こころの電話

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6月1日

 例年より三日早く梅雨に入りました。今年も紫陽花が、鮮やかな色で目を楽しませてくれることでしょう。

 さて先日、すばらしいお話をお聞きしました。
 広島から鹿児島へ家族で帰ってこられたご門徒のBさんが、新しくお仏壇を求め、本山西本願寺から阿弥陀如来の仏さまをお迎えしたいのでと、お寺にご相談に来られました。わが家にお仏壇をお迎えするときに勤める儀式を「入仏式」といいますが、そのお申込です。

 Bさんが仏さまをお迎えすることになったのには、ある出来事があったそうです。
 長年暮らした広島を去ることになったBさん家族は、たくさんの荷物をまとめ、広島のある引っ越し業者を呼びました。トラックできて、いよいよ荷物を運び出す段階になったとき、引っ越し業者のおじさんが最初に、「お仏壇はどこですか」と聞かれたそうです。

 Bさんは、「お仏壇をどうするのですか」と聞き返しました。すると、「トラックで一番安全なところに置くのです」と、答えられたそうです。

 不思議に思ったBさんが、「それはまたどうして」と聞くと、「仏さまのおられるお仏壇は、家の中で何よりも大切なもの。それを一番安全なところに置くのは当然でしょう」と、ごくアタリマエのように答えられたそうです。

 私はこのお話を聞いて、安芸門徒といわれる、浄土真宗の信仰の深い広島県ならではの話と、感心することでした。

 実は、広島のBさんの家には、お仏壇はありませんでした。引っ越し業者のおじさんの言葉を聞いたBさんは、「家の中で一番大切にしなくてはならない仏さまが、まだ私の家にはおられなかった。何とはずかしいこと」と、鹿児島に帰って来てさっそく、お仏壇を求め、仏さまをお迎えすることになったのです。

 仏教で、仏さまの信仰へ導く人、縁をつくる人を、善悪の善に、知識人の知識と書いて、「善知識」と呼びます。Bさんにとって、引っ越し業者のおじさんはまさしく善知識でした。そして、そのご縁に素直に導かれたBさんも、とてもすばらしい方と思うことでした。

6月1日2006年06月01日【25】

5月15日

 早いもので、奄美地方の梅雨入りが発表されました。

 さて、先日、立命館大学の安斎育郎教授の「だます心 だまされる心」という本を読みました。安斎先生は、占いや心霊現象、超能力やUFOなど、様々な不思議現象について、科学の立場から厳密に考察することで有名な先生で、この本では、人がだまされる心についてくわしく書いておられます。

 安斎先生は、「そんなことができるなら、どうしてこうしないのか」と、問うことが、私たちがだまされない極意だと言われます。

 たとえば、超能力のスプーン曲げが昔はやりましたが、そんなに簡単に金属を曲げられるなら、どうして金属加工技術としてすぐに利用しないのか。

 霊能者に霊視ができるのなら、霊を呼び出して犯人を聞けばいいのに、なぜ、未解決の殺人事件が多くあるのか。

 奇術師が競馬を予言する番組がありましたが、それができるのならなぜ、奇術師は競馬場に行って万馬券を当てないのか。

「三週間で英語がペラペラになります」と言う、英会話教材の訪問販売員が、なぜ、英語ペラペラではないのか。

 「この財布を持てば、あなたはたちまちお金持ち」という宣伝が本物なら、なぜ政府は国民にその財布を配らないのか、など、冷静に問うことが大切だということです。

 何ともばかばかしいと思う方もおられるかもしれませんが、安斎先生は、世の中にはたわいもないテクニックで、いとも簡単にだまされる人が大変多いと指摘されます。

 そして、だまされる二つの落とし穴があり、一つは、「人間は、一つのことにとらわれると、他のことが正しく見えなくなる思いこみの心」と、もう一つは、「楽して儲けたい」「手術をしないで病気を治したい」「努力しないで英語を覚えたい」などの欲望だそうです。

 人は、欲望ずくで生きようとすると、思いこみの心で正しいことわりが見えなくなり、そこにだましの落とし穴が、口を広げて待っています。

 巷では、毎日のように詐欺事件や粉飾事件が起きています。安斎先生のだまされない極意を心したいものです。

5月15日2006年05月15日【24】

5月1日

 新緑が目にまぶしく、とても清々しい毎日が続きます。
 さて、新入学生も、新社会人も、新しい環境の中で緊張の一ヵ月が過ぎ、ゴールデンウィークで一休みというところではないでしょうか。

 そこで、お釈迦さまの時代にあったエピソードを紹介します。
 お釈迦さまのお弟子に、シュローナという人がいました。大金持ちの家に生まれ育った青年ですが、お釈迦さまの教えに感銘を受け、両親の許可を得て、お弟子となったのです。

 シュローナはお弟子の一人となったことを大変喜び、熱心に修行します。しかし、苦しい修行を毎日毎日続けるのですが、どうしても悟りが開けません。

 そこで、「自分はなんてダメな人間なんだ。これほどまでに必死に修行を続けるのに悟りが開けない。この上は、お釈迦さまのお弟子から身を退いて、俗人に戻ろう」と思い詰めて、お釈迦さまに報告に行きました。

 お釈迦さまは、シュローナの話を聞いて、「そなたは、出家してここに来る前に、自宅で琵琶を弾いたことがあるか」と聞かれました。

 「はい、弾いたことがございます」と、シュローナは答えました。

 「あの琵琶を弾く要領を思い出してみなさい。琵琶の弦は、あまり締めすぎると耳障りの悪い甲高い音になり、ついには切れてしまう。だからといって、ゆるめすぎてもいい音が出ない。シュローナよ。そなたは修行に熱心なのはいいが、あまりにも自分の身と心を締めすぎてはいないか。だから悟りが開けない。もっとゆったりと修行しなさい」と、お釈迦さまは、そう教えられました。

 シュローナは、お釈迦さまに教わった心持ちで、ゆったりとした修行を勤め、やがて最高の悟りに達したと言われています。

 お釈迦さまは、何事にも、「怠けてはならない」と諭されましたが、逆にあまりにも緊張し、頑張りすぎることもよくない。つまり極端に偏りすぎるのは、道を誤ることにつながることを教えられたのです。

 ゴールデンウィークで一休み。清々しい新緑の中、ゆったりとした気持ちで、自分自身を省みることも大切なことです。  

5月1日2006年05月01日【23】

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