こころの電話

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10月16日~落葉は肥えた土、生きた土となり…

 幼稚園やこども園の運動会に追われてあくせくしている間に、このテレホン法話の変更を失念していました。申し訳ありません。

 これから一気に秋が深まり紅葉の季節となりますが、美しく照り輝く照紅葉はやがて落葉となり風に散っていきます。

 しかし、落ち葉は風に散ってそれで終わりかといえばそうではありません。

 大地に包まれてやがて肥えた土、生きた土となり、厳しい冬を乗り越える多くのいのちを守り支えます。  

 私たちは、自分が生きているこの今と、死ぬという未来は、人生という一本道のまだ遠い先、延長線上にあるように思いがちです。

 しかし仏教では、自分が生きることと死ぬことは薄い葉っぱの表と裏のように切り離せない関係で、落葉が風に吹かれてはらりとめくれるならば、そこには死という厳しい現実が誰にでも訪れることを教えます。

 しかし仏教はそれで終わりと説きません。なぜなら私たちは「往生浄土」という仏さまからのお約束をいただいているからです。

 往生という言葉は一般に、人が死ぬという意味で使われがちですが、本来は往(い)き生(う)まれることで、阿弥陀仏の浄土で新たないのちに恵まれることです。

 落葉がやがて肥えた土、生きた土となり多くのいのちを守り支えるように、まさしく私たちは、阿弥陀仏の本願という大いなる大地に包まれて、浄土に往き生まれ仏となり、あとに残る方々を導くはたらきをなす存在となるのです。

 「あなたの人生にどのようなことがあろうと、あなたにどのような悲しみ、苦しみがふりかかろうと、私はあなたを決して見離すことはない」。

 南無阿弥陀仏には、阿弥陀さまのそういう心が込められています。

 私たちは、その大いなるお慈悲の心におまかせするだけであります。

10月16日~落葉は肥えた土、生きた土となり…2021年10月21日【390】

10月1日~たとえ失念ばかりの私でも…

 新米がおいしい季節となりました。

 さて、先日ラジオで、「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」という言葉が紹介されていました。

 これは、今年八月六日、広島市で行われた七十六回目の平和記念式典で、市内の小学六年生の二人が、子どもを代表して読み上げた「平和への誓い」の中の言葉です。

 「私たちには使命があります」という言葉に始まり、「私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです」

 「私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません」と、お二人は平和への誓いを世界に向けて力強く発信しました。

 お二人は原爆で犠牲になった方々を忘れてはならない。二度と悲惨な過去を繰り返してはならないという決意の言葉として、「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」と表現されました。

 これを、浄土真宗の仏さまのお立場から申せば、私たちには「別れはない」と言えるかもしれません。

 なぜなら、仏さまとなられし方々は、あとに残る私たちのことを、いつでもどこでもどんなときでも忘れてはおられないとお聞かせいただくからです。

 たとえ私のような失念を繰り返してばかりの人間でも、仏さまは決して忘れることなく、私に何を求めて生きるべきか、何を大切にして生きるべきか、常に問いかけてくださっています。

 仏さまの方から、決して「さよなら」はおっしゃらないのです。

 そういただくと、皆それぞれに小さな力ではありますが、身近なできるところから、平和な世の中になるようにとの一歩を、また踏み出さねばなりません。

10月1日~たとえ失念ばかりの私でも…2021年10月01日【389】

9月16日~忙しい手を少し休めて…

 秋の実り、たくさんの果物が出回っています。

 さて、秋のお彼岸の季節です。お彼岸は、日頃何かと忙しい私たちが少しその手を休めて、阿弥陀仏のお浄土に心を寄せて、その教えに耳を傾ける日本で生まれた大切な仏教行事です。

 先日読んだ本の中に、「人生への三つの質問」というものが紹介されていました。

 一つ目は、「あなたは人間に生まれてよかったですか」です。

 一説には、地球上には八七〇万種以上の生物が存在するといわれ、これまでに発見・分類された種はこのうちのほんのわずかだそうです。その多くのいのちの中で、人間のいのちを恵まれました。よかったでしょうか。それともノーでしょうか。

 二つ目は、「あなたは人間でしか会えないものに会っていますか」です。

 かわいいペットの犬に会いました。愛おしい猫ちゃんに会いました。そのような意味ではありませんし、そんな答えでもありません。死を避けることができない、代わることができない、後先順番もない、限りあるいのちを生きているということを、自分自身で受け止められる人間だけが、出会うものは何でしょうか。

 三つ目は、「やがてあなたは人生を終えていきますが、帰っていくところがありますか」です。

 お葬儀のご挨拶によく、「ご冥福をお祈りします」とか、「天国で安らかに」とか、「御霊のご平安をお祈りします」とか聞きますが、あなたの行くところは冥土ですか、天国ですか、霊とやらががふわふわしているところですか。あなたが帰って行くところは、いったいどんなところか聞きたずねたことはありますか。

 せっかくのお彼岸です。普段忙しい手を少し休めて、この三つの問いについて、自分なりの答えを探してみてもよいのではないでしょうか。

9月16日~忙しい手を少し休めて…2021年09月17日【388】

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