こころの電話

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5月1日~弦は弛みすぎても張りすぎても…

 ゴールデンウィークに入り、行楽地は人であふれています。

 さて、今月二十日、火曜日の午後六時三十分より、覚照寺の本堂で、インドの古典楽器・シタールの演奏会を行うことになりました。演奏者は、現在シタールの演奏家として、世界で第一人者のキショール・ゴーシュさんと、タブラ奏者のパルヴィズ・アヤンさんです。

 シタールは、北インド発祥の民族楽器で、十九弦からなる弦楽器です。この弦楽器について、お釈迦さまご在世当時のお話があります。

 大富豪の息子・シュローナは、お釈迦さまのお弟子になりました。彼は、子どものころからぜいたくに育ち、いつも台車に乗って、歩くことはありませんでした。しかし、お釈迦さまの弟子になると、自分の足で歩いて托鉢や修行をしなければなりません。

 シュローナは、足の裏から血を流しながら修行を続けました。そして、毎日毎日、悟りを得ようと猛烈に修行に励むのでした。しかし、彼はいっこうに悟りが得られません。それどころか、そんな気配さえないのです。

 シュローナは悟りが得られない自らに絶望します。「私は、この道には向いていない。能力もない。努力しても報われない」と思い、とうとうお釈迦さまのところへ行き、お釈迦さまの弟子から離れることを申し出ます。

 お釈迦さまは言われます。
 「シュローナよ、そなたは楽器の琵琶を知っているだろう」

 「琵琶は、弦が緩みすぎているといい音は出ない。逆に張りすぎていると高い音が出て聞きずらく、ついには切れてしまう。そなたは、心をいささか強く締めすぎているのだ、もう少しゆとりを持ち、緩やかにしてみなさい」

 その言葉を聞いてシュローナは、再び新たな気持ちで修行に励んだと言われます。
 弦は弛みすぎてもよくないし、張りすぎてもよくない。お釈迦さまは、人間の理想的な心の有り様を、弦楽器にたとえておっしゃったのです。

 五月二十日は、きっとすばらしい演奏会になることでしょう。どうぞ、お誘い合わせの上、お越し下さい。

5月1日~弦は弛みすぎても張りすぎても…2008年05月04日【71】

4月16日~ご門徒方の声に恥ずかしながら…

 小学二年生になる愚息が、南日本放送ラジオの第44回「わたしたちの作文」において、優秀賞をいただき、先般その放送がありました。ひとえに学校の先生のご指導によるものですが、ご門徒方から、「もう一度聞きたい」「高齢者はラジオが聴けなかった」等の有り難いご意見を多数いただきました。
 誠に恥ずかしい限りで恐縮ですが、ご紹介いたします。

「おとうさんはじゅうしょく」
曽於市立岩川小学校二年 ひらしま せいゆう

 ぼくのおとうさんは、じょう土しんしゅう西ほんがん寺のお寺のおぼうさんです。

 きょ年の四月二十八日と二十九日に、ぼくのお寺の「らっけいほうよう」がありました。今まで、おじいちゃんがじゅうしょくだったけど、この日からおとうさんにかわわりました。おとうさんは、口をきゅっとむすび、いつもよりえらい人のようでした。

 おとうさんのしごとは、朝七時ちょうどに、かねをたたきます。いつも時間ぴったしにたたくので、ぼくは、すごいなあと思います。

 つぎに、のうこつどうのドアをあけにいきます。たくさんの人がおまいりにくるので、早くからドアをあけておきます。

 それから、本どうにいって、朝のおまいりをします。せいざをして、大きな声でおきょうをいただきます。おとうさんの声は、いいこえです。太くて大きな声をきくと、だらだらしていたぼくも、びしっとせをのばします。ぼくもいつかおとうさんみたいに言えるといいなあと思います。

 朝のおまいりがおわると、おとうさんは、近くの公園に走りにいきます。ぼくも、ときどきいっしょに走ります。ぼくは、四しゅう走っただけでやめてしまうけど、おとうさんは十しゅうも走ります。
「どうして、たくさん走るの。」
と、ぼくがたずねると、
「体じゅうがふえると、せいざがしんどくて、足がいたくなるからだよ。」
と、教えてくれました。ぼくは、
「おぼうさんになるには、体力もひつようなんだな。」
と、あせをかいているおとうさんを見て、一つべんきょうをしました。

 いえにかえったおとうさんは、シャワーであせをながしたあと、朝ごはんをいそいで食べます。

 八時半から、本どうでおまいりがはじまります。朝早くから、ごもんとさんがおまいりにこられるからです。おとうさんは、本どうのあみだにょらいさまにむかって、手を合わせて、大きな声で、
「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。」
ととなえます。三十分くらいおきょうを読みます。ごもんとさんは、しずかにきいています。ぼくは、あみだにょらいさまとおとうさんとごもんとさんの心が、ひとつになっているんだなあと思います。

 ぼくは、おとうさんの一日って、とてもいそがしいななあと思います。そして、しごとをやりとげるために、体力づくりにはげんでいるおとうさんは、えらいなあと思います。ぼくも、おとうさんみたいにがんばる人になりたいです。

4月16日~ご門徒方の声に恥ずかしながら…2008年04月16日【70】

4月1日~素直で平等なまなざしで…

 お寺の境内や公園の桜が一斉に開花しました。

 さて今月は、幼稚園・保育園、学校、会社など、入学式や入社式が行われ、新たなスタートと出会いの月です。

 先般、知り合いの幼稚園の園長先生から、次のようなお話をお聞きしました。
 その幼稚園では、五歳の年長組のクラスに、体の不自由な園児・S君が在園しており、S君は三歳から入園し五歳になるまで、先生の指導や保護者の励ましのもと、障害のない園児たちと一緒に過ごしてきました。

 幼稚園では、日常の保育のほか、運動会やお遊戯会など、さまざまな行事があります。体に障害を抱えた子どもには大変なこともありましたが、S君はその一つ一つの行事を努力して乗り越えました。

 そして、S君が年長組になり、幼稚園最後の運動会が終わった後、教室で先生が、みんなと一緒に最後まで努力して頑張ったS君を褒めました。

 しかし、その先生の言葉の後、子どもたちが口々に言ったそうです。
 「本当にS君はとても頑張ったと思うよ。でも、もっと頑張った人がいるよ。それはB君だよ」

 そのクラスには、家庭の事情で、五歳児になって初めて幼稚園に入園してきたB君がいたのです。

 「もちろん体が不自由なS君は、三歳から僕らと一緒に入園して三年間、僕たちの二倍も三倍も頑張った。でもB君は、五歳で初めて入園して、何もかもが初めてなのに、僕たちと一緒にやろうと、この一年間の頑張りようは誰よりもすごかった」
 子どもたちは、そのことを先生に伝えたのです。

 幼稚園の先生方は、その言葉を聞いて、子どもたちがいかに素直で平等なまなざしで、物事を見て感じていることに気付かされたといいます。と同時に、大人のまなざしが、体が不自由だからだれよりも大変なのだ、という安易なものの見方、偏ったものの見方をしていたことに気付かされたとおっしゃいました。

 そんなすばらしい子どもたちが今年もたくさん入園してきます。そしてたくさんのすばらしい出会いがあることでしょう。

4月1日~素直で平等なまなざしで…2008年03月31日【69】

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