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7月15日~主体性を持って考え行動する人に…
台風四号は、九州地方に多大な被害を残していきました。
さて昨今、教育界では、犯罪やいじめまた自殺など青少年を取り巻く様々な問題に対して、道徳教育の重要性が言われていますが、その道徳について、宗教家のひろさちやさんに読者のAさんから届いたお手紙を紹介します。
Aさんは大正生まれ。大阪の女性で、手紙にはAさんが小学生のころ、明治生まれの厳格な父親に連れられて、汽車で東京に行ったときのことが記してありました。
「行きは夜行列車の三等車でした。だから、列車の中はゴミだらけです。小学生の私は鼻紙を出して鼻をかみました。そのあと、その鼻紙をぽいっと床に捨てました。見ていた父は、その時何も言いませんでした」
父親は、娘の行為を黙って見ていたそうです。
帰りは「つばめ号」の展望車。戦前の超特急列車で、超デラックス車両です。Aさんはその展望車の中でも鼻をかみましたが、行きのゴミだらけの三等車と違い、ゴミ一つ落ちていない豪華な展望車の車内です。Aさんは鼻紙をどうしようかと迷います。そして、その鼻紙をポケットに入れたのです。
その途端、父親はAさんを厳しく叱りました。
「お前はなんてだらしのない子だ。周りがゴミだらけの三等車の中では平気でゴミを捨てる。だが、周りがきれいだとゴミが捨てられない。お父さんは、お前がそんな子であってほしくない」
父親がAさんに言いたかったことは、周りに流される人になるな。周囲の奴隷になるな。主体性を持って考え行動する人となりなさいということです。
周りがゴミだらけだと自分も捨てる。周りがきれいだと捨てられない。道徳教育を行うことは大切なことですが、道徳は周囲の環境や状況によっていかようにも変化する限界を持つことも、それを勧める大人は認識しておく必要があるでしょう。
Aさんは手紙の最後で、「やはり、明治生まれの父には、しっかりとした宗教心があったのだと、私は父を尊敬しています」と、おっしゃっています。
7月15日~主体性を持って考え行動する人に… | 2007年07月16日【52】
7月1日~お手本がいない世の中
梅雨空の隙間をぬって差し込む光はすでに夏の日射しです。
さて先般、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生のインタビュー記事を目にしましたが、日野原先生は年を取るということについて、「老化」と「老い」は違うとおっしゃっています。
「老化」とは、老眼や白髪、しわが増え腰が曲がったりする肉体的なもの、自然的なものをいい、「老い」とは、その老化していく中に宿る自分、つまり心であって、考え方感じ方でいかようにも変わるということであり、もっと言えば、いかに自然の肉体的な老化があろうとも、老いは自分が創り出せるものであるということです。
日野原先生は、その老いは自分でデザインしていくもので、そのヒントは、「私もああいうふうな人になりたい」という特定の人を目標にしたり、モデルにすることがいいとおっしゃいます。
つまり、自分のあこがれ、お手本を持つことが、よりよい老いを創り出すヒントになるということです。
その記事を読みながら、人が、自分のあこがれ、お手本を持つということがいかに大切かがわかりますし、それは老人も幼い子どもも同じだとあらためて思いました。と同時に昨今、子どもたちのあこがれ、お手本になる大人がいかに少ないことでしょうか。
テレビでは、国民の年金の記録を紛失し放置していた社保庁の無責任体質、ブタや鳥の混合肉を牛肉100%と平気で偽る社長、土地建物の売却詐欺事件で逮捕された元公安調査庁長官など、耳を疑いたくなるような大人の姿が毎日のように映し出されています。
まことにさびしくはずかしい気持ちになりますし、「子どもたちにとって、信じられる大人がいない。ましてやあこがれ、お手本とする人など、今の世の中にいない」、ここに社会的な大きな問題があるようにも思います。
まずは身近なところから…、自らの日々の姿は、周囲の子どもたちにとっていかがでしょうか。少し立ち止まって省みることが大切なようです。
7月1日~お手本がいない世の中 | 2007年07月02日【51】
6月15日~最後まで心を信じる
あじさいの花が雨に濡れて、鮮やかな色を放っています。
さて、今月初旬、ある裁判の判定が下されました。タレントの風見しんごさんの長女えみるさんの交通事故の裁判です。
えみるさんは、一月十九日、自宅近くの横断歩道を青信号で横断中にトラックにはねられて亡くなりました。わずか十歳。大変痛ましい事故で、悲しいお通夜、お葬儀の模様がテレビで連日報道されていました。
事故の加害者である二十三歳の会社員に下された判決は「禁固二年」でしたが、それに対し加害者は直ちに控訴しました。私は法律には詳しくないので、二年という期間が長いのか短いのかわかりませんが、この直ちに控訴した加害者の行為を残念に思いました。そして、父親である風見しんごさんはこれに対し、「最後まで心を信じます」と述べました。
思えば事故直後、、風見さんはえみるさんを突然失うという極限の悲しみの中で、その別れを素直に受け入れられないと話しながら、「私は加害者を憎まない」と言いました。
大切なわが子の命を一瞬にして奪われた。しかも横断歩道を青信号で渡っていたのにです。怒りや怨みの心が起きないはずがありません。親として娘の命を奪った加害者を殺してしまいたいという心が起きてもおかしくはありません。
しかし、風見さんは、「娘はけんかが嫌いだったんで…」と、えみるさんが望むこと、喜ぶことを考えて、「憎まない」と言いました。そして、この度の控訴にも、「最後まで心を信じます」と言われました。
「怨みは怨みによって鎮まることはない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる」とは、お釈迦様の言葉ですが、私たちの日暮らしの中でこのことがいかに難しいか、自分自身の心を省みればわかります。
しかし、仏さまとなられたお嬢さんの深い願いを受けて、「憎まない」言い、「最後まで心を信じる」と言ったお父様がいたことを、いつまでも深く心に刻みたいと思います。
6月15日~最後まで心を信じる | 2007年06月15日【50】