心しました」、「家に帰れるだけで十分です」と、おっしゃっていました。

 それを聞きながら、普段は当たり前すぎて感じることはないのですが、帰ることのできる家があるということの有り難さを、私は思うことでした。

 仕事や趣味や地域の行事、子どもは学校へと、家を出るのは人それぞれですが、みんな安心して外出ができるのは、ひとえに帰る家があり、帰りを待つ人がいるからです。

 もし、今日帰る家がないとなれば、その不安は如何ばかりでありましょうか。

 それは、私たちの人生とお浄土の世界に喩えられます。

 私たちの人生は、老病死を抱えた不安の多いものです。また現実の生活は自分の思うようにことは進まず、悩みや苦しみも多いものです。

 しかし、いついかなる時にも参れる世界がある。待ってくれる方がいる。そしてそれは遠くにあるのではなく、いつでもどこでも、私を底辺から支え導いてくださっている方があり、世界があると受け止めることができたときに、人は大きな安心に包まれるもので、それが阿弥陀さまの淨土の世界とお聞きします。

 この度の災害で現実に身近な人を亡くされ、家を失われた方もおられます。できるだけの支援とともに、当たり前ではない娑婆に住む自覚を深めたいものです。

11月1日~帰る家があるということ2013年11月01日【203】

10月16日~立派な人になるには…。

 台風二十六号は伊豆大島を中心に、大きな被害をもたらしました。被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

 さて、今月一日、JR横浜線で大変残念な列車事故が起きました。

 踏切内で倒れた高齢の男性を助けようとして、村田奈津恵さんが四十歳の若さで亡くなられました。

 報道によると、お父様の運転する車の助手席に座っていた村田さんは、踏切内の男性を見て「助けなきゃ」と話し、「ダメだ、やめろ」と制するお父様を振り切って踏切内に入り男性を動かして助け、ご自身は電車にはねられてしまいました。

 村田さんの自らの命を顧みず救出に当たった行為に感謝し、心から哀悼の意を表します。

 一連の報道の中で、村田さんの小学生の頃の作文が紹介されていましたが、村田さんはその中で、「立派な人になるにはどうしたらよいのか」と自問思案し、それには、「努力し続けること」と自ら答えを見出していました。

 小学生にしてその高遠な内容に驚かされました。そして村田さんのこの度の行動は、この幼い頃からの尊き思いと生き方が、とっさに現れたのではと感じました。

 尊い人命が失われたこの度の事故を、美談として終わらすことは慎むべきでしょう。

 また一方で警報器、遮断機があっても踏切内に簡単に入れる現状や緊急時の非常ボタンの活用の奨励等、システム的な改善も忘れてはならないことです。

 しかし常日頃から、自己の行いを正しく厳しく律しながら、周囲の方々を思い、身も心も捧げ尽くして来られた村田さんの生き方に少しでも学ばせていただきたいと思います。

 立派な人には簡単になれるものではありませんが、日々努力し続けること。村田さんの遺徳を偲びつつ心から感謝いたします。

10月16日~立派な人になるには…。2013年10月17日【202】

10月1日~まさしく「今でしょ!」

 一年を七十二の季節で区切ると、今は「蟄虫培戸・むし かくれて とを ふさぐ」。早くも虫たちは冬ごもりの準備に入ります。

 さて、私たちの日常生活の中で、大切なことは早めに行っておいたほうがよいことを促す言葉に、「早し良し ちょうど良し危うし 遅し悪し」というものがあります。

 「大切なことは早めにやっておくことが一番良い。締め切りに合わせて行うことは危ういことがあるかもしれません。遅れて間に合わないことは取り返しが付きませんよ」ということです。

 「法事は命日より遅らせてはいけないが、早めに行うのはよい」という人がいますが、これは人間の都合によって大切な命日の法事を遅らせては、粗末になって申しわけないという戒めでありましょう。

 この言葉は、私たちの仏法聴聞についても同様のことが言えます。

 先般、お寺にいらした女性が、せっかくお彼岸でお寺の法要にまいろうと出かけたら近所の人から、『また極楽行きの道作りですか』といかにも暇人のように言われました。残念ですね」と、おっしゃいました。

 お寺では、死にまつわる話をするから元気なうちはまだ聞かなくてもいい。お寺は、勤めも終わって時間ができた年寄りが行くところだと、おっしゃる方もおられますが、お寺でのご法話は、死にまつわる話よりも、私の人生で死ぬまでになすべきことは何か。真に心豊かな人生を送るにはどのような生き方が大切かということが主題です。

 仏さまは私たちの生命は、予測困難だと諭されます。それを無常といいます。

 ですから私の人生の問題、私がこの世に生命を恵まれた意味、そして人生の本当の目標を聞くのは今しかありません。

まさしく「今でしょ」。

 お寺での仏法聴聞は早し良しです。ちょうど良しは危ういかもしれません。遅しは…言わずもがなです。

10月1日~まさしく「今でしょ!」2013年10月01日【201】

[1]    «    90  |  91  |  92  |  93  |  94    »    [159]

- 管理用 -

最近の記事

月別記事