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9月1日~心はどこにあるのですか?
長い夏休みも明けて、子どもたちは元気に学校に通い始めました。
さて、夏休み中、私が時折聞き入ったラジオ番組があります。それはNHKの「夏休み子ども科学電話相談」で、昆虫や動物、宇宙や科学など、子どもたちからの様々な質問について、専門家が電話で答えるという番組です。
そして、今年特に聞き入ったのは、小学生低学年の男の子からの「心ってどこにあるのですか」という問いです。
スタジオの数名の専門家が、わかりやすい答えを真剣に考える様子もほほえましく、その懸命なやりとりに私もあたたかな気持ちになりました。
科学的に言えば物事は脳で思考するので、心は頭にあると答えたいところですが、どうもそれだけでは答えにならないようです。
「心を入れ替える」、「心を決める」、「心を砕く」といった場合は、考えや判断、分別を意味し、心は頭にあるような気がします。
「心のこもった贈り物」、「心に残る出来事」、「心が顔に表れる」といった場合は、本当の気持ち、思いやりや人情を意味し、心は胸のあたりにあるような気がしますし、「心がときめく」、「心を痛める」という場合、人は手を胸に当ててそれを表現します。
「生まれつき心は変わらない」、「ねじけた心は直らない」という時は、性分や性根を意味して、その人全体に心はあるような思いもします。
「心と心のふれあい」、「心が通い合う」という場合は、人と人の間で心が交わり合うような思いがします。
心といっても様々な意味があり、生活の中で様々な表現もあり、一口でここにあるとはなかなか答えられませんし、それだけにとても大切なものだということを、あらためて感じます。
そして、その心のあり方を常に問うてくださるのが仏さまの教えです。
仏法を聞くことを聴聞といいますが、それは仏さまのみ教えに、私の、まこと真実の心の有り様を、聞き開いていくことに他なりません。
子どもだけでなく、大人も心の習学が必要なようです。
9月1日~心はどこにあるのですか? | 2013年09月03日【199】
8月16日~宝くじが当たったなら…。
今年もお盆の法要が終わりました。
お寺でも初盆の合同法要を行いましたが、子どもからお年寄りまでたくさんの方々が参拝し、法話を熱心にお聴聞くださいました。
親しい方の初盆を通して、多くの方々が仏縁を結んでくださることは、誠に有り難いことです。
話は突然変わりますが、あなたは宝くじを買ったことがありますか。
私は普段求めることはないのですが、一ヵ月ほど前、またまた売り場の前を通り、何気なしにサマージャンボを二十枚ほど求めました。
宝くじは夢買いといったものです。買った日から私の頭の中にいろんな夢が広がりました。
何せ一等三億円、前後合わせると五億円。もし当たったら家を買いましょうか。車を買いましょうか。家族で海外旅行をしましょうか。いえ贅沢はいけません。老後のために貯蓄貯蓄。いやその前に、長年お世話になった両親にもお礼をしなくては。いやいやもっとその前に五億円なんて欲張りすぎ。二等の五百万円で十分良しとしましょうか…などなど、夢は広がる一方です。
しかし、数日経って、私はとても恥ずかしい思いに駆られました。
自分で買った宝くじですから、どのような大きな夢を見ようと勝手です。
しかし、自分の見た夢を顧みると、その内容は全て自分のことか、自分の家族か、自分の家のことばかりで、自分の周囲のことや、地域のことや、社会のことなど何も入っていません。
今現在、貧困や感染症で苦しむ世界の子どもたちのために寄付を、また途上国で十分な教育が受けられない子どもたちのために何か協力を…といった夢は、恥ずかしながら何一つ頭の中に出てきませんでした。
「宝くじ一つで、そんなに堅いことを言わなくても…」とおっしゃる方もおられるでしょう。でも、私の見た夢が、私の欲望そのままだったことは現実です。
仏法を常々聞きながら、欲望から離れられぬ私がありました。
8月16日~宝くじが当たったなら…。 | 2013年08月16日【198】
8月1日~若いときに親しんで…。
日照り続きで雨が降りません。代わりに桜島の灰が降ってきます。過ごしにくい夏です。
さて、昔から先人たちは、仏さまの教えには若いうちから親しんでおいた方がいいと言われました。蓮如上人も「若いときにこそ、仏法を学ぶよう心がけなさい」と言われています。
先日、大坂で開かれた保育の研修会に参加しましたが、講師が元シンクロナイズドスイミング選手の奥野史子さんでした。
奥野さんは、シンクロを通して経験したこと、学んだこと、人生で大切だと思うことを話してくださいましたが、その中で、四天王寺高校時代の思い出を話されました。
四天王寺高校は、「和を以って貴しとなす、四恩(国の恩・父母の恩・世間の恩・仏の恩)に報いよ、誠実を旨とせよ、礼儀を正しくせよ、健康を重んぜよ」という仏教を深く信仰された聖徳太子の教えを校訓にする学校です。
奥野さんは高校時代、毎日のように学校でこれを唱えて過ごしましたが、若いときには「何やこれ」といった感じで、全く無関心だったそうです。
ところが、結婚をし親となり、子どもを育てる身となって、なるほど、大切にしなければならない事柄だし、子どもたちに伝えていかねばならないことだと、大人になってから思うようになったと、話されました。
若いときは、特に学校では半強制だったかもしれません。形式だけだったかもしれません。しかし、そこで説かれていることが、大人になって家庭や仕事を持ち、様々な問題を抱えなければならない奥野さんの心に、次第に実感として、染みいってきたのでありましょう。
仏法は、恵まれたいのちの現実をしっかりと見据えて、一度きりの人生をどのように生きるのかという問いから始まります。
今年もお盆がやってきます。自分自身はもちろんですが、子や孫たちにもその大切さを伝えるよき機会になればと思います。
8月1日~若いときに親しんで…。 | 2013年08月02日【197】