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7月16日~子どものポーズ一つで、言葉一つで…
長い梅雨が明けたというのに、雨は降り続いています。
さて、宗教を語るときに「救われる」という言葉がありますが、その時の「救われる」とは、その教えを聞くことによって物事の見方や考え方が変わる。あるいは物事の受け止め方が変わり、それまでとは違った生き方に恵まれる。さらに、どのような困難な状況にあっても生きる道があることに気づかされることを意味します。
また、そのような難しい意味でなくとも、私たちの日常で、たった一言で救われたということも時折あります。
先日、お寺の幼稚園とこども園の行事でキャンプファイヤーがありました。
この行事では毎年、子どもたちに楽しんでもらうために、園長の私が、様々な人物やキャラクターに扮して点火式をするのですが、今年はテレビに出てくるヒーロー・レンジャーをすることになりました。
とは言っても、中身はすでに還暦を迎えた中年太りのおじさんです。たち振る舞いも思うようにできず、鏡に映る太めのレンジャーは子どもたちに夢を与えるヒーローとは決して言えませんが、でも、子どもたちのために精一杯かっこよく頑張ったつもりでした。
しかし不安は現実になりました。キャンプファイヤーが終わった後の子どもたちの言葉は、「あれ、園長先生が入ってたんでしょ」、「僕、先生だとすぐわかったよ」と、夢を与えるどころかモロバレで、大変厳しいものでした。
その言葉を聞いて、私も今までいろいろ頑張ってきたけどもう限界かなと、自らの年齢と不甲斐なさを痛感することでした。
そのような中、キャンプファイヤーの後、一人の男の子が、私のレンジャーの姿をまねて必死にポーズを取っていたことを職員から聞きました。
あるお母さんからのお便りで、お家で子どもが「赤いレンジャーが出てきたよ」と、お話をしていたことを伺いました。
何とか、まだ私にはここに居場所があるようです。子どものポーズ一つで、言葉一つでヒーロー・レンジャーは救われました。
7月16日~子どものポーズ一つで、言葉一つで… | 2021年07月16日【384】
7月1日~あの言葉がすごく響いていて…
涼しげに泳ぐ金魚がうらやましい季節です。
さて、多くのみ教えをお経という形で、私たちに残してくださったお釈迦さまですが、その教えは時に一貫性がないのではと言われることがあります。
それはお釈迦さまは、相手の悩みや苦しみ、相手の状況に応じて教えを説かれたからだと言われますが、そのことについて興味深いお話を聞きました。
先月二十九日、昨年二月に亡くなった野村克也監督を偲んで、野村さんが生前監督を務めた阪神タイガースとヤクルトスワローズによる追悼試合が甲子園球場で開催されたときです。
野村さんから教えを受けた野球選手はたくさんいますが、それを代表して元阪神の投手・藤川球児さんがゲストとしてテレビで話をされていました。
藤川さんは野村監督との思い出を話す中で、野村監督は、「入団して間もない十八歳の私に『野球選手である前に社会人であれ』と言われました。あの言葉がすごく響いていて、引退する時にこれからどう生きていくのか人生設計ができていたし、後悔は一切なかったです。新人から三年間、いい指導をしていただき、本当に感謝しかありません」と話しました。
またその後に、野村監督は選手一人ひとりそれぞれにアドバイスをくださった。だから周囲からそれを見ると一貫性がないんです(コメントそのままではありません)と話していました。
つまり野村監督は、年齢も、能力も、身体的精神的状況も、ポジションも異なる選手一人ひとりの状況に合わせて、その選手に応じた適切な指導をしてくださったので、その話の一つ一つを後から重ねてみると整合性がなくなるということで、冒頭のお釈迦さまのお話に通ずるものです。
それほどに野村監督は、選手一人ひとりを親身に指導されていたのでありましょう。
「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上なり」
梅雨明かりに、野村監督の言葉が響きます。
7月1日~あの言葉がすごく響いていて… | 2021年07月01日【383】
6月16日~まっすぐにまっすぐに曲がって…
青々とした新緑に降りそそぐ雨を青梅雨といいますが美しい表現です。
さて、お寺では毎月「みんなテラス」という子ども食堂を開催しており、今現在は、コロナ禍のためドライブスルーでお弁当を200食、多くの方々に低価格で配布しています。
このお弁当の食材も経費も寄付で賄われており、お弁当を作る人も配る人も皆、ボランティアで地域社会へのご報謝として行われています。
毎月この行事の時は、早朝に会場である大隅中央幼稚園へ行って、車が並ぶためのライン引きをするのですが、広いグラウンドにまっすぐに白い線を引こうとしても、これがなかなか難しいのです。
正面を向き足を踏ん張って、まっすぐにまっすぐに進むのですが、振り返ってみるとまっすぐ引いたつもりがまっすぐではないのです。
これは循環彷徨という人間が持つ習性だそうです。自分はまっすぐ正しい方向だと進んだつもりでも、目印のない広い場所では、気づかないうちに曲がっていって、結果的に彷徨ってしまう人間の習性です。
これは体だけではなく、心も同じことが言えるかもしれません。
人やものの見方や考え方についても、自分は常に正しい、自分は間違っていないと思っていても、いつの間にか自分の得意な方向に、自分の勝手な方向に見方や考え方が曲がってしまい、わがままな自分になったり、強引な自分になったり、知らず知らずのうちに人を傷つけたりしているかもしれません。
ライン引きをしている間にコツを見つけました。それは3メートル先、5メートル先、10メートル先にある小石や木切れ目指して引くと大きく曲がることなく、割とまっすぐに引くことができました。
つまり正しい指標、正しい教えを持ち、常にその指標や教えを聞くことです。
正しい教えを仏さまに聞き、心のよりどころとし、指標としながら生きる生き方を仏道と言います。
6月16日~まっすぐにまっすぐに曲がって… | 2021年06月16日【382】