こころの電話

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5月1日

 新緑が目にまぶしく、とても清々しい毎日が続きます。
 さて、新入学生も、新社会人も、新しい環境の中で緊張の一ヵ月が過ぎ、ゴールデンウィークで一休みというところではないでしょうか。

 そこで、お釈迦さまの時代にあったエピソードを紹介します。
 お釈迦さまのお弟子に、シュローナという人がいました。大金持ちの家に生まれ育った青年ですが、お釈迦さまの教えに感銘を受け、両親の許可を得て、お弟子となったのです。

 シュローナはお弟子の一人となったことを大変喜び、熱心に修行します。しかし、苦しい修行を毎日毎日続けるのですが、どうしても悟りが開けません。

 そこで、「自分はなんてダメな人間なんだ。これほどまでに必死に修行を続けるのに悟りが開けない。この上は、お釈迦さまのお弟子から身を退いて、俗人に戻ろう」と思い詰めて、お釈迦さまに報告に行きました。

 お釈迦さまは、シュローナの話を聞いて、「そなたは、出家してここに来る前に、自宅で琵琶を弾いたことがあるか」と聞かれました。

 「はい、弾いたことがございます」と、シュローナは答えました。

 「あの琵琶を弾く要領を思い出してみなさい。琵琶の弦は、あまり締めすぎると耳障りの悪い甲高い音になり、ついには切れてしまう。だからといって、ゆるめすぎてもいい音が出ない。シュローナよ。そなたは修行に熱心なのはいいが、あまりにも自分の身と心を締めすぎてはいないか。だから悟りが開けない。もっとゆったりと修行しなさい」と、お釈迦さまは、そう教えられました。

 シュローナは、お釈迦さまに教わった心持ちで、ゆったりとした修行を勤め、やがて最高の悟りに達したと言われています。

 お釈迦さまは、何事にも、「怠けてはならない」と諭されましたが、逆にあまりにも緊張し、頑張りすぎることもよくない。つまり極端に偏りすぎるのは、道を誤ることにつながることを教えられたのです。

 ゴールデンウィークで一休み。清々しい新緑の中、ゆったりとした気持ちで、自分自身を省みることも大切なことです。  

5月1日2006年05月01日【23】

4月15日

 4月中旬、すっかり葉桜になった鹿児島から、仕事で京都に行きましたら桜満開。日本は縦長の国です。

 さて、学校も、会社も新年度を迎え、皆新たな気持ちで学業に、お仕事に励んでおられます。学校では、先生が生徒たちに授業を行い、会社では上司が部下に新たな仕事を教えておられることでしょう。

 そこで、一つの興味深い法則があります。それは「パレードの法則」というもので、数々の名著を出されている僧侶・藤沢量正先生の著書に紹介されています。

 例えば、会社の全セールスの80パーセントを、成績優秀な上位20パーセントのセールスマンが引き受けるようにすれば、販売の成功率は極めて高いという法則で、20分の80の法則とも言われています。

 この法則はいろんなことに応用できます。学校の先生が、自分の伝えたいと思う話の80パーセントを理解するものは、生徒の中の20パーセントに過ぎないということになります。これは、学校の先生に限りません。私たち僧侶の法話も同様で、裏を返せば、聴衆の80パーセントは、私がお伝えしたい話の20パーセント程度しか理解してもらえないことになるわけで、人に物事を伝える側の人は、その難しさを充分に考慮した上で話すことが大切になります。

 また、本を1,000冊持っている人は、本当に利用度の高い本はその中の200冊程度だと思い、洋服を100着持っている人は、その内の20着程度だと思って、いつもそれらを身近におくと便利だということになります。

 藤沢先生も、この法則を『朝日新聞』の「天声人語」で知ったことを述べられ、そこには、働き過ぎといわれる日本人は、年間20パーセント程度の休日をどのように上手に過ごすかが、残りの80パーセントの仕事を決定することが述べられているそうです。

 学校でも、お仕事場でも、家庭でも、この「パレードの法則」、20分の80の法則を応用してみてはいかがでしょうか。今までと少し変わったものの見方ができるかもしれません。

4月15日2006年04月16日【22】

2006年4月1日

 四月八日は花まつり。今から二五〇〇年前、お釈迦さまが、現在のネパールのルンビニーでお生まれになった日で、花まつりはその誕生をお祝いする行事です。

 さて、三月末のある朝、お寺に二本の電話がかかってきました。一本は、鹿児島を代表する船舶運輸会社社長のOさん、もう一本は、これまた鹿児島を代表する漢方医薬店社長のSさんでした。お二方とも、私が西本願寺鹿児島別院に在職の時、所属していたロータリークラブで大変お世話になった方です。

 おおよそ八年ぶり、しかも突然の電話で何事かと思いましたが、内容は、「西本願寺の機関誌で、あなたの法話を読ませてもらいましたよ。久しぶりにあなたの顔を写真で見たので、懐かしくて電話をしましたよ」というものでした。

 鹿児島別院の機関誌の三月号に、掲載された私の法話をご覧になって、わざわざ電話をかけてきてくださったのです。私は、あまりにも突然で、しかも懐かしさと、感謝の思いが一瞬のうちにわき上がって言葉になりませんでした。

 Oさんも、Sさんも、私の拙い法話に対して、「有り難いご法話を読ませてもらいました」「お元気そうでなによりですね」と、電話越しに言葉をかけてくださいましたが、お二人とも大変お忙しい身なのに、しかもはるかに年下の私のことを憶えていてくださり、わざわざ電話をかけてきてくださったことに、私は大きな喜びと共に、大変恐縮することでした。

 お釈迦さまは、私たちの生活の中で、「布施の心・施しの心を大切にせよ」と諭され、大きなお金も品物もいらぬ七つの布施を示されました。その中に、言語の「言」という字に辞典の「辞」、布施の「施」と書いて「言辞施」という布施を示されました。

 これは、思いやり、ぬくもりのある言葉を相手にかける施しのことです。いくら携帯電話などが進歩しようとも、忙しい毎日、久しぶりの相手に電話一本かけて言葉をかけるということは、簡単なようでなかなか難しいものです。

 Oさん、Sさんのお電話に心から感謝すると共に、八年ぶりに、また大切なことを学ばせて頂きました。

2006年4月1日2006年04月04日【21】

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