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2月1日~「あるわけない」と決め込む前に…。
「一月は一気に過ぎる」との言葉通り、もう二月になりました。
さて先日、ご法事先でご門徒から、「極楽浄土とか、ホントにあるのでしょうか?」と、問いかけられました。
「お経やご法話で、阿弥陀如来のお浄土はあると聞かせいただいてますよ」と私が答えると、「実際見ることはできないですよね。ホントかな~」とおっしゃいました。
現代人は、自分の目や耳など、五感で実際確認できないものは、信じることができなくなっているようです。
でもどうでしょう。あの東北の大地震以来、大変心配されている放射能は人間の五感で捉えることができるでしょうか。太陽の紫外線はどうでしょう。
テレビで自分の地域の地震速報が流されますが、その内何回、自分自身の体で感じることができたでしょうか。
自分の体のことさえも、いったいどこが病気なのか、弱っているのか、自分でははっきり分かりません。
「いや探知機や検査機器などの機械で確認できる」との反論も聞こえてきそうですが、そのような機械ができたのは最近のことで、それまではどうしていたのでしょう。
そして、機械があればこの世のことはすべて分かるでしょうか。であれば広大な宇宙のシステムはすべて明らかになっているはずです。
私たちが五感で分かるもの、確認できるものは、「今現在の力の範囲で」という条件付で、その範囲を超えてしまったら何も自分では分かりません。
わからないということと、存在しないということは意味が異なります。
「お浄土はある」と心に確認しながら日暮らしをする生き方と、「そんなものあるわけがない」と決め込んだ生き方とは、人生の内容が大きく変わってくると言われます。
そのわけは、仏法を聞けば聞くほど明らかになってきます。「あるわけない」と勝手に決め込む前に、仏さまの教えを聴聞しましょう。
2月1日~「あるわけない」と決め込む前に…。 | 2014年02月01日【209】
1月16日~染香人のような人
新しい年が明けて、早半月が経ちました。
さて、浄土真宗に「染香人」という言葉があるのをご存じでしょうか。
染とは「染める」、香とは「香る」、人とは「人」と書いて、お念仏の教えをよろこぶ人のことを讃えて言います。
親鸞聖人は、染香人のことを、「かうばしき香、身に染めるがごとしといふ」とおっしゃり、よい香りのお香は自然に衣服に染み付いて、その香りに染められた者は、さらに周囲によい香りを放つようになりますが、それと同様に、お念仏をよろこぶ人の人生は、阿弥陀さまの智慧のはたらきによって、知らず知らずのうちに美しく飾られ、その人の生き方そのものが、自ずから阿弥陀さまの徳にあふれた人生に恵まれるという意味です。
先日、病気で突然、お浄土にお参りになったご門徒のBさんは、まさしくその染香人のような方でした。
常々お寺の法要やご法座があるときは足繁く通い、お聴聞を重ねておられました。
また、お寺からご本山参りや旅行があるときは、進んでご夫婦で参加されていました。
さらに、仏教婦人会の会員として、お寺の奉仕作業や幼い子どもたちの育成活動にも参加されていました。
いつも周囲の人には笑顔で接しておられましたが、常々手を合わしておられた如来さまの微笑みが自然に備わったのでしょう。
いつも口数少なく慎みのある方でしたが、常々お聴聞される如来さまの智慧の眼差しが自然に備わったのでしょう。
いつもやさしくあたたかな心で周囲の方に接しておられましたが、常々お聴聞される如来さまの慈しみの心が自然に備わったのでしょう。
まさしくBさんの生き方そのものが、阿弥陀さまの徳にあふれた人生でありました。
今生でのお別れは大変さびしいことですが、その仏徳にあふれたお姿を偲びつつ、お念仏とともに心から感謝したいと思います。
1月16日~染香人のような人 | 2014年01月17日【208】
2014年1月1日~ともにこれ凡夫ならくのみ
新年明けまして、おめでとうございます。
今年も、仏さまのみ教えを聴聞し、まことのしあわせに満ちた日暮らしをさせていただきましょう。
新年にあたり、一つの言葉をご紹介します。
「われかならず聖になるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ」
ご存じの方も多いと思いますが、これは親鸞聖人が、日本において仏教を広めた主として敬われた、聖徳太子の「憲法十七条」に出てくる文言です。
人はそれぞれに思いとらわれるところがあり、意見が合わなかったり、人が従わないことがある。しかし、自分自身もすべての物事の道理に通じた者ではない。相手も必ずしも愚か者ではない。人はともに凡夫なばかりである。
紹介した文言はこのような意味ですが、 凡夫とは、仏教の真理に目ざめることなく、欲望や執着などの煩悩に支配されて生きている人間のことをいいます。
「ただひと」とも読みますから、すべての人ということになりましょう。
昨年を顧みますと、政治や国際情勢など、たくさんの意見の衝突や紛争がありました。
議論を交わしたうえで、社会がよき方向へと向かうのはよいことでしょうが、逆に意見の衝突が感情的になり角を突き合わせ、互いに武器を持ち緊張と牽制に明け暮れ、仕舞いに人が傷つけ合うようなことになることは絶対に避けなければなりません。
お互いに、道理である、事実であるといっても、その道理や事実の見方や受け止め方によって主張が異なることもあるのです。
聖徳太子がいわれるように、決して相手だけではない。自らも含めて、人は皆、煩悩に支配されて生きる凡夫であるという自覚が必要であり、それを知らしめる教えが必要です。
一人ひとりがよくよく心して、和やかで明るい社会をつくって参りましょう。
2014年1月1日~ともにこれ凡夫ならくのみ | 2013年12月31日【207】