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12月1日~世間で得難い二人とは…

 師走というのに本格的な寒さがやってきません。冬将軍の到来はいつでしょうか。

 さて、覚照寺では、十二月十一日、十二日、十三日の三日間、報恩講法要をお勤めします。

 ご承知の方も多いと思うのですが、報恩講は、浄土真宗のみ教えをお開きくださった親鸞聖人のご命日に際し、その遺徳を偲び、縁ある方々がそのご恩に報いるために勤めるものですが、それと同時に、私たち一人ひとりが「知恩」ということを学ぶ大切な法要でもあります。

 恩というと、日本人はすぐに「鶴の恩返し」や「サルの恩返し」などの昔話を連想し、恩は返すものという義務的なことを思うのですが、本来、仏教ではそういうことは説いていません。

 インドの仏教書には、「世間において得難い二人とは誰か。一人は先に恩を施す人である。他は恩を知り恩に感ずる人である」と説かれています。

 恩は、まずそれを周りの人に施すことが大事で、恩を施すその人ほど得難いものはないといいます。そして、それを受けたものは、その恩を知り、心に感ずることが大切だといいます。

 恩は、インドの古い言葉では、クリタジュニャタといい、「なされたことを知ること」という意味です。

 私たちは人それぞれ、顔も体も違います。生きてきた過程も異なれば環境も異なります。しかしその一人ひとりがここまで生きてくるのには、多くの人々がかかわり、多くのいのちがかかわってきました。そのことを深く心に考え知ることが人間にとってとても大切なことなのです。

 仏の教えを聞くということは、過去現在未来の三世を通じて、私のいのちに、多くのいのちが通っていることに気づかされることでもあります。

 それを感じたときに、おのずと、私もまた人のために何かをしたいという思いがわい
てくる、それが仏教の報恩という心です。

12月1日~世間で得難い二人とは…2007年11月30日【61】

11月16日~ 人生列車はあなたも私も…

 晩秋となりました。鹿児島の浄土真宗のお寺では、一斉に報恩講法要が始まります。

 さて、国民的代表作家といわれた吉川英治さんの作品に、「人生列車」という詩があります。

 「発車駅の東京駅も知らず、横浜駅も覚えがない、丹那トンネルを過ぎた頃に薄目をあき、静岡辺で突然「乗っていること」に気づく、そして名古屋の五分間停車ぐらいから、ガラス越しの社会へきょろきょろし初め、『この列車はどこへ行くのか』と慌て出す。もしそういうお客さんが一人居たとしたら、辺りの乗客は吹き出すに極っている。無知を憐れむにちがいない。ところが人生列車は、全部の乗客がそれなのだ」という詩です。

 「発車駅の東京も知らず」とは、人が生まれたときのことで誰も記憶はありません。「横浜駅も覚えがない」とは幼年期、これも人生という意識はありません。「丹那トンネルを過ぎた頃」とは義務教育時代で、人生やいのちの問題にかすかに気付く。そして、「静岡あたり」とは青年期から壮年期にかけて突然、人生という列車に乗っていることに気付くということです。

 その乗客は、名古屋の五分停車で、「自分が生まれてきた目的は何だったのか」、「一度きりの人生をどう生きるのか」、「自分のこのいのちはやがてどこへ行くのか」という問題に突き当たり慌て出します。

 「せっかくいままで乗ってきたのに、目的も行き先もわからない」と慌てる乗客を、周りのお客さんは見て吹き出します。そして憐れむことでしょう。

 でも、人生列車はあなたも私も、全部の乗客がそれなのだ、という意味の詩です。
 「自分が生まれてきた目的は何でしょうか」、「一度きりの人生をどう生きればよいのでしょうか」、そして「私のこのいのちはどこへ向かうのでしょうか」。

 報恩講法要は、浄土真宗の本願念仏の教えを示された宗祖・親鸞聖人のご遺徳を偲ぶ一年で最も重要な法要ですが、それと同時に、この人生の問題を、お寺にご縁のある一人ひとりが私のこととして、聞きひらく大切な法要なのです。

11月16日~ 人生列車はあなたも私も…2007年11月16日【60】

11月1日~ 植物も、人も同じように…

 秋本番、日本名は「秋桜」、コスモスの花が咲き始めました。

 さて、この季節は、私にとって大変忙しい季節です。それは、趣味の園芸植物のオモトを生け変える時期で、数十鉢あるその作業には結構な時間と労力を要するからです。

 しかし昨年、私はこの「オモト」を育てるのに、大失敗をしてしまいました。
 オモトは、一年ごとに変わる葉っぱの模様を楽しむ観葉植物ですが、その新しい芽が出てくるのが五月くらいです。

 新しい芽が出ると、その芽に十分栄養が行くように、芽の横にある花のつぼみを切り取る作業をしなければなりません。

 昨年のこと、たくさんある鉢の中で、一番美しい模様が出そうな二つの鉢から、新たな芽が出たので、私は急いで花を切り取る作業をしたのですが、その途中、カミソリの刃先がかすかに芽に触れてしまい傷をつけてしました。すると、それ以降、その二つの鉢のオモトの芽は出ることはありませんでした。

 私は、誠に残念な思いをすると同時に、よく教育の現場で言われる「芽を摘む」とは、まさしくこういうことだと実感させられました。

 一年間栽培をしてきた私の心の中には、「早くきれいな葉の模様が見たい」という一方的な期待と欲がありました。仕事が忙しい合間を縫っての作業なので、急いで済ませなければという焦りもありました。作業を先にしなければならないほかの鉢があったのに、そちらには目を配ることなく、いまだ作業の時期に来ていない鉢から手をつけてしまいました。結果、二つの鉢の芽を見事に摘んでしまったのです。

 子育てや教育、また職場での人材育成も同様のことが言えるのではないでしょうか。子どもが育つ、人が育つには、時期があります。タイミングがあります。植物に栄養を与えるには時期があるように、子どもや人を指導・助言するのにも時期があります。また教える側、育てる側が一方的な期待や勝手な思いをもってしては、人は育ちませんし、せっかくの芽を摘んでしまうことになりかねません。

 植物も、人も同じこと、よくよく心したいものです。

11月1日~ 植物も、人も同じように…2007年10月31日【59】

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