こころの電話

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3月1日~人間として哀れで恥ずかしい行為

 日中、次第に暖かさを感じるようになりました。

 さて先日、ラジオであるリスナーからの投稿を聞きました。

 そのリスナーさんが、数日前に町を歩いていたら、電気店の前で少女が涙を流しながらテレビを見ていたそうです。

 なぜ泣いているのだろうと、そのテレビを見ると、画面にはウクライナで戦火を逃れて地下壕に身を隠し、泣きながら恐怖を訴える少女の姿があったそうです。

 ウクライナの人々の恐怖と悲しみが、遠く日本の少女の心にまで届いてる象徴的な姿であります。

 争いのない平和な世界を望まない人はいないはずなのに、紛争はこの世界からなくなりません。人間は自分のことを何よりも第一として行動する生物で、それがいざとなると相手と争ってまでも自分の思いを押しとそうとします。

 先月二十四日、ロシアはウクライナに対する軍事侵攻に踏み切り、ロシア軍とウクライナ軍の戦闘が続いています。

 世界の至る所でロシア・プーチン大統領に反対する抗議活動が行われていますが、いかなる政治的な理由があろうとも、武力をもって一方的に他国へ侵攻する暴挙は許されるものではありません。

 お釈迦さまはおっしゃいます。

 己が身にひきくらべて 殺してはならぬ 殺させてはならぬ

 だれしも、自分の身や家族が何よりも大事に思っているように、相手も、自分の身や家族が何よりも大事です。そのお互いの立場を尊重する方向へ心を転換しなければ、本当の解決には向かいませんし、争いはなくなりません。

 たとえ武力をもってウクライナの人々を制したとしても、永遠にプーチンさんを評価する人はいないでしょう。歴史的にも愚行を犯したお粗末な人間としか思わないでしょう。

 プーチンさんは柔道をされるそうですが、真の武道家はこのような人間として哀れで恥ずかしい行為は決してしません。

 人を恐怖と悲しみに陥れる戦争をすぐにやめるべきです。

3月1日~人間として哀れで恥ずかしい行為2022年02月28日【399】

2月16日~めんどっちいとか、億劫とか…。

 新型コロナウイルス感染拡大が止まりません。まん延防止措置も延長になりそうです。

 さて、年々年を重ねると、若い世代の人に対して「最近の若いもんは…」といいたくなる時があります。

 例えば、わが家の娘に対して、ちょつとした頼み事をするたびに返ってくる言葉が「めんどっちい」です。「めんどっちい」とは「面倒臭い」の最近の言い方で、その「めんどっちい」が何回も繰り返されると、「ホントに最近の若いもんは…」と愚痴を言いたくなります。

 この「めんどっちい」「面倒臭い」と似た言葉に「億劫」がありますが、この言葉が仏教から来た言葉ということご存じでしょうか。

 億劫は元来、「とてつもなく長い時間」を表しました。

 二つの長さの表現があります。一つは、四方の長さ、上下の高さが一六〇キロメートルというとてつもなく大きな鉄の箱に芥子の実を満たして、一〇〇年に一度、一粒ずつ取り出して、その芥子の実がすべてなくなってしまう時間が一劫だそうです。

 もう一つは、一辺が一六〇キロメートルというとてつもなく大きな岩石があって、百年に一度天女が空から舞い降りてきて、白い衣でその岩山を撫でて、その岩石が摩耗してすべてなくなってしまう時間の長さが一劫だそうです。

 いかがでしょう。あなたはそのような時間の長さを想像できるでしょうか。その一劫を億倍したのが億劫(おっこう)という長さになり、それがなまって億劫(おっくう)となり、気が遠くなりそうなあまりにも長い時間から、なかなか気が進まないことを億劫というようになりました。

 たいした長い時間もかかるわけではないのに、「めんどっちい」とか「億劫」とか返す娘に、まことに億劫な思いをしている日々であります。

2月16日~めんどっちいとか、億劫とか…。2022年02月17日【398】

2月1日~怠ることなく励む

 新型コロナウイルスの再びの感染拡大が、飲食や観光業を始め、医療、福祉、教育など、様々なお仕事に影響を与えています。

 さて、一月二十三日、兵庫県の西福寺ご住職で、浄土真宗本願寺派の総長をはじめ、多くの役職をお勤めになり、西本願寺の宗門のみならず、社会的にも広く功績を残された豊原大成先生がお亡くなりになりました。

 私自身もお仕事を通してご縁をいただき、大変お世話になりましたので、通夜・葬儀の前となりましたが、お参りに行かせていただきました。

 お棺の中でお休みになった先生とお会いし、仏前でお勤めをさせていただきましたが、その後、お葬儀の準備で慌ただしい中に、跡継ぎのご住職が応対をしてくださいました。

 そして、懐からスマートフォンを出して映像を見せてくださいました。そこには、先生がベッドに横たわりながら「お正信偈」をお勤めされる姿が映っていました。お亡くなりになる十日前の映像です。一つ一つのご文を、声の出る限り精いっぱい唱えられるお姿に、まことに頭の下がる思いでありました。

 思い返せばお釈迦さまもそうでありました。八十歳になってから、最後の伝道の旅に出られました。年老いた身体を引きずり、古里の北に向かってガンジス河を越え、行く先々で教えを請う人々に最後の説法をしながらの旅です。

 豊原先生は、京都大学大学院を修了後、インドのベナレスヒンドゥー大学に留学のご経験もあり、お釈迦さまのご事績を現地で研究された方ですので、たとえ老いた身であっても、たとえ病の中にありながらも、コツコツと怠ることなく努め励まれたお釈迦さまのお姿を範とされていたのでありましょう。

 「怠ることなく励む」

 先生との今生でのお別れに際し、そのお姿を通してまた大きな教えをいただきました。

 お葬儀の表白には、「日夜に称名念仏怠ることなく、もってまことの人生の完成に、一歩一歩歩みをすすめんと欲す」とありました。

2月1日~怠ることなく励む2022年02月01日【397】

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