こころの電話

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2月1日~言葉はカミソリか、それとも…

 インフルエンザがはやりつつあります。予防に心がけましょう。

 さて、私たちは毎日、言葉を使いながら生活をしていますが、先般、それについて気付かされたことがありました。

 一月の末、次女が、目の内斜視の手術をしました。中学進学を前に思い切って治したいという本人の意志によるもので、全身麻酔を避けて、恐怖感が伴う目の部分のみの局部麻酔の手術を希望しました。

 一時間ほどの手術も終わり、目に包帯を当てて無事病室に帰ってきたのですが、その後が大変でした。麻酔が次第に切れるにつれ、手術をした目と頭に激痛が走ります。針でつつかれるような痛みが続き、わりと我慢強い娘も、「痛い、痛い」とおいおい泣きながらベットの上でのたうち回ります。痛み止めを飲ませますが、いっこうに効きません。

 私も妻も初めてのことで、ただ手を握り、汗で濡れた頭に手を当てて励ますだけです。あまりにも痛みが続くので、二回ほどナース室に行き、どうにか痛みを和らげる方法が他にないか聞きました。

 すると、看護婦さんが二回目に来たとき、「痛みは明日ひく人もいれば、一週間続く人もあり人それぞれ。私にはわかりません。こらえるしかないですね」と、いともあっさりおっしゃいます。続いて、「こんな看護婦が言うことよりも、先生を呼びましょうか。そっちほうがあなたたちも納得するでしょう」と、言われました。

 私たちは親子は、「こんな看護婦」ではなく、「身近にいてくださる看護婦さん」だからお聞きしたのです。また、私たちにとって初めての経験なので、様々な患者さんへの対応をご存じだと思うからお聞きしたのです。私は、看護婦さんにそう問いかけたかったのですが、苦しみもがく娘が横にいるのでそれどころではありません。絶対弱者の患者の立場がそこにありました。

 私たちが日々使う言葉は、人の心をえぐるカミソリにもなれば、逆に苦しみ悩む人を救うこともあります。

 常に相手の立場に立って、やさしくあたたかな言葉を使うことの大切さを学ぶことでした。

2月1日~言葉はカミソリか、それとも…2008年02月01日【65】

1月15日~たったひとつの命だから…

 一月もはや半ば、わりと温暖な日が続いています。

 さて、昨年末、『たったひとつの命だから』という本(地湧社)に出会いました。福岡県のラジオで紹介されたのがきっかけで、「たったひとつの命だから」という言葉に、あなたなら何という言葉を続けますかという問いに、リスナーから集められたお便りをまとめたものです。

 その中のひとつを紹介します。

 ラジオネーム「フリージア」さんは、四歳の時、交通事故でお父さんを亡くしました。四年後、彼女のお母さんは再婚しました。弟は新しい父親にすぐになつきましたが彼女はどうしてもなつくことができず、「私の父は亡くなった父一人だ」と、突っ張りながら十五年が過ぎました。

 やがて「フリージア」さんにも彼氏ができて求婚されました。そして彼は彼女の両親に許しを求めに来ました。今の父は彼に言います。「この子が八歳の時から私はこの子の父親になりました。この子は私の親友の大切な宝物でした。この子が不幸になったら、私はこの子の実父に会わせる顔がありません。必ず必ずこの子を幸せにしてくれますね」。このとき、「フリージア」さんは、今の父が実父と高校生からの親友だったことをはじめて知らされます。

 次の朝、今の父は、彼女といっしょにお仏壇の前に座って実父に呼びかけました。

「おい、この子を嫁に出すぞ。いいか」。そう問いかけて泣きました。その時、「フリージア」さんは、今の父が、彼女を本当の子どもとして、かけがえのないたったひとつの命を守ってきてくれたことを知ります。

 お父さん、長い間お世話になりました。いっぱい幸せになって(中略)、たったひとつの命を、大切にしてください。母をよろしくお願いします。(二人の父をもつフリージア)

 本の中のお便りはこう結んであります。

 この本には、たくさんの方々のいのちのふれあいや結びつきが紹介されています。
 「たったひとつの命だから」。この言葉にあなたなら何と続けるでしょうか。

1月15日~たったひとつの命だから…2008年01月15日【64】

2008年1月1日~平和と繁栄の七つの教え

 明けましておめでとうございます。今年も、「覚照寺・心の電話」をよろしくお願い申し上げます。

 新年は、お釈迦さまのお話からです。
 今から二五〇〇年前、よわい八十になるお釈迦さまがインドの霊鷲山におられたとき、マガダ国の大臣・兎舎(ウシャ)が、お釈迦さまのご様子を伺いに来ました。そして、ウシャは、マガダ国の王の伝言を伝えました。

 それは、「隣国、ヴァッジー国の人々は、頑強で私に屈服しないので、私はヴァッジー国を征伐しようと思う。お釈迦さまのご意見をお聞かせ下さい」というものでした。

 お釈迦さまは、それについて答えようとはせず、近くにいた弟子のアーナンダに七つの質問をされました。

 一つに、ヴァッジー国の人は、よく集会を開いてよき話し合いをしているか。

 二つに、協力し合い、お互いに為すべき勤めを為しているか。

 三つに、国の規則を守り、礼儀正しく生活をしているか。

 四つに、お年寄りを敬い、女性・子どもを大切にしているか。

 五つに、祖先を大切にし敬っているか。

 六つに、家庭内は正しく汚れなく、たわむれはするが、欲におぼれず、つつましい生活をしているか。

 七つに,常に学ぶことを忘れず、悪から身を守り、怠けてはいないか。

 ナーナンダは、「お釈迦さま、ヴァッジー国の人々は、その七つのすべてについて、若者と年寄りが常に和合して勤め励んでおります」と、答えました。

 するとお釈迦さまは、「それはすばらしいことだ。年寄りと若者が和合してその七つのことを守り、正しく勤めているのであれば、そこには繁栄があり、衰え滅びることは決してないであろう」とおっしゃいました。

 そして、そのお釈迦さまの言葉を、大臣から伝え聞いたマガダ国の王は、ヴァッジー国を征服することを断念しました。

 お釈迦さまは、争いの原因を説き、それを乗り越える教えを説かれたのです。 まさにこの七つの教えの実践に、家庭に、職場に、社会に、平和と繁栄が開かれるのです。

2008年1月1日~平和と繁栄の七つの教え2007年12月29日【63】

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